少し前、大阪本町のクラブnu-thingで阿木譲氏のDJを久しぶりに体験した。
古いハードバップの現在的再生という氏の試みは予想外の衝撃であり、そのジャズの捉え方に感性の鋭さを感じた。嘗て80年代半ば頃、ギャズメイオールがジャズをクラブ、ダンスカルチャーに定着させる当時としては斬新なパーティを仕掛けていたが阿木氏の試みはそれとも全然違ったものであった。
阿木氏はハードバップの中でも高速なものばかりをピックアップし、それを連続プレイする事でバップの全く違う側面を生み出していた。速い。とにかく速い。ギャズメイオールがジャズの4ビートをファンクの16ビートに解釈していたのに対し、阿木氏はいわば2ビートのトランスミュージックに解釈している。16ビートはための効いたダンスの機能であるが、阿木氏の高速音響の世界はもはやダンスではない。いわば攻撃的音響のシャワーのようであった。
ハードバップが高速再生される事でホーンによるテーマも遅緩したものからエッジの効いたものに変容されていた。どうゆう事か。元々、ビバップやハードバップはビートが現代的速度を持っていても、うわもののフレーズやホーンによるメインテーマはブルーノートのコード進行による制約を受けたメロを持っている。ブルースから派生したスケールやマーチングメロがその背景にあり、80~90年代を経過した者の耳にとっていささか、古風でもあり丸みを帯びたものに感じられる事が多い。しかし阿木氏のDJプレイではそんなブルーノートのコード進行がまるでハードコアなリフの如き鋭角さを伴って響くのを体験できたのである。しかも演奏性や自己表現を超えた物質的な音としてのジャズが轟音を伴って鳴り響いていた
私が想像したのは初期ビバップであった。
阿木氏が素材としたハードバップより更に遡ったチャーリーパーカーのライブでの音響とは正しくこのようなものではなかったのか。ジャズ理論が体系化される以前の初期衝動としてのバップがこのような感触であったと想像する。踊るためのスウィングジャズからバップへの変化。それは聴く為の創造的音楽への変化だったと理解されている。よく知られているようにバップの創始者パーカーは音楽理論でそれを成し遂げたのではない。譜面も読めなかったのだから。彼は本能や直感であのバップのスタイルを開拓し、後発の演奏家がそれを音楽的に理論付け、一つの様式として定着させた。パーカーは拍子やコード進行を頭で考えなくても、アウトしたリズムやコード進行から不思議に復帰してテーマを吹き、アドリブを楽しんでいたという話を読んだ事がある。
その<速度>たるや現在で推し量れるものではなかったのだろう。いわば狂気を含んだ<速度>だったと想起できる。
マイルスデイビスはバップからクール、フリー、エレクトリック、エスニック、音響等へのアプローチによる音楽性の全方位的拡大を実現し、音楽の速度と奥行き、無限大を全てなし得たように思うが、彼の頭にあったのは、初期のパーカー=ガレスピー双頭コンボを体験した時の<空間>を再現する事であったと言われている。おそらくそこには<全て>があったのだろう。
阿木譲氏のDJは私達が想像でしか味わう事のできないチャーリーパーカーのライブミュージックの一端を垣間見させてくれたように感じる。
さてファイブコーナーズクインテットのサックス奏者、ティモラッシイのソロアルバムである。ファットな音響がまずグッド。曲はテーマの単調さや、クラブサウンド寄りのアレンジが平坦に感じられるが、骨太なサウンドの快楽がそれを帳消しにする。ラテンテイストのダンスジャズであり、ソウルフルな歌もある。これはある意味、スウィンギージャズへの回帰でもあろうが、ここから個の表現、内奥、狂気へ向かう事によってバップの持つ本物の<速度>へシフトしていくのではないかと予感する。そうなっていって欲しい。でなければこのティモラッシイ。阿木譲氏のDJで体験したビリビリする音響世界とはほど遠いレイドバックしたリラックスミュージックで終わってしまう。
2007.9.23