向井さんを迎えに行く。
去る10月2日、木村文彦の2回目の録音セッションの日、私は新大阪駅へと車で向かっていた。胡弓を主とする即興演奏家であり、パフォーマーでもある向井千恵氏をスタジオまで送る為である。私が木村氏に向井氏とのデュオを提案したのは理由があった。木村氏が向井氏主宰の即興ワークショップPerspective Emotionの常連である事。二人のデュオでのライブは今までないようだが、以前、私が見た複数人数によるライブで観た木村氏と向井氏の音が対極的に感じられ、二人だけになった時、良いマッチになると感じた為だ。そして向井氏との演奏をCD作品に収録する事のネームバリュー上の認知を目論んだ事も大きな理由である。
個人的にはかつてChe’shizu(シェシズ)のファーストアルバム『約束はできない』(84)が愛聴盤だった事(和製ヴェルヴェットアンダーグランドと捉えていた)もあり、私には向井氏に対する一種の‘畏れ’があり、駅の改札から出て来られた向井さんを車に案内した時、やや緊張していたのは事実である。
スタジオに到着すると、既に木村氏はソロの演奏を半ば、録り終えたところであった。エンジニアブースで大輪さんが「宮本さん、今日は電気ストーブを持って来られてます。」と笑いを噛み殺すように言う。「えっ。寒いから?」とボケながらスタジオに入ると、確かに置いてある。木村氏曰く「押入れを整理してた時にガシャーンと倒れて、その音が良かったんで持ってきたんですわ」との事。前回の譜面台に続き、今回はこの電気ストーブをどのように演奏するのか、またしても楽しみになってくる。それにしてもセットが毎回、違うのも興味深い。前回はなかったフライパンや鍋などのお料理セットや異様にでかいバスドラがある。いや、これはいわゆる大太鼓であった。「古楽器屋でみつけました。ブラックボトムブラスバンドいうバンドが使ったみたいですわ」と言ってボワ~~ンと鳴らした。低音が響きすぎて他の楽器とのバランスが難しく、大輪氏はマイクのセット位置に四苦八苦しているが、木村氏の突飛なセットは毎回、彼にとっても新鮮であり、もはや、‘ウケる’ネタになっているのだ。前回ではヒモがついた大きな筒をどうするのかも知らずその上方にマイクをセットしたところ、突然、木村氏が空中で振り回しながらブオーン、ブオーンと鳴らし始めたので、ガツンとマイクにあたり、あわててセットし直す場面もあった。全く予断を許さないのが、木村氏のパフォーマンスなのである。
向井氏とのデュオはカシャーーンと鳴る木村氏が電気ストーブの一撃から始まった。
ノンストップ30分に及ぶ演奏。向井氏が先導し、木村氏がレスポンスしながら、前方のポジションを取り、また後方に引くといった形の演奏であったが、両者が対峙するバトル的なものではなく大きな川の流れを形成するようなそれはむしろ‘合奏’であったと思う。その幽玄の音響世界は圧巻であった。弓と指で弾き分けられる向井氏の胡弓。通常の胡弓の演奏とは全く異なるセルフインストゥルメントと化した向井氏のパフォーマンス装置たる古楽器からまるで‘電子’をイメージさせるようなモダンな音像が放たれる。その音は音階なき音階で酔わす至上のメロディのようにも感じた。よくある胡弓音楽の‘泣き’は存在しない。無調で物質的な感触を失わずに、それでも感情豊かな音である。
最初のクライマックスが過ぎたころ、憑依の状態と化した向井氏の口から全く自然発生的な歌が出でて、宙に舞い始める。それは内的な要請に従う全くスポンティニアスなものに映る。向井氏にとって即興とはジャンルではない。いかに表現が内部から湧き出てくるか、その時々のリアルタイムな状態の反映であり、その表出の事である。従って、当然、時や場所、共演者などによっても全く異なるものが出てくるのだろう。何も出て来ない時すらあるのではないか。私は向井氏の音を聞きながらそんな事をイメージしていた。
暗闇に浮かびあがる篝火のようなただずまいを見せる音楽。私はブース内で響く胡弓の音に酔っていたと思う。スタジオ内部に入らずブース内に待機していたからこそ、私は二人の演奏の細部を感知したと思う。スタジオとブースをつなぐ窓から木村氏の動きがかすかに見える。相変わらずあっち行ったり、こっちに移動したりして演奏しているようだ。おそらく二人は見えない電流でつながったような音の交換を繰り拡げていたはずだ。演奏終盤に木村氏が短音で鳴らす例のデカ太鼓。そこには太古の響きがこだましていた。
そしてもう一人の共演者、磯端伸一氏がスタジオに現れる。特異なギタリストである磯端氏はかつて高柳昌行に師事していた。と聞けばノイジーな即興系ギタリストを想起するかもしれないが、数多のギターインプロヴァイザーと違うのは、そのボリュームに対する独自の感覚だろう。音色はデレクベイリーに近いが、さらに微音を強調するその音量は即興ギタリストの多くが得てしてフリーキーさや激越性に打って出るのと違い、全く、静的な場面が際立つ事で個性を発揮していると言えよう。あの大友良英氏とのデュオのライブアルバム『Guitar Duo×Solo』(09)を聴くと、その微音の響きが大友氏とのコントラストを生んでおり、同じ高柳門下生同士のデュオが極めて興味深く聴けるのである。磯端氏は小さい音を愛している。そこに倍音が美しく響き、大友氏のボリュームに拮抗する。以前、観たGianni Gebbia(sax)とのデュオに於いても、磯端氏は相手とスペースを取りあうのではなく、メロディや音の破片を相手や自分に適度に投げていた。その演奏意識が非常に興味深い。大友氏とのライブアルバム『guitar duo×solo』は極限でいて全く心地よい音の‘間’が展開され、静かな時間が流れるが、磯端氏のカラーがデュオに方向を与えた演奏になっていると感じた。それは磯端氏の‘静的な牽引力’を想起させるに充分である。
このアルバムには磯端氏と大友氏のそれぞれのソロが収録されているが、元々、コンサートをCD化する予定はなかったらしく、磯端氏はMDプレイヤーで自分の演奏のボリュームに録音レベルを設定して録っていた為、大友氏の演奏がレベルを超えてしまい収録できず、大友氏のソロテイクだけはスタジオで録音し直したと言っていた。それほど、磯端氏は小さい音を愛しているのである。アルバムのライナーには大友氏による二人の出会いから突然の中断と空白期を経て再開し、共演に至る経緯が記されており、興味深い。高柳昌行という二人の師のまいた種は異なった個性の即興演奏家を生んだのだろうか。
実は私にとっても磯端氏とは再会なのだ。東京に住んだ頃、1986年に、メンバー募集で磯端氏と会い、喫茶店で話をしたことがあり、その時、高柳昌行に師事している事を言っていた。が、磯端氏は‘全く覚えていない’との事。そりゃそうだろう。もう25年も前だ。
木村氏と磯端氏は4テイクを演奏した。
磯端氏がアコギを演奏する時は木村氏はやや音量を控えめに、アンプにつなげる時は、遠慮なしに音をぶつけていたと思う。木村氏のカウント的な演奏から徐々にグルーブに乗って、スリリングな‘ジャズ的’なインプロを繰り広げたテイク3を私は「to white」とタイトルを付けた。画像を遊び感覚で編集し、you tubeにアップした。
家に帰って大輪氏から手渡された録音データをさっそく、pro toolsで開く。
木村氏のパートの各リージョン(録音入力データ)の名前の中に、大輪氏が、しっかり‘電気ストーブ’と入力している事に私は笑ってしまった。普段はfront、top、L、R等とマイクの位置を書き入れるのに。やはり、今回も大輪氏にウケるネタを提供した木村氏であった。さて、これからが難関の編集作業に入る。特に向井氏との30分の演奏をどう、短縮するのか。頭の痛い作業になりそうだが、楽しみである。
2011.10.28
向井千恵http://www.kilie.com/mukai/
磯端伸一http://blog.livedoor.jp/abstsi/
木村文彦Kimura Fumihiko&磯端伸一Isohata Shin'ichi duo improvisation - TO WHITE -