満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

   TIMO LASSY    『THE SOUL & JAZZ OF TIMO LASSY』

2007-09-25 | 新規投稿
 

少し前、大阪本町のクラブnu-thingで阿木譲氏のDJを久しぶりに体験した。
古いハードバップの現在的再生という氏の試みは予想外の衝撃であり、そのジャズの捉え方に感性の鋭さを感じた。嘗て80年代半ば頃、ギャズメイオールがジャズをクラブ、ダンスカルチャーに定着させる当時としては斬新なパーティを仕掛けていたが阿木氏の試みはそれとも全然違ったものであった。
阿木氏はハードバップの中でも高速なものばかりをピックアップし、それを連続プレイする事でバップの全く違う側面を生み出していた。速い。とにかく速い。ギャズメイオールがジャズの4ビートをファンクの16ビートに解釈していたのに対し、阿木氏はいわば2ビートのトランスミュージックに解釈している。16ビートはための効いたダンスの機能であるが、阿木氏の高速音響の世界はもはやダンスではない。いわば攻撃的音響のシャワーのようであった。

ハードバップが高速再生される事でホーンによるテーマも遅緩したものからエッジの効いたものに変容されていた。どうゆう事か。元々、ビバップやハードバップはビートが現代的速度を持っていても、うわもののフレーズやホーンによるメインテーマはブルーノートのコード進行による制約を受けたメロを持っている。ブルースから派生したスケールやマーチングメロがその背景にあり、80~90年代を経過した者の耳にとっていささか、古風でもあり丸みを帯びたものに感じられる事が多い。しかし阿木氏のDJプレイではそんなブルーノートのコード進行がまるでハードコアなリフの如き鋭角さを伴って響くのを体験できたのである。しかも演奏性や自己表現を超えた物質的な音としてのジャズが轟音を伴って鳴り響いていた

私が想像したのは初期ビバップであった。
阿木氏が素材としたハードバップより更に遡ったチャーリーパーカーのライブでの音響とは正しくこのようなものではなかったのか。ジャズ理論が体系化される以前の初期衝動としてのバップがこのような感触であったと想像する。踊るためのスウィングジャズからバップへの変化。それは聴く為の創造的音楽への変化だったと理解されている。よく知られているようにバップの創始者パーカーは音楽理論でそれを成し遂げたのではない。譜面も読めなかったのだから。彼は本能や直感であのバップのスタイルを開拓し、後発の演奏家がそれを音楽的に理論付け、一つの様式として定着させた。パーカーは拍子やコード進行を頭で考えなくても、アウトしたリズムやコード進行から不思議に復帰してテーマを吹き、アドリブを楽しんでいたという話を読んだ事がある。
その<速度>たるや現在で推し量れるものではなかったのだろう。いわば狂気を含んだ<速度>だったと想起できる。

マイルスデイビスはバップからクール、フリー、エレクトリック、エスニック、音響等へのアプローチによる音楽性の全方位的拡大を実現し、音楽の速度と奥行き、無限大を全てなし得たように思うが、彼の頭にあったのは、初期のパーカー=ガレスピー双頭コンボを体験した時の<空間>を再現する事であったと言われている。おそらくそこには<全て>があったのだろう。
阿木譲氏のDJは私達が想像でしか味わう事のできないチャーリーパーカーのライブミュージックの一端を垣間見させてくれたように感じる。

さてファイブコーナーズクインテットのサックス奏者、ティモラッシイのソロアルバムである。ファットな音響がまずグッド。曲はテーマの単調さや、クラブサウンド寄りのアレンジが平坦に感じられるが、骨太なサウンドの快楽がそれを帳消しにする。ラテンテイストのダンスジャズであり、ソウルフルな歌もある。これはある意味、スウィンギージャズへの回帰でもあろうが、ここから個の表現、内奥、狂気へ向かう事によってバップの持つ本物の<速度>へシフトしていくのではないかと予感する。そうなっていって欲しい。でなければこのティモラッシイ。阿木譲氏のDJで体験したビリビリする音響世界とはほど遠いレイドバックしたリラックスミュージックで終わってしまう。

2007.9.23

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   MUDDY WATERS   『AFTER THE RAIN』

2007-09-23 | 新規投稿
     

裸になった泥水が雨上がりの泥水でどろどろになり、カエルをつかんでいる。そのまま。
このアルバムを私はいつも中古レコード店で眺めては買わなかった。ブルースの始祖、マディウォーターズはロック台頭期の60年代末に時流に合わせた『ELECTRIC MUD 』(68)と『AFTER THE RAIN』(69)というロックアルバムをリリースし、当時のブルースファン、批評家から散々の悪評を頂戴したという一般常識。私も『ELECTRIC MUD 』だけは既に聴いており、なるほどつまらないと納得していた。

しかし世界初CD化の『AFTER THE RAIN』。初めて聴いた。
何とめちゃくちゃカッコいい。アホな。LPで買っておくべきだった。『WOODSTOCK ALBUM』(75)にやや近く、ブルース度はむしろ上。ブルースロックという言葉が昔、あったが(今もある?)これは正にそれ。しかしマディのボイスの凄まじさはサウンドアレンジに左右されない不動の御神体の如きもの。このアルバムのどこが、当時の悪評を生んだのか。こんなにいい音楽なのに。分かった。当時はブルースファンとロックファンは別だったのだ。ブルースマニアはロックを子供扱いし、一段下に見ていたのだ。
サウンドはややラウド。しかしロックのアップテンポは時折現れるだけで、大半はどっしりとした重量級ブルース。ピートコージー、フィルアップチャーチ、マディの3台のギターはうるさいが許容範囲。このうるささは不協和音的なサイケデリックと言ってもいい。なかなかのもの。

音楽の革命家も時には時流に合わせる事がある。
方向性を見失っていた70年代のアストルピアソラが何を思ったかフュージョンアルバムを何枚か作って失敗し、マディは60年代末に二枚のロック寄りのアルバムをリリースし、総スカンをくらった。面白いのは後、ピアソラがキップハンラハンによって、マディはジョニーウィンターによってそれぞれが原点回帰的な作品をシリーズで制作している事だ。両者とも、自分を崇拝する次世代による継承のアプローチを受けた。

ブルースという快楽が生活にある。贅沢な時間だ。これを聴く時間が毎日一時間は欲しい。この酔わす音楽。ただ、ブルースほど、聴いていて我に戻るルーツアイデンティティの事を意識させるものもない。この濃すぎる快楽が異文化である事を嫌でも私に思い詰めさせる。果たして私は、日本人はどんな快楽原則を持ち得ているのか。生み出し得ているのか。これに代わる気持ちイイものがあるのかと問うてしまう。他の洋楽を聴いてもそのような事は考えもしない。<良い>で終わるだけだ。ブルースだけが私に対し、強く自己やオリジナルという事柄に関して能動的な喚起を促す力があるのだ。シンプルな法則故に持ち得たブルースの世界性。ブルースの快楽は世界の民に対し、それを模倣する方向性と同時に、各々の血、ルーツアイデンティティへの回帰による表現拠点を築く重要性をメッセージした筈だ。
自分の名のスペルさえ、間違うような原人マディウォーターズ。無意識と無作為の表現。純然たる心のシンプルな歌、その営み。これは人間社会の変化、進歩(?)が対抗できない最後の反抗の拠点。

2007.9.22
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ジョン・コルトレーン 『マイ・フェイヴァリット・シングス : コルトレーン・アット・ニューポート』

2007-09-19 | 新規投稿
 
JOHN COLTRANE 『My Favorite Things : Coltrane at Newport』

ニューポートジャズフェスティバルに於ける63年と65年のライブを一緒にカップリングした安易な企画アルバムも、コルトレーンの1年、2年が凡人の10年、20年に相当すると思えば少しは納得できる。コルトレーンの62年と63年は違う。64年も65年もみな、違う。変化に富む濃密な時間がそこにあり、まるで1ヶ月単位で音楽が変貌するかのようなスピードがコルトレーンにあったようだ。そこで生み出された演奏、作品の量と質は驚異的なものであり、あの短い活動期間によくこれだけのものを残したものだなと後世の私達は驚嘆するのである。

音源は全て既出のもの。音質が向上したが、その事が取り立ててプラス要素になるわけではない。私は65年の「my favorite things」はエルビンジョーンズのドラムがドッカドカの二枚組LP『THE MASTERY OF JOHN COLTRANE VOL 1‘FEELIN’GOOD’』(78)での音源が一番好きだ。音質は海賊録音の域を出ないのだが、最もライブの音に近いと想像できる音源である。正規のソースじゃないとも思われるが。いつかこれをCD化してほしいものだ。

63年から65年へのコルトレーンは一般的にはよりフリーへの傾倒を深める時期と理解されよう。ただ多くのファンは歌の深化こそをこの時期に感じている筈だ。コルトレーンの歌う歌が、即興の激越さと共に深まっていく。それは『クルセ・マ・マ』、『クレッセント』を聴けば明らかであるし、『アセンション』や『オム』にさえその歌の崇高さをコルトレーンミュージックに感じる事ができる。つまりコルトレーンの進化とは感情の深化だった。感情表現の極みへのアプローチが<歌>としか言えないシンプルな営為を感じさせるものになる。後期になるほど、感情表現に振幅性が見られ、サックスの音、その息使いにある種の不完全性、揺れが見られる。感情の量が拡大し、複雑化する事で音楽の外形上では未完的感覚を残しながら、不思議な味わい深さを堪能できるようなものになる。ジャズ音楽の理論やフォーマットからサウンドが逸脱し、新たな理論やスタイルを構築、あるいはフリーというコンセプトの名の下に音楽上の技術転換をしていったのではなく、全てはコルトレーンの思想や感情という人のテーマが音楽に強く反映されるようになったように感じられる。この事は音楽制作の上で失敗も起こりうる。いや、失敗すら許容しながら、もう別の次元での表現活動をコルトレーンが意識していた事を想起させるものだ。
コルトレーンは感情表現をより優先させた。そう自覚させるほど、その感情の量が年代と共に拡大し、深化していったのだと思う。その音楽は一言で言うと主観的な音楽だろう。他者無きパーソナルな自己表現だろう。それが他のどんなミュージシャンよりも多くの人に感動を与えるのだからすごい事だ。

2バージョンの「my favorite things」
63年のロイヘインズと65年のエルビンジョーンズ。ヘインズはコルトレーンをプッシュし、エルビンは自分をプッシュしている。コルトレーンのテーマがドラムの影響で力感を増しているのが63年バージョン。コルトレーンのアドリブがドラムの影響で過激化し、サウンド全体が混濁するのが65年バージョン。いずれも最強記録更新。たった2年間に起きた出来事。その後40年以上、音楽全体が何も更新されていない。

2007.9.18


 
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KIP HANRAHAN   『BEAUTIFUL SCARS』

2007-09-18 | 新規投稿
   
待望の新作。待望の傑作。
ラブソングがストリートに映える。路上の感覚。背後のざわめき、話し声。周辺で演奏に参加するパーカッション。歌は前方にある。が、昨今の真空パックされたような歌と音の乖離はなく、歌も演奏もそれらが同時に空中へ散布されたような混じり具合。限りなく空気感を伴った解放感がある。窓を大きく開けっ放しにしたような部屋に音響がこだまする。まるで屋外の質感だ。そう、マイクははるか天上にある。しかも一本だけ。その下で様々な人が歌い、楽器を鳴らしている。そんな無作為の音楽の宴を録ったもの。それがこの『BEAUTIFUL SCARS』だ。キップハンラハンの生まれ育ちであるブロンクスのラテンコミュニティの雑踏をそのまま音楽化したような作品。しかも今回は歌をより強調した事による映像性、物語性が浮かび上がる。

キップハンラハンは果たしてパーカッションが上手いのか。そんな事を考えながら彼の音楽を聴く者はいるまい。今回もどの曲で彼が叩いているかはよくわからない。あのへなへなの歌も今回は遠い場所で聞こえる。バンドは最強の布陣。話題のブランドンロスやペドロマルチネス、重鎮のスティーブスワローもしっかりサウンドサポート。

2ndアルバム『desire developes an edge』(83)を衝動買いして後悔していたのは学生の頃。当時、熱中していたNYダウンタウンシーンのアート・リンゼイ、アントン・フィアー、デビッド・モス、ジャマラディーン・タクマ等をクレジットに見つけた私はキップを誰とも知らず購入し、予想外なそのエスニックな音楽に勝手に失望していたのだ。しかし当時、彼の世界を理解していたのは日本では少なかった筈。『deep rumba』(98)は私の遅い目覚め。その先鋭的エスノミュージックにサムルノリと同質の現在性を感じ、ハンラハンの音楽にハマッていく。キップの<ラテン>とは徹底的な都市音楽だった。<ワールドミュージック>等とは相容れぬ都市生活者としての表現は彼の<居場所>というこだわりから生じていると感じられる。素朴主義ではない批評性こそが音楽を豊かにしていた。

キップハンラハンのCDはいつも高い。3000円以上ばかりだ。あの、まるで階級闘争史観の持ち主のように、その階級的バックグラウンドに対するこだわりを持つ彼に似つかわしくない商売だ。いや、わかる気もする。松山晋也氏のインタビュー(面白すぎるインタビュー)で借金にも触れていたハンラハン。確信犯だ。高価な商品を買わせて少しでも利益を増やさねば。毎度のアルバムジャケットの豪華な装幀は彼のアートへのこだわりと同時にハングリー精神によるものだ。しかし日本でどこまで売れるのか。話題作りに一役買うかどうかの菊池成孔の解説が功を奏すか。果たして。この人の言語感覚は好きではないが、「真っ暗な場所に潜入して振り回されたキャメラに似ている。何も映っていないが、はっきりとそこを映しているのである」という言葉には大いに納得した。

2007.9.17

  
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    JIMI TENOR & KABU KABU 『JOY STONE』

2007-09-12 | 新規投稿

これは黒い。そして濃い。しかもエロい。
ジャズグルーブどころではない。フェラクティの呪術性にP-FUNKのエロやサンラーの宇宙を混ぜてマイルスのスタイリッシュをもミックスしたようなモスト・ブラックな世界。濃すぎるね。音がしつこい。そしてくどい。この快楽の持続、最高である。洗練の極みであるフィンランドジャズシーンの異端児、ジミ・テナーがアフロのKABU KABUとジョイントした一枚。よくぞここまで黒くした。これはもうクラブジャズでもないし、スピリチュアルでもない。一番近いのはファンカデリック、パーラメントだろう。音楽性は豊かだが、その快楽のツボを攻めまくる感触は、音楽の身体的表現の極み。楽器の音もボイスも全てが濃厚な陶酔的空気の中で響き渡る。トリップの無限に身を委ねるのではなく、自らの肉体を意識しながら得られる快楽、五感をフル活用して気持ちよさを内側へ取り込むような音響である。

ファイブコーナーズクインテットのティモラッシー(sax)、ユッカエスコラ(tp)も参加したこのアルバム。洗練一辺倒と思われたフィンランドシーンの底辺の広さを見せつけられた思いだ。いや、関係ないか。ジミ・テナーという特異なアーティストの持つ表現意識がアフロビートと自己の観念性を結びつけたパーソナルな世界。明確なコンセプトを具現化する力が彼にあり、シーンとの関わりがその狭い地域性故に結ばれたのだろう。異才とは突然変異の如く表出する。

3曲目「I wanna hook up with you」の音の粘り。溶け具合。そしてドロドロのものが次第に固まっていくかのような錬金術性。この音楽の生命力は単に音響効果の成せる技ではないだろう。概念とは言わないが、ある種の目的意識と肉体性が合致した音楽。しかるに実現した濃度ある快楽音楽。
エスノとポップが紙一重のところで対峙する。歌をポップにすればいかにも安易な快感で終わり。リズムを味わい深くヒネる事が高濃度ポップの領域を約束する。エスニックな味付けが逆にチープに陥るパターンが多い中、ジミ・テナーは絶妙のバランスを獲得した。

4曲目「hot baby」のエロウィスパーはゴングのジリスミス以上か。これに匹敵するのは青江三奈だけ?いや、冗談だが、家族が一緒の車中でこれをかけたのは私の失策。

しかし全編、濃いね。スペイシーな音響や怒濤のパーカッション、スタイリッシュな単線ビートがごった煮のように展開される。コテコテな味わい。もう腹一杯である。ここらであっさりしたものを食べたいな。ファイブコーナーズのティモラッシー(sax)のソロが出たのでこれ、聴こう。

2007.9.8







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