むさしの墨友会

現代書道の父、比田井天来先生の門流である桑原翆邦先生の門人の吉野大巨先生を師として、書を愛好する仲間の会です。

東鶴の台所公開?(東鶴)

2010-12-03 | 書道
皆さん、半切ってどうやって書いてますか?

私はこんなふうにして書いてます。
東鶴の台所公開? です。



一番左に吉野大巨先生に書いていただいたお手本。
その上に法帖を。今回は「西狭頌」です。
法帖をながめつ、すがめつ...。
わからないところを吉野先生のお手本で確かめます。

真中に2ミリの毛氈。その右には厚さ3ミリの毛氈。
その上に半紙用3ミリの毛氈を2枚重ねて、墨池をタオルの上に。
タオルはもう1つ。
筆先を揃えたり、墨を吸わせたりして使います。

筆筒にはその時どきの筆が突っ込んであります。
時には光悦堂さんで500円で買い求めた刷毛も使ってみます。

そこで整いました。
(世の中は一字違えば大違い、刷毛に毛があり、はげに毛がなし...。)


ま、そんなことはどうでもよーし。


それで皆さん、書いた後どうされてます?

吉野先生のおけいこ場では、すずらんテープをはりめぐらせてあるので
そこに掛けていきますよね。

で、我が家ではこんなふうに、



ベランダの窓枠の上のところに突っ張り棒を渡して
洗濯用ピンチをいくつか通してあります。
私が書を始めたころからこのやり方です。

これで半切は4枚まではOK!!

たまにバスタオルだとか洗濯物も。

ときどき墨がブラインドに...(これはナイショ)





ちなみに、一番左に小さく見える色紙は
吉野先生が書かれたもので、「琴酒相寿」です。
酒の字があるだけでなんとなく「しあわせ」な気がします。

そんなこと思うのは東鶴だけだーっとの声が聞こえそう...。

天来りんご(鶴嶺)

2010-12-02 | 書道

今日木曜日はお稽古の日です。

教室に到着すると、いつもお手本を書いていただく机の上に何やらりんごが・・・

よく見ると「天来りんご」と名札が付けられています。

先生から「写真撮ってブログにのせれば話のネタになるでしょ!」とのお言葉

早速パチリ!

そして、すぐにこのような、「天来りんご」の素性を書いてくださりました。

長野県佐久市の比田井天来先生の生家裏山のりんごだそうです。

’’このりんごを食べると字が上手になる’’

と言われている神秘のりんごとのことで

先生から、お持ちくださいとのお言葉をいただき、遠慮なく

岑鶴さんと共にお一つ頂戴して参りました。

これで岑鶴さんと鶴嶺の2羽の鶴は字が上手になる?のかなあ・・・

吉野大巨先生ありがとうございました。

上手くなるぞ~と念じながらい味わいたいと思いいます。 


自問自学 (萬鶴)

2010-12-01 | 書道

 

みなさんご存知のとおり、私は篆刻を目指して基礎を習っています。

簡単に彫れると思いきや、先生からも基礎が大事ですよ!とのアドバイスがありました。

まだ、彫る段階ではありませんが、篆書に励んでいます。

久しぶりに“みんな大好き”?(皆大好)と書いていただきました。

まだまだです。

 

そんな中、書道の始まりも知りたくなるのは当然です。

やはり参考書物を読む機会も増えました・・・。

 

「古代の書」

殷代(いんだい)の亀甲獣骨(きっこうじゅうこつ)に彫られた文字を甲骨文(こうこつぶん)。

これに対して、青銅器に鋳込み(いこみ)、または刻まれた文字を金文(きんぶん)とも言う。

ともに、篆書という書体の中にふくめられている。

さらに、篆書を簡略化した隷書は、下級役人が速く書こうとしたことから生まれたとされている。

この時期の隷書は複雑な点画を簡略化して、直線を主体とした実用書体であった。とのことです。

へぇ~ ですね!

 

古代(紀元前1600ごろ~紀元220年)

「甲骨文」

甲骨文は、清朝(しんちょう)末期に漢方薬として入手された骨から文字が発見されたことをきっかけに知られる用になったとのこと。

亀甲獣骨の硬質で狭い面に彫られたため、文字が直線的で小さいのが特徴のようです。

 

「金文」

金文は鋳型の原型である粘土に直接彫られため曲線が多用され、微妙な装飾が加わっているのが特徴だとか・・・。

殷代(いんだい)から周(しゅう)、春秋戦国時代にわたってさかんに青銅器が作られるようになり、それにともなって金文の形や線質も様々に変化を遂げてきていると、記されていました。

 

こうして、書道史を学ぶのも興味が湧いてきた証拠かも知れません。

平面的に見えていた書道は、時空を超えて宇宙を描いていたものなんですね。

まだまだ序の口ですが、自分でもこれからが楽しみです。

*今日は真面目に投稿させていただきました。

 

(萬鶴)