今日は午後から外出していました。あちらこちらと回り、20:00過ぎに帰宅となりました。
その帰り道での事ですが、私の車の後方より救急車が1台サイレンを鳴らし近づいてきました。大きな交差点に差し掛かっていたので、私は車を減速し救急車の邪魔にならないように停車しました。
ところが、「救急車が通ります!道を開けて下さい。止まって下さい。」と救急車から指示が出ているのに、全く無視して救急車の前を平然と横切る車が多いのに驚きました。
他人事だから関係ないとでもいうような態度で知らぬフリをする人が最近増えているように思います。もし、自分の家族が1分を争う緊急事態だとしたら、どうするのでしょう。
1台は親子連れでした。この親の対応を見て子供は育ちます。恥ずかしいことです。きっと、この子は大人になって自分で車を運転している時、救急車が近づいてきたら親と同じ対応をするでしょう。
子供は親の言うことを聞かず駄々をこねますが、親の行動・仕草はマネします。親が率先して社会の道徳を教えなければなりません。その為には言い聞かせるのも大切ですが、まずは行動で示さなければならないと思います。
子供といえども、実行力が伴わない口先だけの教えには耳が傾かないと思います。私が言っているのは決して理想論ではなく、日々実践することによって大人から子供までの心を動かすことが出来ると思うのです。
話が飛躍してしまった感がありますが、本当に大事なことだと思うので書きとめました。
今日は、昨年5月の四国遍路の時に出会った男性の話です。私は単独で通し打ち(88ヶ所を1回で参拝すること)を行っていました。その日の行程を終え、宿泊先の露天風呂でゆっくりとしていたら、突然背後から人の気配がしたので振り向くと、身長180cm位の坊主頭の人がザブンと湯船に入ってきました。
見た目で人を判断してはいけないと思いますが、その人はいかにもと思える雰囲気をもった人でした。私は目を合わさないようにと、その人とは反対の景色を見ていたのですが、「すいません。お一人ですか?」と声をかけられたのです。
「はい。一人で遍路をしています。」と答えると、「いやぁ。私もそうなんですよ。」と言うのです。それからは、機関銃の如く一方的に話され、私が聞いてもいないのに遍路に来た理由を説明するのです。
「実は酒気帯び運転で検挙され、会社から出勤停止を受けて自宅で反省する日々を送っていたところ、知り合いから四国遍路を勧められ、懺悔の意味も込めて旅立ってきたんです。」との事。私は「大変ですね。でも、ただ自宅で反省しているよりは、精神的にも身体的にも良いことなんじゃないですか。」と答えました。
それから、私自身の素性は全く話していないのに、その人は「初めて会った気がしない。」と風呂から上がった後も、休憩室で色々な話をしてきました。
その人は「歩き始めてまもなく、右の足首を痛め腫れ上がって・・・。もう、痛くて痛くて・・・。」というので、「もしも酒気帯び運転で事故を起こしていたら、貴方も相手もそんな痛みなんかじゃ済まなかったのでは・・・。」とちょっと厳しく意見を言わせてもらいました。
「そうですよね。そう言われれば本当に人生が変わっていたかも知れないですよね。この痛みを忘れないように今後の生活に活かします。」となんだか人生相談のようになってしまいました。
次の朝、出発前にその人が声をかけてきました。「いやぁ。不思議なんですよ。足の痛みがすっかりとれて、清々しい気持ちなんです。今日は予定通り歩けますよ。」とニコニコ顔で言うのです。
私は「それは良かったですね。無理せず自分のペースで頑張って下さい。」と言い、宿を出発しました。
遍路で出会う人の縁とは本当に不思議です。一つの会話から一瞬にして、長年親交のある友人のような感覚にさせられることがあります。なに一つ違和感のない会話に心が弾むのです。