3月4日
最近、グッズ守り、キャラクター守りなどが出まわっていますね。
「かわいい」っていいじゃないか、と思われるかもしれません。
しかし、神社にかわいいは、・・・・巫女さんぐらいです。
神事を伴い、丁重に奉り、神さまの恵みをいただくものですので、受けた方が「大切にしなきゃ」って思うようなお守りにしなければなりません。
神社界の月刊冊子に一般商品と混同しているお守りや御祈願済商品のことが記載されました。
記載されなきゃわからないくらい、神職さんたちの「モラル」が失われてきている事実があります。
市販されているようなグッズ守りが神社においてあり、売られていたら【本来、売り買いとはいいません。恵みは売るものではなく買うものでもありません、恵みは受けるものです。】、かわいい=若い人の購買意識が強くなる、神社の収入が増える=さらに人が集まる=神職の収入が増える=いろんな社殿補修ができる・・と最終目的を理由にしているかもしれませんが・・・氏子さんと話をしても、「おかしい」と言われます。
お守りを受ける側も「真剣さ」「ありがたさ」というものが欠如しているのかもしれません。
そもそもお守りには先述した通りのお祭りを行うわけです。キャラクターは袋に過ぎないわけで、中身をいかに清らかに奉製しているかが大事なわけです。
しかし、大量に、それも何十種類ものお守りがある場合は、殆どが、業者まかせで作っているでしょう。神職が奉製していたら、たくさんの種類のお守りは社頭におけません。どれがどのくらい受けられるか、ある程度計算しないと、1年以上置いておくということができないからです。
お札と同じようにお守りは、毎年新しくして、神さまの恵みを受けます。
「年」の意味は稲の実りをさします。毎年、稲の実りを祈る。稲は=税=力=生命。継続して稲の実りという恵み、そして人々の命の継続をいただけるように、毎年、神さまを称え奉っているのです。お札やお守りも毎年、清めらて作られ、神様の恩頼(みたまのふゆ=恵み)をいただけるよう祈りをささげています。極端なことを言うと、1度のお祭りでお守りはずっと神さまの恵みを受けられますという神社がないこともその証です。
最近、「恥を知れ」という言葉がなくなってきています。その結果、モラルが低下し、それぞれの主観でよいという風潮があります。大妻学園は校訓に「恥を知れ」があるそうです。世羅出身の大妻コタカ先生は「これは決して他人に対して言うことではなく、あくまでも自分に対して言うことです。人に見られたり、聞かれて恥ずかしいことをしたかどうかと自分を戒めることなのです」ということです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A6%BB%E3%82%B3%E3%82%BF%E3%82%AB
キャラクター守りを是としている神職さん、胸に手をあててみましょう!
月刊冊子のような祈願済み商品は論外であることは申すまでもないことです。