那古寺観音堂
観音霊場としても板東三十三観音札所の結願寺であり又安房国札三十四観音の第一札所の那古寺
”平成の大修理”として平成15年に着手した那古寺観音堂がこのほど完了しました
大工さんが延べ4000人以上、その他色々な方が携わり3億7千万ほどかかったとのこと
観音堂は元禄大地震で崩壊された後に再建された大規模な五間堂、平成6年に県指定有形文化財に指定されました
関東大地震で観音堂が大きく半壊しましたがこれは大正の大修理で屋根の軒が外に大きくでていたためと考えられ、明治期の姿に戻して1尺5寸ほど軒を短くし
そして巨大地震にも耐えられるように設計されました
観音霊場としても板東三十三観音札所の結願寺であり又安房国札三十四観音の第一札所の那古寺
”平成の大修理”として平成15年に着手した那古寺観音堂がこのほど完了しました
大工さんが延べ4000人以上、その他色々な方が携わり3億7千万ほどかかったとのこと
観音堂は元禄大地震で崩壊された後に再建された大規模な五間堂、平成6年に県指定有形文化財に指定されました
関東大地震で観音堂が大きく半壊しましたがこれは大正の大修理で屋根の軒が外に大きくでていたためと考えられ、明治期の姿に戻して1尺5寸ほど軒を短くし
そして巨大地震にも耐えられるように設計されました
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由緒のある建物のようですね
千手観音菩薩を奉っているのですね
おびんづるさま というのは誰なのでしょうか
お坊さんではないようですが・・・
貴重な画像を ありがとうございました
那古寺は江戸時代中期の寺院建築として館山市内では最大規模を誇っています。
おびんづるさまは誰だかは分かりませんが頭をなですと頭が良くなる、又肩をなでると痛いのが直ると言うことでみなさんなでていかれるようです。
まだ寒いですね。お風邪などひいていませんか?
那古寺というお寺は千葉にあるのですか?
京都のお寺を連想させるようです。由緒あるお寺さんですね。修繕も大変だったでしょうね。宮大工さんなんて今は居るのかしら?おびんづる様はかわいらしいお顔ですね。ふくよかなお顔は初めてみました。
足利のバンナ寺にあるおびんづる様は
何処か欠けていたりして怖いお顔をしているのです。
明日から少し暖かくなるとのことですがこちらの朝はマイナス気温で寒いです。
那古寺は館山市那古にあります。
時々修理は行われるようですが今回も5年をかけ大修理になったようです。
この日は見学会に参加したのですが、この柱は宮大工独特の”ねつぎ”(柱の接つぎ)で行われたと言っているところがありました。
足利のバンナ寺にもおびんづる様がいるのですか。
那古寺のはふくよかな顔立ちですよ。
那古寺が平成の大修理でできたそうですがきれいでしょうね
後の森を背に堂々と立ってるようです
平成の大修理で赤のべんがら塗りの那古寺が一層綺麗になりました。修理にしろ新しいって良いですね。
3月頃からいつでも拝観できるようになるようです。
今度、是非ゆっくりと見に行きたいです。
立派な由緒あるお寺なのですね。
最近、有名なお寺があちこち平成の大修理を行っていて
宮大工さんも大忙し!
少しずつ『匠の技』が加えられて、後世に受け継がれて
いくんだなと感慨深いです
平成の大修理で新しくなった感じで綺麗ですよ。
那古寺は江戸時代中期の寺院建築で18世紀中期以降の建築様式の発展過程を知る重要なものであるとして、県指定の有形文化財に指定されました。
今回は5年もかけての大修理だったようです。
宮大工の”巧みの技”素晴らしいですよね。
此処でも平成の大修理をされたのですね。
過去の教訓を生かして屋根の軒を元に戻されたとか。
これで大きな地震が起こってもビクともしなくなって良かったと思います。
天上の壁画は大正9年に地元の人が書かれたのですね。
凄い!と思いました。それほど信仰が篤かったのですね。
平成の大修理あちこちで行われているようですね。
日数もお金ももの凄くかかって大変だと思います。
屋根の軒も途中の修理で変えられてしまったものを色々なことを考え又元に戻したようです。
天井の絵は説明する人が「お爺さんやお婆さんの知っている名前もあるかと思います」と言っていました。地元の方が書いていたとはびっくりです。
那古寺は千葉県館山市にある真言宗智山派の寺院だと言う事は知りませんでした。
ありがたいこのお寺の衣装替えでしたね。
神社仏閣を百近く訪ねていますがまだお舞えりしてませんでした。
suitopiさんの紹介と言う事で今後の計画に入れさせていただきます。
有難うございました。
那古寺を今後の計画に入れてくださるとの事ですがありがとうございます。
3月の終わりごろになると何時でも拝観出来るようになると思います。
交通の便があまりよくありませんのでご一報くだされば道案内をいたしますよ。