宮本 隆 Miyamoto Takashi×石上加寿也 Ishigami Kazuya @namba Bears
3年前の石上氏とのDUO。この日は灰野敬二氏のエレクトリック・ソロのフロントアクトで満杯のお客さんでした。今回、石上氏は1年振りの有観客ライブ。勿論、コロナ騒動もあったけど、彼にとっては第一子誕生で多忙だっただろう。
「improvisationⅡ~eternal song1」時弦旅団Time Strings (1996年)
<about時弦プロダクションpart.1>
Jigen-001 時弦旅団Time Strings Travellers
Jigen-002 「Second Action」時弦旅団
年に2タイトル、多くて3タイトルのリリース実績しかない時弦プロダクションですが、昨年は活動低調で1タイトルのみの制作となってしまいました。尤もスタート時点の95年の段階でレーベル運営を考えていたわけではなく、当初は自分のバンドのカセットアルバムを自主制作し便宜上というか最低限の体裁を整える意味で“時弦レーベル”なる名前を付けただけの事でした。バンド名が時弦旅団なので時弦レーベル。このイージーな命名からもレーベルとして機能させてゆく方向は見えません。何も考えず軽く決めたことが解ります。
時弦旅団の最初のアルバムをカセットで自主制作したのは、当時の一種、カセットシーンとも言えるその流通規模を見たからでした。アメリカ村にあった頃のタワ-レコードやキングコング、タイムボム、梅田にはソレイユ、フォーエバー3.そこには様々な名もなき表現者が持ち込んだカセットがたくさん積まれ、場合によってはコーナーも作られていました。中にはギューン・カセットのようなちゃんとしたレーベルのものもありましたが、私の記憶ではその多くが演奏者個人がダイレクトに持ち込んだものだったと思います。
私としても根っからのインディーズ根性と言いますか、CDなんて出せるわけないという思い込みで当然のようにカセットを思いつき、自分で売り場に持っていき(現在は配給会社を通じて流通させています)ついでにライブのフライヤーを置いてもらうという自主流通、告知活動の中心にカセットアルバムがありました。
ただ、一方、当時90年代は国内ライブシーンが活況を呈し、新興インディーレーベルが勃興した時期でもありました。即ち、ホッピー神山氏のゴッドマウンテン、磨崖仏、まぼろしの世界、PSF,地底レコードなど、アーティストサイドが設立した魅力あるレーベルが乱立しました。関西でもFMNサウンドファクトリー、アルケミー、ジャパンオーバーシーズ等のリリースラッシュがあったと思います。私もどうにかしてこのシーンの中に入りたいと思ったのは、音楽性がプログレッシブや即興、コンテンポラリーでアバンギャルドなジャズ等、趣向が共通し、それらのアーティストとの世代もほぼ共通していた事が要因だったと思います。言わば待ち望んだシーンの到来のように受け止めたのです。
私はアルタード・ステイツに衝撃を受け、同時に思い出波止場、ボアダムスといったジャンク・ニューウェーブ系のライブにも足繁く通う日常がありました。同時にボンデージ・フルーツやグラウンド・ゼロ等が登場した東京のシーンに注目し、先述したレーベル、ゴッドマウンテン等は‘今聞きたい音楽’の指針となる道案内だったと思います。
従って95年に制作したカセットアルバムをこれらのインディーレーベルの何カ所かに送ったりして反応を確かめたりもしました。予想に反してPSFの生悦住氏から反応があり、リリースという運びになったわけではありませんが(当然ながら)、長電話してあれこれ話しした記憶があります。
そんな中、SOH BANDの宗修司氏と知り合い、彼等の関西圏でのライブをサポートしたり、同時に地底レコードの吉田氏と知り合い、交友の範囲を自分なりに広げていきました。どこかしらのレーベルからリリースする可能性を求めて様々なアプローチをしていたのだと思います。この意味から言っても<時弦レーベル>は仮のレーベルで、あわよくば、いずれかのレーベルでのリリースがあればいつでも破棄されるべく便宜上のものと意識していた事は間違いありません。
それは実現しませんでしたが、ファーストアルバムがいくつかの雑誌メディアの評に載り、地道でマイペースなライブ活動が始まりました。結局、時弦旅団で作成した2本のカセットアルバムが、今に続く時弦プロダクションの活動のスタートとなりました。