杉森神社の物語(令和編)東広島市河内町~癒しの風景

田舎で0から宮司をやってみたかったんです。好んで信じて楽しみながら奉仕をしています。

11月の日記29 ちゅーピーカレッジクレド教室講座

2021-11-29 18:23:45 | 講座

11月29日

ちゅーピーカレッジクレド教室講座

往きの電車から、変わった雲がみえました。丸く円になっている雲もありました。

神様への燈明の注意点

実は、「ひとつ火」はよくない火と言われている

 一つ火をともすことは禁忌となっています。、黄泉国で、伊邪那美命を見る(死体を見る)ために湯津(斎)津間櫛の男柱(櫛の両端の太い部分)で一つ火をともした結果、蛆や雷のたかる姿をみてしまい、伊邪那美命の怒りにふれてしまいます。

 その前に伊邪那美命は黄泉の国の食事をしてしまっていることから、もうこの世に帰ることができないことを言っていることから、神道では喪家の火で作られた食事等をとることを禁忌としています。

 さらに櫛を投げることも禁忌、黄泉の国で行ったやり方だから。唾を吐くことも日本書紀の一書の黄泉平坂にでできて、絶縁を意味しています。

 日本書紀では、「今世の人、夜一片の火とぼすことを忌み、また夜なげ櫛を忌む。此れ其のことのもとなり」と記載されています。

 本居宣長は『古事記伝』で伊邪那美命が黄泉国の竈で食事したことについて、「あなかしこ万の禍は、火の穢るるから起るぞかし、禍の起るは、此の黄泉の穢より成り坐る禍津日神の霊なり、火穢るるときは、此神ところ得て荒ぶる故に、万の禍おこるなり、神の道に志さむ人は、由なき漢意を捨て、よく此れを思ふべきことぞ、かかれば、民を撫世を治むには、先づ天の下の火を忌清めて、神の御心を取り奉るべきものぞ、さて今此に如此(かく)申し給ふは、族離(うがらはなれ)がたき御心は坐坐して、又此の世に還坐(かへりざ)まほしくはおもほしめすものから、此の黄泉戸喫(へぐひ)の穢によりて還坐こと不能るよしなり、此の御言をよく味ひて、あなかしこ火の穢をなほざりにな思ひなしそ」と説いています。

 先日、丁度竈を祀る夢をみたので、神社も家も竈の大掃除をしています。そして今年は火事の知らせを多くみます。

 禍津日神へ感謝を捧げ、よき火の恵をいただきましょう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする