満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

宮本隆  ライブスケジュール 11月  3件

2016-10-25 | 新規投稿
11.8(tue)臼井康浩 [guitar] イガキアキコ [violin] 宮本 隆 [bass]

臼井康浩Yasuhiro Usui [guitar]

イガキアキコAkiko Igaki [violin]

宮本 隆 Miyamoto Takashi [bass]

@創徳庵(大阪・中崎町)open19:00 start19:30 advance 2000yen door2300(+ drink order)

臼井康浩Yasuhiro Usui(guitar)

即興を中心とした活動の他、自己のユニット sedge、藤井郷子オーケストラ名古屋、渋さ知らズオーケストラ、多田葉子asと関島岳郎tubaとのユニットOKIDOKI、原田依幸オーケストラ、ヒゴヒロシ、ラピスらとのロックバンドMAJIKA〜NAHARU、元花電車のKeiとのユニット Flyline、泉邦宏バンド等、Ryorchestra、東海道スモッグブラスに参加。国内外のトップミュージシャンとの共演多数。年間ライブ数は100本前後行っている。プロデュースも務める藤井郷子オーケストラ名古屋の発売したCD 3作品、エリオットシャープとのDuo、OKIDOKIの作品は国内のみならず海外でも高い評価を受けている。 世界でもっとも影響力のあるジャズ専門誌 の一つ「All About Jazz」でも度々取り上げられ、海外からのオファーも多い。2009年大友良英を中心にアジアの様々なアーティストを紹介したイベント「アジアン・ミーティング・フェスティバル」をプロデュース。身体表現や書家、映像とのコラボレーションなど、ジャンルの垣根を越えた意欲的な活動を行っている。近年は即興演奏する際の考え方であるインプロ思考法という独自のアプローチも発信している。https://www.facebook.com/UsuiYasuhiro

イガキアキコAkiko Igaki [violin]

1981年大阪生まれ。音楽家、グラフィックデザイナー、ものづくり人。ヴァイオリンを主に、おもちゃや自作楽器など身の周りのモノを使って音を出し、CMや映像、ダンス、舞台等、あらゆる分野に楽曲提供を含むコラボレーションを実践する。にしもとひろことの天真爛漫アコースティックユニット『たゆたう』を中心に、ジプシーからポップスまで様々なアーティスト・バンドのライブサポートや、関西演劇界の鬼才・益山貴司率いる劇団『子供鉅人』の舞台音楽、国内外のミュージシャンやダンサー、映像との即興演奏など、幅広い演奏活動を行う。音づくり、デザイン、楽器作り、絵画、裁縫、料理、パン作りなど常にものづくりをする姿勢を崩さず、またすべての「つくる」ことは同じ「ものづくり行為」として認識し、その活動は多岐にわたる。http://igakiakiko.net/

宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass]

1985年から東京のインディーズシーンで活動開始。1995年、リーダーグループである時弦旅団を結成。尖鋭的なジャズロックグループとしてこれまで4枚のCDをリリース。木村文彦のアルバム「キリーク」(2012)を制作した事をきっかけにセルフレーベルである時弦プロダクションを本格的なレーベルへと拡大。これまでに「existence」2013(磯端伸一with大友良英)、「a night at the Hawk Wind」2014(マジカルパワーマコ)、「Rain Maker」2015(ナスノミツル)、「火の環」2016(シェシズ)を制作。最新作は「PUNK」(jigen-016)豊永亮 / チャールズ・ヘイワード(ex-This Heat)である。その他、3 mirrors(with木村文彦、石上和也)での活動の他、さまざまなユニットを組み、即興演奏を行っている。http://www.jigen-p.net/miyamoto-takashi


11.12(sat)吉本裕美子 [guitar]&鈴木ちほ[bandoneon]大阪公演&セッション

@ environment 0g [ zero-gauge ]
open18:30 start19:00 charge 2000yen (exclude1 drink)

Act:

吉本裕美子 YOSHIMOTO Yumiko [guitar]× 鈴木ちほ SUZUKI Chiho [bandoneon]
豊永 亮 TOYONAGA Akira [guitar] × 木村文彦 KIMURA Fumihiko [打楽器]
荻野やすよし OGINO Yasuyoshi[guitar] × 宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass]× 松元 隆 Ryu_Matsumoto [drums]



首都圏の即興シーンで活躍するギタリスト、吉本裕美子がバンドネオン奏者、鈴木ちほと行う初の大阪公演に、2組の即興ユニットが対バンで迎えます。
environment 0g [ zero-gauge ]  大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F nuthingsjajouka@gmail.com



吉本裕美子 YOSHIMOTO Yumiko [guitar]

東京生まれ。ロックバンドの活動を経て、2006年より越後妻有アートトリエンナーレのヒグマ春夫パフォーマンスへの参加をきっかけにエレクトリック・ギターの即興演奏を開始。ギターの増田直行(陰猟腐厭)、サックスの広瀬淳二、ピアノの千野秀一、大正琴/音楽批評の竹田賢一、

映画/ダンスの万城目純、ダンスの秦真紀子、花いけの上野雄次、詩人/ヴォイスの生野毅などジャンルを横断するさまざまな表現者と共演し、また喫茶茶会記の「深夜廟」やキッド・アイラック・アート・ホールの年越しイヴェント「除夜舞」などでソロ演奏を行う。2008年、山田勇男の8ミリ短編映画『白昼夢』の音楽を担当。2014年、自主制作のギターソロCD-R「真夜中の振り子」発表。2016年4月、ベルギーOff – Record labelよりギターソロアルバム「Midnight Pendulim #0」デジタルリリース。同年6月、Water Tower Art Fest 2016(ブルガリア)他、ヨーロッパ8ヵ国で演奏。「阿吽の過呼吸」(w/ 須郷史人 drums、4+4=8 bass)、「lammtarra」(w/ 吉良憲一 double bass、露木達也 drums)「冬虫夏草」(w/ 橋本英樹 trumpet、鈴木ちほ bandoneon、島田透 drums)などのバンドに参加。http://yoshimotoyumiko.blogspot.com/

鈴木ちほ SUZUKI Chiho [bandoneon]

幼少期から高校までピアノを経験。中学校の時に吹奏楽部に入り、名前に惹かれパーカッションを担当。和太鼓チームに入門し長い間和太鼓を叩くも、原材料の事を考えると息が詰まりその後、

映画美学校にて音楽理論、レコーディングを学ぶ。タンゴの巨匠アストロ・ピアソラの音楽に痺れる程の感銘をうけバンドネオンを手にする。8割型独学で過ごしたため、タンゴからは遠のきJAZZや即興音楽に自然と興味を持つようになる。2013年よりリーダーバンド「惑星ポルチーニ」をはじめる。メンバーはコントラバスに岩見継吾氏、ギターに荻野やすよし氏を迎える。藤井郷子氏、板橋文男氏、類家心平氏など多大な影響をうけ、強いて言うなればフリーJAZZを目指す。また国内外で活躍し、独自の世界を切り開いているコントラバス奏者齋藤徹氏の音楽にも啓蒙し、即興音楽に挑戦。2015年より即興バンド「冬虫夏草」に参加。バンドネオンという楽器で独自の音楽表現を目指す。https://www.facebook.com/profile.php?id=100004083022480



木村文彦 KIMURA Fumihiko [打楽器]

十代の頃より、ドラマーでバンド活動を始める。20代で 故河瀬勝彦氏 30代で つのだ☆ひろ氏に師事。1993年、内橋和久氏 のMUSIC ACTION に参加して「即興」という表現方法と出会う。バンド活動を続けるかたわら、ドラマーとして即興演奏活動も開始する。2012年1月 大阪造形センターにて打楽器奏者としてソロライブを開く。2012年、4月ファーストソロアルバム「キリーク」を宮本隆プロデュースのもと発表。音楽各誌より高い評価を受ける。以降、ソロ活動を中心にしながら身体表現者との共演も積極的に行っている。楽器のみにとどまらず、日用品なども打音として取り入れている。http://kimurafumihiko.com/



豊永 亮 TOYONAGA Akira [guitar]

1990年夏 pou-fouに参加。1991年2月渡英。元ディス・ヒート this heatのチャールズ・ブレン Charles Bullen(gt) 、チャールズ・ヘイワード Charles Hayward(ds) に会う。1992年pou-fouのデビューアルバム「Bird Chase」がソニーから発売。1993年、rompに参加し95年アルバム「a moment on the air」が F.M.N Sound factoryからリリースされる。1996年、初来日したチャールズ・ヘイワードと各地で共演する。97年、豊永も参加したチャールズ・ヘイワードの日本公演の記録が「escape from europe」、「near+far」の2枚のアルバムとしてLocus Solusからリリース(97)。2001年 ソロアルバム「COLD AND CLEAN AND NO PEOPLE」を制作。2016年9月、チャールズ・ヘイワードとのduoスタジオアルバム「PUNK」(時弦プロダクション jigen-016)がリリースされた。https://www.facebook.com/profile.php?id=100011696601290&pnref=story


荻野やすよし OGINO Yasuyoshi[guitar]

2006年自己名義のグループ音・人・旅【oto na tabi】を結成、2010年1stアルバム発表で全国発売デビュー。同時期より即興演劇の音楽担当,JAZZ,ワールドミュージックの分野で活動を続ける。2007年より即興音楽のセッションを定期的に開催、兼ねてよりコンテンポラリーフォルクローレ、アラブ音楽に傾倒しつつも、日本人たるギターを創っていこうというアートスタイルで、作曲家・編曲家としても活動している。 2007年より即興音楽のセッションを定期的に開催、ごろっぴあ主宰での水曜接音倶楽部、自己主宰でのインプロヴァイズドセッションを伊丹&梅田ALWAYSにて現在も継続中。2016年音・人・旅【oto na tabi】のニューアルバム「Glocal Happiness Departure」がリリースされた。http://www.yasuyoshiogino.com/


宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass,sampler]

1985年より東京で様々なインディーズバンドで活動開始。95年、大阪でジャズロックグループ、時弦旅団(Time Strings Travellers)を結成。これまでに4枚のアルバムをリリース。2011年「defreezed songs」でゲスト参加した木村文彦の作品「キリーク」をプロデュースしたのがきっかけとなり、CD制作レーベル時弦プロダクションとして活動を活発化させ、「existense」(磯端伸一with大友良英)、「火の環」(シェシズ)を発表。リーダーグループとして、時弦旅団の他、3Mirrors(with 木村文彦、石上和也)があり、他に即興を主体とした様々なユニット、あるいはソロでの即興演奏活動も行っている。 http://www.jigen-p.net/miyamoto-takashi


松元 隆 Ryu_Matsumoto [drums]

サイケハードロックバンド「秘部痺れ」での活動の傍ら、 電子音と生パーカッションによる即興演奏を志向し、OOHや長野雅隆バンド等で活動。 エレクトリックとアコースティック打楽器を融合したソロ演奏を続けており、その可能性を探求している。




11.25(fri)ナスノミツル MITSURU NASUNO solo live tour in OSAKA

Tenelevenのリーダーであり、国内屈指のエレクトリックベース奏者にして即興-演奏家であるナスノミツルのソロパフォーマンス。エレクトロ、プログレッシブ、即興その全てを集約したような構築世界

@environment 0g [ zero-gauge ]
open19:00 start19:30  charge 2000yen (exclude 1drink)


act :

ナスノミツル MITSURU NASUNO (electric bass, electric devices, effects)
竹下勇馬YUMA TAKESHITA(selfmade electro-bass) ×中田粥KAYU NAKADA (bugsynthesizer)
黒いオパール(electronics) ×jap kasai (electronics)
Zero Prizm (S-NOI:electronics / 宮本 隆MIYAMOTO TAKASHI:bass,sampler)
仙石彬人 AKITO SENGOKU [TIME PAINTING, Visual]





environment 0g [ zero-gauge ]大阪市西区南堀江3-6-1 西大阪ビルB1F
nuthingsjajouka@gmail.com



■ナスノミツル

エレクトリックベース奏者にして即興演奏家。
多岐にわたる音楽活動の中から既存のベーシストとは一線を画すスタイルをつくりあげて来た。ナスノはこれまで、ベースという楽器にこだわりベースの可能性を追求することによって、その演奏スタイルや演奏に対する姿勢を明確にして来た。そしてそのことは同時に、ナスノの音楽に対する精神性を明示するものとも言える。90年代初頭に内橋和久、芳垣安洋とインプロヴィゼイション・トリオ「アルタード・ステイツ」を結成した前後より、 アバンギャルド、ジャズロック、ノイズミュージックに傾倒、のち東京に活動の拠点を移し、 大友良英率いる「Ground Zero」に菊池成孔らと共に参加。以後、活動は多岐に渡り、「是巨人」、「不失者」、「ウンベルティポ」、に参加。その他、多くのスタジオワークにも参加し、アヴァンギャルドからメジャーまでボーダーを飛び越え、縦横無尽な活動を続けて来た。2009年、自己を解放すべくナスノ自ら率いるバンドとして、tenelevenを結成。ベースソロによるライヴ演奏も続ける。ベースソロライヴの拡張版としてバンド形式の離場有浮、映像のササキヒデアキの二人によるprotoの活動も継続して行っている。2015年ソロ「rain maker」(時弦プロダクション)をリリース後、関西方面でもソロライブを開始。


■竹下勇馬

1980年大阪生まれ。2001年頃から大阪府内のライブハウスを中心に音楽活動を始める。バンドや即興演奏を軸とした活動を続けた後、2011年東京に拠点を移す。以降現在に至るまで自作の音響装置を搭載した改造エレクトリックベース”electro-bass”を主に使用、独自のアプローチによる活動を続けている。2015年には即興演奏グループ《《》》metsu(大島輝之、中田粥、竹下勇馬、石原雄治)にてアルバム2作を立て続けにリリース。2016年春には石原雄治とのデュオTumoにて欧州ツアーを行うなど、活動の場を海外にも拡げつつある。


■中田粥

1980年、東京で生まれる。洗足学園音楽大学作曲科卒業。サーキットベンディングをピアノの内部奏法の延長上にあるものと捉え直し、シンセサイザーやリズムマシンなど電子楽器数台分の剥き出しにされた回路基板を「バグシンセ」「bugsynthesizer」と名付けてリアルタイムにショートさせる方法で演奏や展示を行う。2013年、東京の実験音楽シーンで活動。2016年、拠点を大阪に移動。現在、アートスペースFIGYAの運営に携わる。ディスコグラフィー《《》》(metsu)1st album『《《》》』Flood/FLD-02/2015《《》》(metsu) 2nd album『Relay』doubtmusic/dmf-161/2015


■黒いオパール×jap kasai

電子音トリオ、black root(s) crewより、賢いユリシーズや魚雷魚など京都を中心に活動を繰り広げるバンドに参加している飯島大輔によるソロユニット jap kasaiと、亜細亜・中近東の音楽をメインにセレクトするDJの傍ら、最近はlow house,experimental,noise 等を発する歪んだビートミュージックに傾倒している黒いオパールによるelectro duo


■仙石彬人 AKITO SENGOKU [TIME PAINTING, Visual]

1983年 静岡県浜松市生まれ。京都市在住。2004年より「時間に絵を描く」をテーマに、OHPを用いたヴィジュアルによるライブパフォーマンス”TIME PAINTING”をはじめる。宇宙や空、または細胞の世界を覗きこんだような抽象的なヴィジュアルイメージは、カラーインクやオイル、水などの液体を使って即興的に作られ、投影されている。山本精一, ナスノミツル, Fernando Kabusacki, CINEMA dub MONKS, Shing02ほか国内外のミュージシャンや、小野雅子, 鈴木ユキオのほかダンサーや舞踏家などジャンルを問わず様々な分野の表現者とコラボレートを繰り返し、流れていく夜にまぼろしのような時間を浮かびあがらせている。http://akitosengoku.blogspot.jp/  https://vimeo.com/akitosengoku


■Zero Prizm(S-NOI / 宮本 隆)

トラックメイカー、DJ、音響、ノイズ、電子音楽の作家としての顔、ライブ活動ではフロア寄りのミニマルサウンドを展開する一方、古川正平名義では即興演奏家や舞踏家など様々なアーティストとのコラボレーションを展開しているS-NOIにジャズロックグループ、時弦旅団のベーシスト宮本 隆が合体。ハッーシュノイズからグルーブビートへと転換する新しいフロアーサウンド。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディラン断唱  Ⅱ 『the bootleg series volumes 1-3 [rare&unreleased]1961-1991』 from 「満月に聴く音楽」

2016-10-21 | 新規投稿
私はボーナストラックというものが好きではない。
LPの再発CDに収録するのは解る。資料的価値がありファンなら嬉しいものだ。解せないのはいきなりCDにボーナストラックとして収録するケースだ。良い曲はあまりなく、アルバム全体の統一感を損ねる場合が多い。殆どの場合、無用である。没テイクは潔く没にせよと言いたい。昔LPは45分が限界だった。いくらCDは70分収録できると言っても、詰め込めばいいってものじゃない。スティービーワンダーなんか100曲以上録音して、10曲に絞り込んでいたのだ。

『the bootleg series volumes 1-3 [rare&unreleased]1961-1991』はディランの没テイクを収めた3枚組CDである。様々な発見を楽しむ事ができる。例えばおなじみの曲が最初の演奏からどのように変化して、公式バージョンになったかが判るのも面白いところだ。「ライクアローリングストーン」が当初は三拍子の曲だったとは驚きだし、「愚かな風(idiot wind)」がゆったりとした弾き語りによるシンプルな原曲になっている。あの公式テイクでの火の出るような激しさ、叫ぶような発声がなく、同じ曲と思えないほど穏やかな曲調でカラーが違っている。また、「ブルーにこんがらかって(tangled up in blue)」でのメロディを少し崩したようなクールな歌い方も面白い。何れも公式テイクには及ばないが、大変興味深い音源である。

しかし。
この大作には単なる資料的価値では済まされない曲がいくつか含まれていた。しかもディランの最高傑作と思われるものが2曲あった。

私が思う‘単なる資料的価値では済まされない曲’は以下である。
「no more auction block」(62)、ガスライトというグリニッジビレッジのコーヒーハウスでのライブ音源。素晴らしい説得力で迫る若きディランのプロテストソング。
「only a hobo」(63)端正なフォークソング。典型的なディランナンバー。
「moonshiner」(63)トラッドのカバー。歌、ギター、ハーモニカ、その全ての表現力が素晴らしい。没にするにはもったいない。
「house carpenter」(62)セカンドアルバム『the freewheelin’bob dylan』のアウトテイク。ギターのリズムカッティングとボイスのグルーブがすごい。
「seven curses」(63)暗示的な歌詞を間のある語りで歌う。引き込まれるようなパワーのある曲。
「I shall be released」(66)ディランの代表的名曲。原曲の初登場でベストバージョン。
「seven days」(76)ローリングサンダーレビュー時のライブ音源。ジプシー感覚溢れる傑作。どんちゃん騒ぎのような騒々しいグルーブ感が素晴らしい。
「you changed my life」(81)アルバム『shot of love』の没テイク。ポジティブな気持ちを全力で歌う感動的な曲。元気がもらえるような名曲である。
「Angelina」(80)ディランバラードが荘厳なイメージをまとったナンバー。祈りのような雰囲気が素晴らしい。
「foot of pride」(83)アルバム『infidels』の没テイク。長大な詞をタイトなビートに乗せ歌う。じわじわと迫るカッコいい曲。ボブフェストでルーリードが取り上げた曲でもある。
「blind Willie mctell」(83)素晴らしいメロディをもった曲。私の好みで言うとピアノのアレンジが哀調すぎる事が残念。もう少し厚いアレンジとメジャー感覚が加味されれば良かったと思うのは勝手な感想か。

以上の11曲は色々な理由で没になった。中には曲の原石の輝きがありながら、録音時の形が最終的に実らなかったものもあるだろう。しかし重要だったのは言葉の納得度や、フィーリングといった抽象的なディランにとっての内側の問題によって結果的に没になったのではないか。
ディランにとって曲の充実度とは自身が歌う強度、言葉とメロディのバランスが直感的に一致した時の満足度が基準だった。最終的なサウンドアレンジやアルバムコンセプトに対する関心よりそれは遥かに重要だった筈だ。
ディランは自身の音楽をその最終形まで詰めて見届けるタイプであったかどうか。少なくともLP全体の作品性という完成品への客観的判断の濃淡は謎である。
CDの解説の中にエリッククラプトンの言葉がある。
「彼は本質的に詩人だ。自分の声やギターの腕前を信じてはいない。書くこと以外は得意でないと考えているようだ。」
私はこの説にサウンドアレンジやプロデュース感覚の欠如を加えてもいいと思う。

ディランは曲を作り、歌う。
極論すれば後はいわば、人任せなのだ。

私が最も好きなディランのアルバムは『hard rain(激しい雨)』(76)だが、そのローリングサンダーレビューのツアードキュメントである映画『レナルド&クララ』を観た時、私はそのダラダラした感じに以外な印象を受けた事を覚えている。圧縮されたエネルギーが素晴らしい傑作ライブアルバム『hard rain』はプロデュースの優秀さと切り離しては評価できないアルバムだったのだ。ディラン作品においてプロデューサーや制作スタッフは誠に責任重大である。

名著「マイルスを聴け!」の中山康樹氏が「ディランを聴け!」を著した。氏はその中でディランの80年代以降のアルバムジャケットのひどさを指摘しているが、これもディランの放置主義の表れだ。ジャケットなどどうでもいいと思っているんだろう。買う方にとっては結構、重要なのだが。

*****

『the bootleg series volumes 1-3 [rare&unreleased]1961-1991』にはディランの最高傑作が2曲収録されていた。
「when the night comes falling from the sky(フォーリングフロムザスカイ)」と「series of dreams(夢の続き)」である。何れも低調期と言われた80年代以降の曲である事が一層、意味を持つ。これらを没にするディランの感覚の方がトホホなのであるが。

「when the night comes falling from the sky」
これは全く素晴らしい。良すぎる。大傑作だ。『Empire Burlesque』(85)というあまり普段、聴かないアルバム(と言うより買ってから2回しか聴いてない。ジャケットも最悪)に入っている同曲のオリジナル没テイクだが、こんな曲あったかなーと思って、確認すると果たしてその公式バージョンはあった。聴いた。しかし・・・・誰がどう聴いても没テイクの方が上だろう。
ディランは一体、何を考えておったのか。曲の出来、不出来を選ぶ基準がどうなっているのか。素人にそんな疑問を抱かせてしまう程、没と公式の両者にこの曲の場合、落差があった。

スライ&ロビーによるズシンとくるリズムセクション。極太で重く、しかもスピードがある。ディランの声は前向きだ。悲観から立ち直りながら希望を歌いあげるパワーが凄い。バックの演奏も良い。特にギターがメロディアスに盛り上げ、中間のソロではディランのこれまでの曲では聴かれないようなある意味、通俗的なフレーズを弾くが、これがまた、泣ける。この熱さ、臭さ、泣き節。ストレートなビートに乗って歌われる希望の歌。曲の進行と共にディランはその歌声を上へ上へと上昇させる。言葉一つ一つの力感が聴く者に突き刺さる。歌の力を実感できる曲だ。

そしてこの3枚組アルバムのラストを飾るのは、又も、‘良くない’という理由で没にされた曲、「series of dreams」である。
80年代ディランの最高傑作と言われる『OH MARCY』 (89)のアウトテイクである同曲。
ドドドドドドドドという低音ベースに導かれ始まる一大叙事詩。後期ディランを象徴する‘つぶやきボイス’にバックのドラマティックなアレンジ。音の厚みもすごい。ドラムとパーカッション、トーキングドラムによる複合的なビート。ギターも計4人か。そして大仰なストリングスにより歌全体を包み込む立体感。これまた大傑作だろう。
アルバムの解説によればプロデューサーのダニエルラノワは‘この曲は絶対、入れるべきだ’と主張したが、ディランがこれを退けた事が判明。やはり犯人はディランであったか。
しゃしゃり出ずに、ラノワに任せておけばいいものを。

何故これが‘没’なのか。私は考えた。
歌詞に今ひとつ納得していないのか。これは他人には解らないところ。アルバム『OH MARCY』の中にこの曲の居場所が見つからないと判断したのか。じゃあ、シングルにすれば良いと思うのだが。曲調、アレンジがややU2に似ている事を嫌ったか。これだ。私は案外、ここらあたりに没にする理由があったのではないかと思っている。嘗て『Street Regal』(78)の何かの曲で「ディランがブルーススプリングスティーンをコピーした」とか言われ、「年下の人間のコピーなどしない」とムキになって反論した事もあった。
ディランは以外とこういう低次元の批判を気にするところもある。‘また言われそうだ’なんて思ったかどうか。

いずれにしても「series of dreams」は傑作だ。前曲「When the night comes falling from the sky」がフェイドアウトするその余韻を残しながら続編のようにフェイドインして始まる。この並べ方、演出は見事だ。
<夢の続き>と邦題がつけられたこの夢幻のようなナンバー。曲が地面すれすれのところから始まり、上昇カーブを描きながら、ぐんぐん高く舞い上がる感じ。やがて高速になり、天上に達してしまう。そして少しずつゆっくりと現実へと舞い戻り、静かに着地する。起承転結をその凹凸を感じさせず、大きなうねる流れの線にして見せているかのようだ。全く素晴らしい。すごい。
<アーティストの意向により歌詞を省略させていただきます>とクレジットされた唯一の曲でもある。言葉数が多いディランナンバーは多いが、ここでは何か確信的で重要な言葉のみを低い発声でメッセージする姿がある。ディランにはサウンドに左右されない言葉の力がある。それは確かだ。しかし最高のサウンドとボイス、言葉の力が一体化した時のディランミュージックの奇跡は最早、至上であろう。「series of dreams」はそれを証明した。

『the bootleg series volumes 1-3 [rare&unreleased]1961-1991』に収められた名曲、名演の数々。
もう今となっては何故、没としたかなどは愚問であろう。ディラン自身がもう覚えてはいないのではないか。直感の天才とはこうゆうものだ。
恐らくまだあるのだろう。世に出していない名曲、録音された名演がまだ多く眠っているのではないか。そんな疑念さえ湧いてくる。あるならもったいぶらずに出して欲しい。
もっともそれはディランという‘わかってない’天才を説得しなければならないのだろうが。


1996年6月

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016.10.22(土)Oko大阪公演

2016-10-21 | 新規投稿
ヨーロッパ即興シーンからプリミティヴな衝動! ベルリンを拠点に即興、エレクトロニクス、民族音楽をミックスするOkoの大阪公演

@Common cafeコモンカフェ

19:00 open 19:30 start charge2000yen+drink

<Oko> Olga Nosova [percussions, voice and electronics] Alberto Cavenati [guitar and electronics]

向井千惠 MUKAI Chie [二胡er-hu,voice] × 磯端伸一 ISOHATA Shin’ichi [guitar]

宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass,sampler] ×長谷川夕記 HASEGAWA Yuki [drums, electronics]

Common cafe 大阪市北区中崎西1-1-6 吉村ビルB1F 06-6371-1800 (ライブ当日のみ) ※地下鉄谷町線中崎町駅4番出口を上がったところでまわれ右して直進、 パーキングを越えてすぐ左手、岡村診療所のあるビルの地下です。 ※予約、お問い合わせは音波舎まで。 ompasha.otononami@gmail.com お店への電話はライブ当日のみでお願いします。

<Oko> Olga Nosova [percussions, voice and electronics] Alberto Cavenati [guitar and electronics]

ユニット名のOKO(オコ)とはスロベニア語の慣用句の「目」を意味する古代語であり、ロシア出身のオルガNosovaとイタリア出身のアルベルトCavenatiからなるデュオでベルリンを拠点に活動している。世界中の民族音楽に関心を示し、彼らはそれらの膨大な量の調査に基き、即興の構成に組み合わせる手法を選んでいる。オルガは、ロシアとヨーロッパ即興音楽シーンの中でノイズ、実験からelectroacusticとフリージャズに至るまで幅広く活動し、ピーターブロッツマンPeter Brotzmann等、多くのミュージシャンと共演している。また、実験的なデュオAstma(with Alexei Borisov)のメンバーでもある。アルベルトCavenatiは12歳でギターを演奏し、ロック・ギタリストとしての活動を経て主にジャズ音楽に焦点を当てる演奏に変化してきた。https://soundcloud.com/alberto-cavenati/sets/oko-demo-japan-tour/s-rGzXr



向井千惠MUKAI Chie [二胡er-hu,voice,dance] 1975年、美学校小杉武久音楽教場に学び、二胡を手にし、即興演奏を始める。1981年より自身のグループ“Ché-SHIZU (シェシズ)”を始める。 現在、Ché-SHIZU、即興演奏グループ“打鈍 (dadunr)”、“amabeys!”、ソロの演奏の他、様々な音楽家、舞踏家、パフォーマー等と国内外で共演している。 即興表現によるMIXED MEDIA ARTのフェスティバル“PERSPECTIVE EMOTION (透視的情動)”主宰。 即興表現ワークショップを各地で開催している。http://www.kilie.com/mukai/



磯端伸一 ISOHATA Shin’ichi [guitar] ギタリスト、コンポーザー。1962年大阪府出身。1985年から1991年まで東京にて高柳昌行氏に師事。インプロヴィゼーションを含めジャンルにとらわれないさまざまな音楽を制作、共演者も多岐にわたる。同門下の大友良英氏とは『EXISTENCE』(2013年)、『Duo × solo』(2009年)の二枚のCDをリリース。その他客演多数。2014年、小谷忠典監督『フリーダカーロの遺品』に音楽参加。http://d.hatena.ne.jp/abst-si/ https://soundcloud.com/shinichi-isohata



宮本 隆 MIYAMOTO Takashi [bass,sampler] リーダーグループである時弦旅団、3mirrors(with木村文彦、石上和也)での活動の他、さまざまな即興演奏の活動を行う。 時弦プロダクション主宰。 http://www.jigen-p.net/miyamoto-takashi



長谷川夕記 HASEGAWA Yuki [drums, electronics] Paradiska等のバンド活動ではドラム、黒いオパール氏とGOATの田上氏とのユニットblack root(s) crewソロ活動ではサンプル音や電子音のエフェクト・ループを中心に音体験を生成する。音もさることながら、その長谷川夕記という名や彼女の独特の性格、ドラム・電子機材に関わらず演奏する姿などの、所謂、さまざまな「自発的な美しさ」も観ているものに捉えきれない独自性を感じさせる。スヌー(Bar Kitty – Nicanor Music -)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディラン断唱 Ⅳ『ロイヤルアルバートホール』  from「満月に聴く音楽」

2016-10-17 | 新規投稿

The bootleg series vol.4 Bob Dylan live 1966 the ‘royal Albert hall’ concert



「観客から受けるブーイングにもう耐えられなくなった」
そう言って一時的に去ったレボンヘルムの代役、ミッキージョーンズを配したディランとザ・ホークス(ザ・バンドの前身)の演奏は確かに喧騒と形容してもいい内容となっている。私はこのアルバムを聴いた時、このミッキージョーンズなるドラマーのバシャバシャ鳴る重々しい音が好きになれず、レボンヘルムだったらもっとグルーブ感溢れるスウィングビートを叩き出している筈で、この点だけが本作のマイナスだなと感じていた。
しかし。
フォークやプロテストソングを愛好する観客の前で期待を裏切るような喧騒を展開した当時のディランの確信犯的試みを考えると、このラウドで下手なドラマーの貢献はレボンヘルム以上だったのかもしれない。とにかくドタバタして野暮ったく、耳障りなドラムだ。しかしこれが効いた。少なくとも観客はそのドラムのヘヴィネスにうんざりする印象を持ち、ディランの音楽性の拡散を事実として受け入れざるを得なくなってしまった。あるいは全く否定してしまうケースもあったかもしれないが。
ここでの演奏は現在の感覚で言えば特別、ラウドなロックではない。むしろ定型的なものだろう。しかし、今日のどのようなノイジーなサウンド、爆裂なロックと比しても、その喧騒ぶりは突出している。つまりこの音楽が鳴らされる場の状態、観客の用意や価値観、それらの要請に背く意外性という基準で見る限り、ディラン&ホークスはノーマルな盛り上がり、相互理解から程遠い特異性を貫き、演奏と会場、観客とのギャップ、乖離という意味での徹底した<喧騒>を実現した。

更に本作のディスク1であるアコースティックサイドでもやはり同様の印象を受けるのは私だけではないと思う。ここでフォークを演奏しても尚、ディランはそのピリピリした会場の雰囲気、よそよそしい観客の反応、無理解、敵か味方か分らないような独特のムードを全身で感じている。それ故の孤独がステージに付きまとっている。全く予定調和的ではない演奏が粛々と進行してゆき、一見、静かな状態の背後にやはり凄まじい程の喧騒が渦巻いている。それを感じずにはいられない。
スポットライトを浴びて一人立つディラン。しかしここでのライブ録音程、たった一人である事を切実に感じさせるものはないのではないか。祝福や理解、容認から突きはなされたディランの孤独が演奏の端々から伝わってくる。

『ロイヤルアルバートホール』(the bootleg series vol.4 the‘royal Albert hall’ concert Bob Dylan live 1966)は1966年、ディランのイギリス公演のドキュメントである。前年の同じく英ツアーの模様は映画『ドントルックバック』でも垣間見られるが、ディランの繊細さと過敏さ、天才ぶりがリアルに映されている。そして怪人マネージャー、アルバートグロスマンの存在感も大きい。1966年当時のディランのステージはアコースティックの部とエレクトリックの部の二部構成で成り立ち、本作もその構成に従い編集されている。

曲の合間の何とも言えぬ白いムードをどう表現すればよいか。
もっとも大部分は好意的な観客で、野次を飛ばすのは一部の者だけではあるのだが、それにしてもライブコンサートでの通常の営為、場の臨場感が喪失された一種の緊張状態の中にディランと観客はいる。音楽による感動を素直に反応し会場が一体化する。そんな要素が感じられず、重苦しい沈黙が時折ある。
文献上での伝説となっていた「ユダ!(裏切り者の意)」「俺はお前を信じない。お前は嘘つきだ」というディランと観客の応酬も私はここで初めて聴く事ができた。他の観客が二人のやりとりを笑い、一触即発の感じではないが、それでも喧騒と白いムード、ピリピリした緊張の感覚は拭えない。
CDの解説には当時のディランのスキャンダリズムを強調している。シュルレアリスムの演劇人アントナンアルトーを引用し、その類似性も指摘している。煽動性こそを目的としたアルトーとディランはコンセプトが異なるが、両者の表現行為の衝撃度においては共通項も見出せるだろう。

但し、ディランのパフォーマンスは<作った歌を好きなアレンジで表現した>という至ってシンプルな動機の域をこえるものではなかったのは事実だろう。
私の結論はこうだ。
ディランの態度、ステージングが当時の通念を超えるものであり、音楽そのものの人々への伝播、受け止められ方に於いては、それ程、スキャンダルなものは決してなかった。音楽の革新的変化を急激に推進するスピードが当時のディランにあった為、音楽性の認知までの時間的ずれは確かに生じた。しかしそれをスキャンダリズムへと直結させたのはジャーナリストの表現過剰(アルバートグロスマンによる意図的戦略もあったのではないか)であり、ディランミュージックの変化は一部のファンを失望させながらも新しいファンを増やしながら、拡大していた。しかも音楽的評価は賛否両論渦巻くが故に、総体的にその情報量が大きくなり、シ-ンにおけるディランの存在感が自然増していくのであった。(話題で埋め尽くし、敢えて議論を撒き散らしていくというグロスマンのプロパガンダがあったのではないか)古いディランをどうしても見たい一部のファンが、今のディランを見てどうしようもなく野次っていたというのが本当の姿だろう。

音楽そのものではなく、ディランの態度、ステージングが異様だったのだ。
ポピュラーミュージックのライブコンサートが当時、どのようなものであったかを考える必要がある。
あの深々と頭を下げ、お辞儀をするビートルズのライブでの姿は、今見ると少し異様だ。常に笑顔。常にヒットメドレー。観客の要請に応え、それに奉仕する事が当時のライブの在り方であった。ビートルズは既に‘実験の季節’に入っていた。ポールマッカートニーを筆頭に、スタジオワークに於いては前衛とポップの融合を誰よりも早く試みていたのがビートルズだった。しかしライブでは相も変わらず「ビートルズがやって来るヤー!ヤー!ヤー!」しか演奏できない。疲れていてもニコニコして手を振らなければならない。ジョージハリスンはノイローゼになってしまったと言う。
60年代半ばまでのライブコンサートは概ねこのようなものであったのではないか。ライブとはショーとしての意味しかなく、アーティストはそれを半ば強要されていた。『リボルバー』(66)以降のビートルズがライブを引退し、スタジオワークだけのバンドになってしまう背景にはバンド内部の意志や問題だけではなく、業界内の在り方そのものに巻き込まれた形でのビートルズの妥協、敗北があったのではないか。

ボブディランはスポンティニアスに音楽スタイルを変化させ、それをライブで演奏するのもまた、ごく自然な事と捉えていた。「I don’t believe you」のMCで「前はあんな感じでしたが、今はこんな感じです」と観客に素直に説明するディラン。そこに別に他意はない。本当に今はこんな感じなのだから。フォークスタイルのオリジナルを破天荒なハードロックで再現したディラン。それは挑発ではなく素直な試みであり、媚びない生身のアーティストの姿をステージでも体現したに過ぎない。観客の要請に従う大方のライブの在り方に逆らい、表現行為の本来の形をディランは態度で示しただけの事だったのだろう。それがスキャンダルに転化されてしまった。

******

『ロイヤルアルバートホール』には真摯なアーティスト、ボブディランの真正面な姿勢がリアルに顕われていた。その姿は一言で言えば真面目だ。その音楽を聴くとアコースティックセットとエレクトリックセットの何れのステージも実に真面目にこなしているのが伝わる。

アコースティックセットであるディスク1を聴こう。
「she belongs to me」、「fourth time around」、「visions of johanna」は何れもバンド形態でのオリジナルをソロによるアコースティックバージョンに改編したもの。私が感心するのはディランのギターの歌心であった。強弱の付け方、ダイナミクスが素晴らしい。ディランがギタリストとして優れているという話はあまり聞いた事がないが、名手と言って良い。そしてハーモニカは間違いなく一級品だろう。
それは続く「it’s all over now、baby blue」で顕著に表われる。この曲のオリジナルはいきなり強烈なボーカルで始まるインパクトあるものであったが、このライブ演奏でディランはむしろ抑制されたトーンで無常観を醸し出しているようだ。この方が‘すべては終わった’と語る同曲の本質を表わすのではないか。しかもディランのハーモニカのソロ、メロディは魂が揺さぶられるような環境を創り出す。間のある空間に静かに炎が立ち上がる。平静を保ちながら感情が限界まで高まり、やがて収束してゆくような緊迫感と抑制、決して膨張し過ぎないブルースが静かに歌われる。素晴らしいナンバーだ。

「desolation row」(廃墟の街)はリズミックにロールするギターのイントロに導かれ、ディランが咳払いしてから始まる。11分30秒に及ぶ長大な幻想物語。

  絞首刑の絵はがきが売られている
  パスポートが茶色に塗られている
  美容院は水夫でいっぱいだ
  サーカスが町にきている
  目の不自由なコミッショナーがやってきた
  みなが彼を恍惚におとしいれた
  片手は綱渡りにしばりつけられ
  片手はズボンのポケットに
  そして機動隊はじっとしておれず
  どこか行きたくてしかたがない
  こんな事をレディと私が見ている今夜 
  廃墟の街から
      (以下略)                     
対訳 片桐ユズル

延々と続くストーリー。10個のバースを淡々と物語るディランは比較的、穏やかに歌っている。アルバム『highway 61 revisited』(65)に収められていたオリジナルの激しさに対し、ここでは物語を確かに伝えようとしているかのようだ。いや、内容よりも言葉のドライブ感を加速させ、観客が受けるイメージや想像的発展を期しているのかもしれない。またしてもハーモニカソロが素晴らしく、アコースティックギターのリズムがそれに従いパターンを変えるアレンジが素晴らしい。その直後、いよいよ佳境に入った感じでギターのストロークが激しくなり、声を拾うマイクとの距離が近づいたのか(多分そうだろう)ボーカルバランスが崩れる。しかしそのインパクトが逆にクライマックスに至ってしまう。すごい演奏だ。たった一人によるラディカルな表現の力に脱帽する。

「just like a woman」もアコースティックバージョンになる事で曲の核が浮かび上がる。原曲はリズムとメロディのアンサンブルと不思議なバックのアレンジが魅力だったが、ここではメロディをジャストなリズムで発せず、小節をはみ出し、崩す事によってより言葉重視の本質が浮かび上がった。

アコースティックサイドの締めくくりは名曲「Mr. tambourine man」

ヘイ、ミスタータンブリンマン うたっておくれ
ねむくはないけど行くところもない
ヘイ、ミスタータンブリンマン うたっておくれ
ジャンジャンジャンの朝に ついていこうよ
夕べの帝国は砂にもどり
この手から消え
ひとりここに訳も解らずに立ってはいるが まだねむくはない
この倦怠はものすごい わたしは足に釘付けになっている
だれにも会いたくないし
むかしのむなしい街頭は夢を見るには あまりにも死んでいる

だから連れてっておくれ 心の煙の輪をくぐって消えながら
時間のかすんだ廃墟をとおり、こおった葉っぱをすぎて
気味悪い、おびやかす木々が風の浜にならび
くるった悲しみのひん曲がった範囲からとおくはなれて
そう、ダイヤモンドの空の下で踊ろうよ
片手をかってにふりまわし
海をバックに、サーカスの砂でまるくかこまれ
全ての記憶や運命を 波底ふかくおしこめて
きょうのことは忘れよう あすまでは
                            対訳:片桐ユズル

ディラン特有のシュールリアルな歌。
自由なイマジネーションを喚起させる幻想詩だが、テーマの明確さを兼ね備えた内容でもあるだろう。<タンブリンマン>とは<ビートを打ち、リズムを司る人>と私は解する。それはリアリストの化身である。ディランの主眼はいわば幻想からの帰還、退廃からの脱却ではないか。そんな意志と強い現実認識の象徴としての<タンブリンマン>を想定する。しかも幻想、退廃といった迷路をより強固なリアリストたる道程への不可避なものと捉えるところにディランの神髄がある。
ここでのディランはギターのバッキングに間をもたせ、ストロークを一定のリズムで演奏するのではなく、言葉の強弱に合わせるような弾き方をしている。生演奏ならではの生き物のような曲となり、歌の進行に対し聴く側は予想を超えるものを期待する高揚の感覚が生じる。絶妙なハーモニカの印象度も際立ち、ラストのハーモニカソロは例えば、凡百のジャズのサックス奏者がかかっても勝てない程の表現力を持つものだろう。
アコースティックサイドでディランは究極のソロ演奏を記録した。
私が強く感じるのは、会場の広さ、乾いた空気。観客の眼差し、凝視、期待。ディランの孤独、情熱。緊張感に満ちた異様な空間、である。
ここでのディランはショーアップされた音楽会からは程遠い、表現の深さと光輝なるを実現した。

********

ディスク2はエレクトリックセット。
ここでディランはボーカルスタイルを変え、バックバンド、ザ・ホークスとの一丸となった演奏を繰り広げる。いよいよ<喧騒>の第二幕が始まる。ミッキージョーンズのドカドカドラム、リックダンコはボンボコベース、ロビーロバートソンはパキパキギター、ガースハドソンはヒュラヒュラオルガン、リチャードマニュエルは・・・・・・・ピアノ(殆ど掻き消されています)。ディランのボイスとハーモニカはナイフのよう。

1曲目「tell me,momma」
出だしのカッコ良いこと。チューニングやら音の確認を手探りで行ないながら、ビートに入っていく。ディランは声を引き延ばし、ノイズ一歩手前の領域を行き来している。スタジオテイクは存在しないので唯一の録音となった曲だがカッコ良すぎるだろう。何故正規の録音をしなかったのだろうか。
「I don’t believe you」は先述したとおり、ミディアムテンポのハードロックに昇華された問題作。これは最高だ。高らかに歌い上げるディランのエネルギーにロックの原型を見る。不思議なのはこの曲及び続く「baby, let me follow you down」が以後、二度とフォークスタイルで演奏される事はなく、ザ・バンドの『ラストワルツ』(78)においてもほぼ同じアレンジで演奏されている事だ。「baby, let me follow you down」はディランの曲ではない。しかしディランはこの曲を度々取り上げている。好きな曲なのだろうか。その『ラストワルツ』では何故か二回も演奏した。一回で良いと思う。私はこの曲はあまり好きではない。

「just like tom thumb’s blues」はゆったりとしたビートに乗った緊迫感溢れるパンクナンバー。ガースハドソンによる摩訶不思議なキーボード、そのコードワークを堪能できる。
「leopard-skin pille-box hat」はディランがだらだらとした口調で曲を紹介するが、変な野次や観客の間の抜けた手拍子で始まらない。しかし一旦、始まるやその火の出るようなロックンロールは全開する。ドッタンバッタンのミッキージョーンズのドラムもこの曲だけはグルーブある好演だろう。ロビーロバートソンのギターソロ、ガースハドソンの天才的バッキングが素晴らしい。しかし一番素晴らしいのはディランのシャウトだ。パンクとしか言いようのないその毒気、ボイスによってサウンドがローリングするこの曲。アルバム『blond on blond』収録のオリジナルよりパワーに溢れているだろう。

「one too many morning」が始まる前、ディランがしばらくボソボソ呟く。ライナーには<意味不明>とある。そして観客のヤケクソのような手拍子に「そんなに強く手を叩かなくてもいいのに」と言い放った。答えるように観客は拍手と歓声。分けが分らない。曲は端正なものでリックダンコのコーラスが嬉しい。ロバートソンのギターソロが素晴らしいがその後ろでディランのギターがヘタウマに絡み、ごちゃごちゃになってしまう。邪魔だろう。台無しだ。どの曲もそうだがエンディングでシンバルがバシャーンと派手に鳴らされ、余計、そのラウドさに拍車がかかる。ヘビメタじゃないのだから。

「ballad of thin man」のスローテンポで重々しいサウンド。ガースハドソンのキーボードの音の選び方、音響効果が凄い。ヘヴィな曲調をドラマ仕立てにしているだろう。しかしディランの邪悪的な歌声によって観客には段々、一種の重圧が重くのしかかる。
<なにか起こりつつあるが、あんたにはわからないのさ、ミスタージョーンズ>

サビの歌詞が観客に突き刺さる。何度も繰り返されるうちにまるで自分に向かって言われているような気分になる。(ジョーンズという名の人もきっといるだろうに)もううんざり。ここらで軽めの歌が聴きたいかなという感じだろう。従って曲が終わっての拍手喝采は曲への敬意であると同時に、やっと終わったという喜びの拍手であるかのようだ。その証拠に拍手は突然、ぱっと途切れ、重く白い沈黙が会場を支配する。この沈黙はいたたまれない。メンバーの気持ちは想像するに難くない。この間は何なのだ。あまりにも白い。
その重い沈黙を破ったのが一人の観客による「ユダ!(裏切り者)」という叫びだった。
ロビーロバートソンが「でかい音でいくぞ!」と叫び、ラストナンバー「like a rolling stone」に突入する。後にロック史上最大の名曲と呼ばれる事になるこの曲。もうバンドが一丸となってと熱演。獰猛な音響がこだまする。しかしやはりドラムが全然グルーブしない為、重々しいヘヴィネスに全体が貫かれる。テンポももたつき気味で全くローリングしない。転がる石というより蛇行する機関車と言ったところか。この「like a rolling stone」が最初、ワルツであったことは『the bootleg series volumes 1―3』収録の没テイクで知った。軽やかなワルツが、正式テイクではグルーブ感溢れる痛快なロックナンバーとなった。長い曲だがポップフィーリングを保持した為、快楽が持続するような傑作となった。
しかしここでの演奏は善し悪しを超えて、もうどうしようもなくリアルな現場感覚と演奏者達の感情が無秩序に出てしまった。ドラムに引きずられて全員がゴワー!っという感じで全く理性がない。ハドソン博士までもがキレてしまっている。みんなヤケクソのようにも感じる。しかも悪い事にこの曲もサビの歌詞が<どんな気がする?(how does it feel?)>という挑発文句のリフレインだ。客も怒るで。

8分もの長く熱く粗い演奏が終わる。
拍手とブーイングがディランに飛ぶ。そしてやはりぴたっと止む拍手。静まりかえった会場。例の白い間が支配する。シーンとしたところで、閉幕の音楽。アンコールはなし。
何なのだろう、この醒めた雰囲気、後味の悪さは。人々の興奮や困惑、考え込む姿等が伝わってくる。
このライブアルバムは正に記録的な代物、ドキュメンタリーとでも呼ぶべきものだ。
この独特の雰囲気、緊張感を創り上げたボブディランはその後、70年代にディラン&ザ・バンドの充実期を経て最強グループ、ローリングサンダーレビューへと至る。

余談であるが、この歴史的演奏に名をとどめたドラマー、ミッキージョーンズはまもなく音楽を辞め、俳優に転身して活躍しているという。彼は一体、何だったのか。

1999年4月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ディラン断唱 Ⅲ 『HARD RAIN』 (激しい雨) from「満月に聴く音楽」

2016-10-15 | 新規投稿
ディラン断唱 Ⅲ
Bob Dylan 『HARD RAIN』 (激しい雨)

「我々はハンガリーから来たジプシーだ」
グリニッジビレッジの路上でバイオリンを弾くスカーレットリベラを発見した時、ディランは彼女にそう言った。リベラの放浪者然としたそのムードを見たディランの直感がそう言わせたのであろうか。更に言えばリベラに類似性を認めたディランはこの無名のストリートミュージシャンに自身の以降の音楽的方向性、人生と音楽の関わり方を示唆されたような気分になったのかもしれない。

1975―6年にディランが主催したローリングサンダーレビューとは多数のアーティストが入れ替わり立ち替わり登場する旅芸人一座の如きものであったらしい。これより前、ディランは南フランスでヨーロッパ中のジプシーが集うフェスティバルを見物している。何らかのインスピレーションがあったのだろう。ディラン自身が放浪する東欧ユダヤ人を祖父に持ち、その祖父母がそれぞれウクライナ、リトアニアからアメリカ大陸に移住したのは第一次大戦前だと言う。従ってディランは古いアメリカ人ではない。寧ろ新参の移民者の息子だ。根無し草の如く漂流する性質は備わっていたはずだ。
ジプシーの祭典、スカーレットリベラの発見、そして古き盟友ジョーンバエズ。様々な触媒に感化されたディランは自らのルーツの再確認による表現行為の旅に出た。さしずめローリングサンダーレビューとはその出発地点と言えるだろう。その通り、ディランはこのイベントによって以後の人生に音楽の旅を全面的に当てる事を選択した。ローリングサンダーレビューを契機として80―90年代、そして2000年以降も‘ネバーエンディングツアー’と名付けた公演旅行を長期継続させている。ディランは60年代に成し得た偉業によって掴んだスターとしての自己の開放とそれに替わる旅芸人という新たな、そして本来の自分の本性に立ち戻ろうとしているのだ。

ライブアルバム『激しい雨』 (HARD RAIN)はディランが行ったローリングサンダーレビューのドキュメントである。アルバムジャケットの化粧したディランの異様なアップは本作の激しさ、内面性をそのまま表した素晴らしいものだ。
このアルバムは激しい。ディランの即興アーティストとしての才能、爆発力をまざまざと見せつける。そして無名、有名おりまぜた参加メンバーらによる究極にグルーブする熱演が本作では正に驚異的に感じられるのである。

1曲目「Maggie’s farm」はステージと観客の等しいざわめき、楽器をチェックする音などの一瞬の混沌から少しモタモタするような手探りのイントロに入り、やがてスピードが乗ってグルーブに至る。この生々しさが緊張感を増す。アルバム『bringing it all back home』(65)に収められたこのパンクの原型のようなアジテーションソングをここでは更なる叫び、更なる訴えでディランは取り上げた。
「マギーの農場で働くのは、もうやめだ!」
自立のテーマは永遠だ。23才のディランが歌った「Maggie’s farm」と35才のディランがここで歌う「Maggie’s farm」は時を経ても変わらぬ問題、変わらぬ現実、そして変わらず存在し続ける切迫感がある。ディランは自分の歌を大事にしている。しかも永遠に歌の重要性を溶解させてしまう事なく‘今、歌うべきもの’として保持し続ける。多くのアーティストが過去の自作を歌うとき、弛緩した懐メロになってしまうのとは全く異なる次元にあるのだ。
それにしてもこのアレンジの斬新さはどうだ。原曲とは全く別の曲をもう一度作ったかのような新しさである。サビの前のブレイク、そのサビに入るタイミングの自由さ。他のメンバーは即興的に間合いを計るディランについていく。ディランの指を、口を、表情を注視しながらグルーブに入っていく。そのズレの格好良さ。こんな自由でいて、しかもダラダラしたところのない演奏は聴いた事がない。集団即興のような奔放さがあり、尚かつ強力なグループとしての一体感、疾走するビートの塊のような印象がある。ベーシスト、ロブストーナーの転がすようなビートのグルーブが特に印象的な曲であろう。

この「Maggie’s farm」一曲を聴くだけでもディランが行ったローリングサンダーレビューが自由と即興のエネルギーを重視した祭りのようなものであったという報告に納得がいくのである。その記録である『激しい雨』での演奏はテンションの高さにおいて他のディランのライブ音源とは異質であるとさえ言えるだろう。ザ・バンドとのジョイントだった『偉大なる復活(before the flood)』(74)も確かにエネルギッシュな演奏ではある。しかしこの『激しい雨』のような自由度と偶発的なエネルギーをそこに感じる事はできない。しかもディラン自身の声のレンジの広さ、多様性、強弱感といったものを同アルバムほど見せつける作品もまた、ない。

******

アルバム『激しい雨』でのディランは明らかにテンションが高い。
ディランのパンクナンバー「Maggie’s farm」に続いて「one too many mornings」が演奏される。これはまたマイナーな曲をもってきたものだ。プロテストフォークの名盤と言われた『時代は変わる(the time they are a changin’)』(64)に収められた曲である。ここでもサウンドが大胆にアレンジされ、歌詞も一部、書き換えられておりオリジナルとは別の曲と言って良い曲となっている。ディランの歌に手探りでついてゆく演奏者達。ずれて入るバックコーラス。スカーレットリベラの哀愁を帯びたバイオリン。そのどれもが素晴らしい。このどっしりした重みはディランの発声の重さが原曲をどうにでも変幻させ、自由に甦らせてしまう一つの証しであろう。

3曲目「Memphis blues again」はアルバム中、最もポップでリズミックなナンバー。「Maggie’s farm」と同様、ベースのドライブ感が強力である。そしてディランの表情豊かなボイスとバックコーラスが素晴らしい。ディランはその声を上へ上へと向け、高らかに歌い上げている。それは開放感につながり、音程のバランスやコードの枠組みをソウルがどこまでも突き破ってしまうような拡がりをもたらしている。この「Memphis blues again」、あるいは「lay lady lay」はその典型であろう。
しかしディランのボーカルパフォーマンスが味わい深いのは、発声の高揚感がストレートな感情の放出という簡単な次元には終わらない為である。実質はもう少し複雑で深いレベルにこそディランのボーカルの魅力がある。

ディランが自らの歌を歌う時、そこには‘体験’を歌う‘リアルさ’をディラン自身がより強固なものにしようとする意志、自らの歌=体験を全面的に受け入れ、もう一度自分の側へ、内面へ取り込もうとする意図が感じられる。従ってディランの表現世界は内面をさらけ出す性質の感情放出ではあるが、そのレベルはシンプルではない。むしろ複雑だ。‘ストレート’に忠実であろうとするその結果、より複雑な内面の表現、重層的なパフォーマンスとして現れ出ているという感じだ。それによって歌が歌われるそのリアルタイムの情況に応じた感情の揺れ、振幅性がその時々に違う姿となって現れるのである。
このようなディランの歌とは正に生き物であると感じざるを得ない。
つまりディランの‘体験’=‘歌’は安定したワンサイドの感情で歌え、捉えられる代物ではない。そこには絶えず多様な感情と解決困難な迷宮的テーマがあり、哲学がある。それを歌うという行為はそれ自体が不安定や未決定とのたたかいである。

アレンギンズバーグが指摘するユダヤ旋法のメロディーを持つ「oh sister」はいきなり歌だけで始まる。聴衆の騒々しいざわめきの中、静を促し、場を取り戻すようなインパクトあるスタートだろう。聴衆は静まる。そして曲はスローテンポで重く、噛みしめるように進行する。上手いのか下手なのかさっぱり定かでないスカーレットリベラのバイオリンはしかしここでも素晴らしく、この曲のジプシー的感覚、放浪と祈祷の雰囲気を見事に演出する。そしてディランの祈りのような歌声。全くとてつもなく重量感のある曲だ。

アルバム『激しい雨』のB面は「shelter from the storm」(嵐からの隠れ場所)で始まる。アルバム『blood on the tracks』(血の轍)に収められたあのディランバラードの名曲である。しかしここではまたしてもそのアレンジを大幅に変えられ、なんとハイテンションのハードロックに昇華されている。
イントロで響くスライドギターの厚いリフとエッジの効いたギターのリズムの絡みが早くも既にグルーブに突入している。しかもディランのシャウトは強烈だ。それも曲が進むにつれ、その声を段々と上昇さていき、最後にはヤケクソのような感情のキレを見せる。圧巻であろう。バックの演奏はそんなヒートアップしたディランに煽られ、同じ章の繰り返しで構成されるこの曲を見事に火の点いた、平坦ではない上昇カーブを描いてすっ飛んでいくような曲へと導いている。全く凄いエネルギーの演奏だ。何故あの原曲がこうなってしまうのか。後半でのサビのあとのインスト部での楽器群の騒ぎ様、爆発力は全く並ではない。正にどんちゃん騒ぎの如くそのドライブ感である。このドライブ感は自然発生的なものだ。この曲を聴くと場の臨場感とそれ以上に演奏者達の火の点いた内面まで感じ取る事ができる。‘触発’される事で伝導されるパフォーマンスの一体感が凝縮されているナンバーだ。

「you’re big girl now」(きみは大きな存在)もアルバム『blood on the tracks』に収められたディランの超名曲。未練がましい別れの歌をその歌詞の内容の通り、‘泣きながら歌う’というディラン以外では歌唱不可能なナンバー。またもヘヴィーに再演される。原曲での語りの美しさ、その端正さがここでは重いリズムと遅いテンポに引きずられるような進行と独特の歌の間、演奏の中断などのアレンジ、自然発生的な揺れによって、曲の核、その魂がより強く抽出される。歌の悲惨さ、悲劇的要素がさらに倍加され、ディランの感情はそれこそぐるぐる回っている。‘重い曲’である事を改めて認識させる演奏だろう。

本作で唯一、レイドバックした曲は続く「I threw it all away」だろう。カントリーミュージックのおおらかな要素がペダルギターの浮遊感によって決定され、空間に晴れ間が広がる。これを聞く私達は束の間のリラックス感を味わえるのではないか。
しかしだ。この曲はあのカントリーアルバム『Nashville skyline』(69)に収録されていた曲だが、オリジナルを改めて聴きなおせばその原曲の脳天気な明るさに比べ、ここでの演奏がいかに激しいかが自ずと解るだろう。レイドバックとは感覚の錯覚であったか。アルバム『激しい雨』の中では比較的、穏健という印象なのが客観的な見方であった。

アルバム『激しい雨』は多数のミュージシャンがごった返すように演奏するそのラフで場当たり的な臨場感が大きな魅力なのであるが、それでもそんなハチャメチャさの中にメロディーの核心を感じさせるものがある。
それはディランの強烈な声によるものが大きいのは事実であるが、それ以上にバックの演奏による‘音楽の中心’への輪郭付けが見事であるからであると私は感じている。ディランの曲で‘メロディー’を感じるとしたらそれは‘歌メロ’によるものではない。それはいつもバックのインストゥルメンタルによってであると極言しても良いほどだ。嘗てのアルクーパー、マイクブルームフィールド、ザ・バンド、エリックワイズバーグといったミュージシャンの演奏は私達に強い印象を残している。ディランは得てして歌を解体する。そこには自らの歌のソウルを原型で抽出する志向が極限へ向かう為、メロディーという歌の‘外側’(=現れ出たもの)を突破してしまう過激さがあるからであるが、それを補って余る演奏をしたのが先にあげたディランのバックプレイヤー達であったのだ。
そしてアルバム『激しい雨』でのミュージシャン達、即ちロブストーナー(b)、スティーブンソロス(g)デビッドマンスフィールド(g)、ハワードワイエス(ds)、ミックロンソン(g),スカーレットリベラ(vl),T-ボーンバネット(g,p)達はディランのナチュラルでアバウトな歌い方、演奏にメロの輪郭、枠付けをするべく悪戦苦闘する。しかしそこに、ディラン以上のラフさ、いい加減さでアンサーする事も厭わぬ熱演が例えようのない相乗効果を生んでいるとも言えよう。何とも不思議なバンドであった。

********************************

アルバム『激しい雨』の締めくくりはディランの生涯の最高傑作「idiot wind」(愚かな風)だ。やはりこの曲がきた。この10分11秒に及ぶ演奏は正に衝撃的である。原曲にあった内面の激越さの表現をここでは倍加したハードネスで表出する。
ここでの音楽はまず、表現者の‘ぶざまさ’が存在し、しかもそれが聖的に顕われる。限りなく赤裸々である事。様式や技巧をものともしない、芸術の真の感動力とはこの「idiot wind」のような表現者の‘ぶざまさ’が鬼気迫る勢いで伝わってくるものではないだろうか。それは時に敗北性を醸し出す事もあるだろう。しかし本当のポジティブさとは敗北の連続の中に、長い迷宮の果てに獲得し得るものである事も私は事実であると思う。下降する精神とは凄い芸術を生む力である事は間違いない。
ここで連想されるもう一人の‘ぶざまさ’を体現する人間はやはりジョンコルトレーンだろうか。息が切れるまで、よだれをダラダラ流しながら死を直視するかのように無心でテナーを吹くあのコルトレーンの姿がディランにオーバーラップする。

長い歌詞を延々と叫ぶディラン。語尾を上げ、ダミ声の限りを尽くし絶叫する。バックのミュージシャンはディランのこの地獄絵巻についていくしかない。

おれは易者に駆け込んだ 
彼は稲妻に気をつけろ 落ちるかも知れないと言った
おれは静けさと平和がずっとなかったので どんなだか忘れてしまった
十字路にはたった一人の兵士がいて
煙が貨車のドアから吹き出ている
きみは知らなかった そんな事があろうとも思わなかった
ついに彼は勝った 
連戦連敗のあとで
おれは道ばたで目が醒めた
白昼夢する 物事が時にはどうなるかと
君の栗毛のメス馬のまぼろしが 俺の頭を打ち抜き
俺は星が見えてしまう
君は俺が一番愛する人々を傷つける
真実を嘘で隠す
いつか君はドブに落ちて
目のまわりにハエがうなり
君の鞍には血が流れるだろう

われわれを引っ張り込んだのは重力で、
   引き裂いたのは運命だった。
君は俺のオリの中のライオンを手なずけた
だが心まで変えるには至らなかった
今やちょっとばかりひっくり返っている
実際、車は止ってるし 良かったことは悪く
悪かったことは良い
てっぺんについたら判るだろう
それはどん底だってことが

君はもはや感じられない
君が読んだ本に触ることすらできない
君のドアを這って通り過ぎる時
俺は誰か他の人間だったら良かったと思う
ハイウェイをずっと。線路をずっと 恍惚の道をずっと
俺は君について行った 星空の下
君の思い出と
君の怒り狂う栄光に駆りたてられ

   俺は遂に裏切られ
そして遂に 今や自由になった
俺はキスする 吠える動物
それは君と俺を分ける国境線上にある
君に判るまい 俺の苦しんだ傷も
君が克服した苦痛も 同じ事が君についても言えるだろう
君の神聖さとか 君の種類の愛とか
それがすごく残念だ

愚かな風 君のコートのボタンを吹き抜け
我々が書いた手紙を吹き抜ける
愚かな風 我々の棚の上のちりを吹き抜ける
俺達はばかだぜ
今でも飯が食えるなんて奇跡だぜ

(訳詞;片桐ユズル)

何が言いたいのか解らないがとにかく凄い。
いや、これは何らかの主張やメッセージではなく、感情の爆発的発露であろう。スタイリッシュさの微塵もない魂の表現。「idiot wind」は私達の腹に響く強烈なボディーブローのようだ。憑かれたかのようなディランの絶唱。音程ははずれ、リズムは前のめりになる理性の枠の決壊。そしてソウルの放流状態。バックミュージシャンはそんなディランについてゆく。自らも血を吐くようなプレイを続行する。バンドリーダー、ロブストーナーのバックコーラスは時にディランの前に出たり、ずれたりして、そのバラバラな混ざり具合が一層、演奏の一体感を不思議に醸し出すのだ。レイドバックなムードに効果的な筈の楽器、ペダルギターもここではヘヴィーに音塊をばらまくスペーシーな音響効果と化す。まるでシンセサイザーだ。そして全体の演奏がもはや、熱体物の塊のようなものへと科学変容している。恐らくここでのディランは生涯の絶頂ではないだろうか。

ディランが到達した高みとは言語と音楽表現における未知への開拓であると言って良い。そこは誰もまだ踏み入れていない領域だ。嘗てランボーやロートレアモンが幻視したものをディランもまた、直感的に捉えているのではないか。という事はディランミュージックの神髄とはシャーマニズムなりという結論が導き出せるかもしれない。
ディランはイマジネーションの心棒者だろう。言葉の魔力、言葉の表面上の意味よりもそれが発声される事によって生み出される、より広汎な想像力、呪術性に対して疑念は持っていない筈だ。
音楽が近代以前に果した役割。それは治癒であり、司祭、共同体の結束などに見られる、娯楽以上の重きを果していた。生活基盤そのものに音楽が存在していたのではなかったか。
ディランは娯楽産業として成立し、社会に於ける一付随物と成り果てた音楽を人間の側へ取り戻す一種の‘感性の革命’を成し得ている。そしてそれを聴く私達は先入観による表面感覚や、固定された感性の領域を拡大、向上、深化される体験を得るのだ。‘違和感’を投与される事で共通意識そのものの変容が成されるのである。

ディランはその初期の活動期から現在を通じて‘時の声を代弁する意識’は希薄だと思われる。社会派、メッセンジャーと目されるディランだが彼の意識する歌の力とは何らかの既成の思想、反体制の思弁、若者の心情などには密着していない。それらは弱冠はあるだろうが、それよりもディランは明らかに自分の内部へ向う旅に忙しいのだ。ディランが歌に見出しているもの。それはむしろ歌の霊力だろう。

ディランはアフロアメリカンのブルースとカントリー、プロテストソングとしてのフォークの心棒者として出発し、ロックとの融合に成功した結果、よりポピュラーなアーバンブルースを創出した。しかしながらアルバム『blood on the tracks』以後、ディランは自らのルーツブルースを発見し、それが自然体で成立した。
異邦人ディランがアメリカで発見したもの。それは夢の裏側にある孤独。永遠に変わらぬ疎外感と内面に宿る神性だろう。ディランは外側の情況(現実世界、社会の出来事、人々のマインドetc…)を自らの内側で体験する。そして表現される世界は他者とのコンタクトを霊感によって深化させる。それは表層ではなく、結果としてより強固な結びつきとなる。
ディランの歌が精神の共同体を目指すとすればそれは現実という枠に収まるメッセージの共有という次元ではない。そしてその歌は単に現実を反映したり、批判したりするものではありえない。ディランの歌は歌自体が霊的媒体として現実の超克を志向する精神的共同体そのものを目指している。ディランの歌の味わい深さの秘密がここにあった。

ディランは80年代以降、再生派キリスト教へ傾倒し、宗教三部作と言われるゴスペル作品を制作し、その後、ユダヤ教へと感心が変化する等、具体的に神についての歌や宗教観を音楽化するに至るが、ディランが歌に神性を宿し始めるのは実はその初期活動からであろう。ただ、そのような特質が表面化するのはアルバム『blood on the tracks』(75)からである。ブルース、ロックンロールの影響下にあるスタイルが段々、薄れていき、ユダヤジプシースタイルとでも言うべき独特のディランの様式が生まれ、それが歌の広範な伝播へと繋がったのである。ディランの大衆性の獲得はヒットチャートでの数字だけを見ても把握しきれない部分にこそある。ディラン体験による精神的昇華と濃度、その影響力は人の内面から変容を促すという意味で決定的なものだろう。

********************************

ディランのライブドキュメント『激しい雨』。このタイトルの意味は何か。
ディランは「僕の作品は心の血を通して理解される」と語った事がある。私は『激しい雨』というタイトルに人の内側に常に降り続ける激しい雨をイメージした。ディランはこのアルバムの各曲で雨にずぶ濡れになりながら叫び、歌っているようだ。余りにも激しい。それは「idiot wind」において顕著だろう。「idiot wind」でのディランはトランスゾーンへ突入し、神懸かり的状態で言霊を発している。この激しさはディランの意図したものか。このアルバムに与えられる‘ストレートな感情の発露’‘ストレートなロックの生命力が発揮されている’という批評は私には今ひとつ納得がいかない。なぜならここでのディランはとても揺れている。決してストレートではない。外向的なパワーに満ちた音楽ではあるがその内面たるや、決して一定方向の感情で統一されてはいない。従って単純な確信性では済まされない複雑な精神性が表現されている。
それはディランの目論む神性さ、神秘さと初期衝動的エネルギーとの間の凄まじい往復が強く感じられるからである。それは聖と俗との間隔磁場の揺れであるかのようだ。

アルバム『blood on the tracks』でディランは霊感の意識的注入といった作業を実行し、成功したと自ら語っていた。これは無意識や意識下にある能力や効力を意図的に設置し曲中に再現した事だと思うが、そこには冷静な判断力や意識操作があったに違いない。そうして生まれたのがあの言葉とサウンドの錬金術的結合の如き作品『blood on the tracks』であり、その代表的ナンバー「idiot wind」(愚かな風)だったのである。
しかしアルバム『激しい雨』における「idiot wind」はそういった意識的な作品性への昇化、技術的意図は感じられない。その演奏は全く型破り的ですらある。ディランは自らが到達した「idiot wind」を更なる肉声でもう一度解体し‘聖’への攻撃を仕掛けている。ディランとバックミュージシャン達は「idiot wind」という何度もプレイし続けているこの曲を一種の真空状態の中から始めている。そしてその時の雰囲気、今の現場の空気、リアルタイムのプレイヤーの感情は「idiot wind」という既にある建造物を取っ払って存在し、新たな生物へと再生させている。それはディランの支配をも放棄し、ディラン自身すら、自らの聖域を目指す曲の再生へ向う自分とそれを拒むアナーキーな自分の内側の欲求との間に揺れ動いている。
それはこの10分11秒に及ぶ演奏の後半に顕われる声の‘確信性’と‘震え’が一体となった緊張感が証明する。

アルバム『激しい雨』が‘ストレート’と形容されるならそれはディランの当時の内面の多面性、放浪と祝祭、そして孤独という連続する感情の変化が‘ストレート’に出たと言った方が正確だろう。従ってその音楽は苦行的なパワーに溢れている。エネルギー発散型の演奏でありながら、そこに明らかな楽天性と苦しみのせめぎ合いがある。それ故、この作品は味わい深いのだ。

私は炎のようなこの「idiot wind」を演奏し終わったディランの感情を想う。ディラン自身はある種の満足感を得ながらも更なる旅への決意の中にいたのではないか。演奏が終わった後の観客の反応は異様である。ここにあるのはコンサートにままある、割れるような拍手や予定調和の歓声ではない。「idiot wind」が終わった後の観客の興奮状態はそれをどう表現すれば良いか解らず、途方に暮れてしまったかのような叫び声や沈黙が支配している。アルバム『激しい雨』はこの現場の空気を見事に記録している。ここでのムードは正しく異様であり、こんなライブアルバムは余り聴いた事はない。強いて類似作品を挙げるとすれば、ジョンコルトレーンの『village vanguard again』、或いはヴァンダーグラフの『vital』であろうか。

アルバム『激しい雨』はディランが行ったローリングサンダーレビューの最終公演を中心に収録したものである。終局に至った旅芸人一座。ディランにとって、そして音楽界にとっても一大エポックメイキングであったこのツアーはディランの苦闘と克服への旅から生まれ、クライマックスへと至り、終わった。ディランがそのエネルギーの絶頂を体験したこの時期は奇しくもパンクムーブメントという音楽に於けるエネルギー回復運動が始まった頃と合致しており、肥大化したビジネスとしての音楽に対するアンチとしての類似性が在ったことも見逃せない。
ディランが行ったローリングサンダーレビューとは音楽による祝祭の復元行為であったのだろう。ディランだけが知っている歌の力を共有し得る全ての人間へ伝播し、共同体を形成する。
私達が感動するディランの歌とは私達自身が現在抱える感性と問題意識、そして未開発の感性への扉を押し広げる力になりうるものである。

ローリングサンダーレビュー以降もツアーと作品のリリースをハイペースで続けるディランは最早、自己の聖域で音を奏で、歌っている。自分の内側へ向う終わり無き旅を使命のように続行するその姿は、歌を完全にライフスタイルにした自然人のそれである。
その活動は大ベテランの割にはハイペースであると言えよう。80年代を過ぎ、90年代を生き抜こうとする現在のディランはその内省性を強め、音楽の深化を図っている。多作故に駄作も多いが、『oh Marcy』(89)等の傑作はその内省性を極めた精神的結実であろう。そこでのディランの声はますます低音になり‘語り’‘呟き’という要素が強まっている。高らかに歌う声、ハードな音響はなくなり、『激しい雨』=ローリングサンダーレビューの熱狂は過去のものになりつつある。しかしディランにとって『激しい雨』と現在は一直線に繋がっているのだろう。『激しい雨』の祝祭空間はディランの内側へと今、静かに収束されながらも、ずっと点火された熱狂状態は続いているに違いないのだから。

1996年5月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする