私の自宅の隣の家で、犬を2匹飼っているのですが、とても困った状態になっているのです。
それは、犬のトイレです。その家は必ず犬が糞をする時は、ベランダから外へ犬を出し、南側の敷地で糞をさせるのです。元々、中古住宅で以前の住人の方は花壇として使っていた場所なのですが、今は犬のトイレと化しています。
犬も賢いもので、糞をしたあとは飼い主に「ワン!」と吼え、「終わったぞ!早く部屋に入れてくれ!」とでも言っているかのようにアクションします。
ここまでの文章を読んで何が問題なんだと思われている方もいると思いますが、ここからが本題となります。
ここの住人は引っ越してきて約2年が経つのですが、この間一度たりとも犬の糞を掃除したことがないのです。ベランダに一年中置いてあるサンダルの上にも糞が乗っかったまま、2年が経過しようとしています。私の中の常識では考えられません。
トイレとなっている以前は綺麗だった花壇も糞の山です。犬さえも足の踏み場がないほどの状態です。今はまだ雪が残っている状態なので、全体が見えませんが春になって全体が見えてくる時期が恐ろしいです。
更に、そんな足の踏み場もないところで糞をした犬の足を拭くこともなく、ベランダから部屋へと入れているようです。
私は、この家族には動物を飼育する資格はないと思います。言いすぎかも知れませんが、ある意味虐待にさえも感じます。犬種を見ると運動量の多い類だと思うのですが、散歩させているところも見たことがありません。気が向いた時に子供たちが連れまわしているのを偶に見かける程度です。当たり前のように糞の始末道具は持っていません。
今から心配なのは、暖かくなったら南東側の窓を開けることが出来るかです。臭いと埃が恐ろしいです。余りにも酷かったら、住人に一言断って私が掃除したいと思います。物好きだと思われるかも知れませんが、私は人に命令するのが嫌いなのです。
私が掃除する姿を見て何か感じてくれたらと思うのです。
人は気持ちが沈んでいる時には、何をやってもうまく事が運ばず、そんな状態に腹を立てストレスがたまり、どんどんと深いところにはまっていく事が多いと思います。
逆に気持ちが穏やかで晴々している時は、同じ事をやっても全然違う結果を生み出し、考える事全てが自分の想うとおりに動く事が多いと思います。
どうせなら、穏やかで晴々している状態を継続して、いつも楽しい人生を送りたいものです。
豊かな心・躍動のある気持ち・晴々とした気持ちをもつためには、何事にも感謝する気持ち(心)を持つ事が一番大切なのではないでしょうか。
また、庭のお花を見て「なんて綺麗な色をしているんだろう。」とか、美しい絵を見た時「こんな美しい絵を見られて幸せだなぁ。」と何事にも素直に喜べる心を養う事も大切なのではないでしょうか。
仕事上でも上司にミスを指摘されて「うるさいなぁ。」と思う人と「今度から気をつけよう。」と思う人では、直ぐにはその差は現れないでしょうが、それを積み重ねることによって、その人の人間としての質が全く違ったものになる気がします。
自分の意見を述べてそれが正解であれば、突き進んでいくべきだと思いますが、間違いだったら素直に謝ることも大切です。でも、人はなかなかそういう状態になった時には、なんとか誤魔化して自分を不利な立場にならないようにと、その場を繕う人が多いです。
心を暗闇にしないためにも、自分に素直に何事にも感謝して毎日を過ごすことが出来れば、幸せは向こうからやってくるものだと思うのです。
「幸せになりたい。」とただ指を咥えているよりは、「幸せにしてあげる。」という心を持って生きている方が、きっと神様はその努力に対して、御褒美を与えてくれるのではないでしょうか。
今回、ブログ表示画面の左サイドに「お気に入りのお店」リストを作成しました。
今後も「紹介したいなぁ。」と思うお店を見つけたら、このリストに掲載したいと思います。