9月2日
今日は静かな境内、午前中はとても心地よい空気でした。
本居宣長全集に掲載の「菅笠日記上の巻」(明和9年・1772)を読む日。松坂から吉野へ花見の旅日記
その日記にとても大事なことが記されていました。
まずは本文
「子守の神まします、此御やしろは、よろづの所よりも、心いれてしづかに拝み奉る、さるはむかし我父なりける人、子もたらぬ事を、深くなげき給ひて、はるばるとこの神にしも、ねぎ(禱)ことし給ひける、しるし有て、程もなく、母なりし人、ただならず(※懐妊)なり給ひしかば、かつがつ願ひかなひぬと、いみじう悦びて、同じくはをのこご(男子)えさせ給へとなん、いよいよ深くねんじ奉り給ひける、われはさてうまれつる身ぞかし、十三になりなば、かならずみづからゐ(率)てまうでて、かへりまうし(※お礼参り)はせさせんと、のたまひわたりつる(※ずっとおっしゃっていた)物を今すこしえた(堪)へ給はで、わが十一といふになん、父はうせ給ひぬると、母なんもののついでごとにはのたまひいでて、涙おとし給ひし、かくて其としにも成しかば、父のぐわん(願)はたさせとて、かひがひしう(※力強く勇ましく)出たたせて、まうでさせ給ひしを、今はその人さへなくなり給ひしかば、さながら夢のやうに、
「思ひ出るそのかみ垣にたむけして麻(ぬさ)よりしげくちるなみだかな」
袖もしぼりあへずなん、かの度は、むげにわか(稚)くて、まだ何事も覚えぬほどなりしを、やうやうひととなりて、物の心もわきまへしるにつけては、むかしの物語をききて、神の御めぐみの、おろかならざりし事をし思へば、心にかけて、朝(あした)ごとには、こなたにむきてをがみつつ、又ふりはへて(※ことさら)まうでまほしく、思ひわたりしことなれど、何くれとまぎれつつ過ぎこしに、三十年をへて、今年又四十三にて、かくまうでつるも、契りあさからず、年ごろのほい(※かねてからの願ひ)かなひつるここちして、いとうれしきにも、おちそふなみだは一ッ也、そも花のたよりは、すこし心あさきやうなれど、こと(異)事のついでならんよりは、さりとも神も、おぼしゆるして、うけ引給ふらんと、猶たのもしくこそ、かかる深きよしあれば、此神の御事は、ことによそならず覚え奉りて、としごろ書(ふみ)を見るにも、萬に心をつけて、尋ね奉りしに、吉野水分神社と申せしぞ。」
本居家(小津家)に子供が少なかったことから父がわざわざ吉野の神さまを頼って子授けの祈りをささげた結果、宣長の誕生となります。それを13歳のとき、そして43歳のときに吉野の花見にあわせてこの神社にお礼参りをしています。
さてさて、40年過ぎてもお礼参りするその心に、小生は感動しました。
自分の命が神様からの御恵によって授かったことをずっと忘れないその心こそ、「信仰」ではないでしょうか。
小生の命を授けてくださった神さまや両親に感謝し、命を全うすることが大事な命を使う、「使命」となっていくのでしょうね。ありがたやありがたや!
今日は静かな境内、午前中はとても心地よい空気でした。
本居宣長全集に掲載の「菅笠日記上の巻」(明和9年・1772)を読む日。松坂から吉野へ花見の旅日記
その日記にとても大事なことが記されていました。
まずは本文
「子守の神まします、此御やしろは、よろづの所よりも、心いれてしづかに拝み奉る、さるはむかし我父なりける人、子もたらぬ事を、深くなげき給ひて、はるばるとこの神にしも、ねぎ(禱)ことし給ひける、しるし有て、程もなく、母なりし人、ただならず(※懐妊)なり給ひしかば、かつがつ願ひかなひぬと、いみじう悦びて、同じくはをのこご(男子)えさせ給へとなん、いよいよ深くねんじ奉り給ひける、われはさてうまれつる身ぞかし、十三になりなば、かならずみづからゐ(率)てまうでて、かへりまうし(※お礼参り)はせさせんと、のたまひわたりつる(※ずっとおっしゃっていた)物を今すこしえた(堪)へ給はで、わが十一といふになん、父はうせ給ひぬると、母なんもののついでごとにはのたまひいでて、涙おとし給ひし、かくて其としにも成しかば、父のぐわん(願)はたさせとて、かひがひしう(※力強く勇ましく)出たたせて、まうでさせ給ひしを、今はその人さへなくなり給ひしかば、さながら夢のやうに、
「思ひ出るそのかみ垣にたむけして麻(ぬさ)よりしげくちるなみだかな」
袖もしぼりあへずなん、かの度は、むげにわか(稚)くて、まだ何事も覚えぬほどなりしを、やうやうひととなりて、物の心もわきまへしるにつけては、むかしの物語をききて、神の御めぐみの、おろかならざりし事をし思へば、心にかけて、朝(あした)ごとには、こなたにむきてをがみつつ、又ふりはへて(※ことさら)まうでまほしく、思ひわたりしことなれど、何くれとまぎれつつ過ぎこしに、三十年をへて、今年又四十三にて、かくまうでつるも、契りあさからず、年ごろのほい(※かねてからの願ひ)かなひつるここちして、いとうれしきにも、おちそふなみだは一ッ也、そも花のたよりは、すこし心あさきやうなれど、こと(異)事のついでならんよりは、さりとも神も、おぼしゆるして、うけ引給ふらんと、猶たのもしくこそ、かかる深きよしあれば、此神の御事は、ことによそならず覚え奉りて、としごろ書(ふみ)を見るにも、萬に心をつけて、尋ね奉りしに、吉野水分神社と申せしぞ。」
本居家(小津家)に子供が少なかったことから父がわざわざ吉野の神さまを頼って子授けの祈りをささげた結果、宣長の誕生となります。それを13歳のとき、そして43歳のときに吉野の花見にあわせてこの神社にお礼参りをしています。
さてさて、40年過ぎてもお礼参りするその心に、小生は感動しました。
自分の命が神様からの御恵によって授かったことをずっと忘れないその心こそ、「信仰」ではないでしょうか。
小生の命を授けてくださった神さまや両親に感謝し、命を全うすることが大事な命を使う、「使命」となっていくのでしょうね。ありがたやありがたや!