こんにちは。
なんだかお説教系の投稿が続いちゃってゴメンなさい。
自分に言い聞かせたい意味もあって投稿してるんですよ。
ええ、そういう意味もあって。
さて。
平成20年も、もう本当に暮れも暮れです。
どうやらこの「一年の漢字」は「変」だったようですね。
激動の年、もしくはなんか「変」な年だったなあ、とは、
私も思っています。
でもね、2つだけ、強調しておきたいことがあるんですよ。
それは、
・「ある時」を境に、きっかり上手くいったりいかなかったりすることは意外に少ない
・「〇〇さえ変われば全てうまくいく」ほど、世の中は単純ではない
当たり前すぎますが、どうも「変わる」ことに希望を託し、また浮かれているうちに、
実は「期待過剰」になってしまう、
人間って、結構こういうものなんだと思うんですよ。
特に、「〇〇さえ変われば(or変えれば)うまくいく」という考えは、
就職や恋愛、買い物で失敗してきた私の経験からしても、
「間違いだ」と自信を持って言えます。
本来、変化というのは、周囲からすれば突然に見えても、
その当事者に近い人ほど、とてつもなく努力をしているものです。
そのためには、ただ「〇〇を変える」のではなく、
「〇〇が変わったらどういうことが起こる」とビジョンを明らかにすること、
「〇〇が変われば、ばら色の将来が待っている」という安易な期待は捨て去り、
変えることで起こり得るリスクや物事の構造の変化を予測すること、
要するに、その変化によってどういう連鎖や副作用があるか、具体的にシュミレーションしてみること、
本当に望む将来があるなら、これが必要だと私は思っています。
☆ ☆ ☆
「二の足を踏む」という言葉は、
主に「慎重になりすぎる」という意味で使われますが、
慎重になるからには理由があるはずだし、
慎重にしている間に、いろいろと考えることもできます。
要は、「もう少しゆっくり、周りに惑わされず、自分のペースで考えてみてもいいんじゃない?」ってことでした。
なんだかお説教系の投稿が続いちゃってゴメンなさい。
自分に言い聞かせたい意味もあって投稿してるんですよ。
ええ、そういう意味もあって。
さて。
平成20年も、もう本当に暮れも暮れです。
どうやらこの「一年の漢字」は「変」だったようですね。
激動の年、もしくはなんか「変」な年だったなあ、とは、
私も思っています。
でもね、2つだけ、強調しておきたいことがあるんですよ。
それは、
・「ある時」を境に、きっかり上手くいったりいかなかったりすることは意外に少ない
・「〇〇さえ変われば全てうまくいく」ほど、世の中は単純ではない
当たり前すぎますが、どうも「変わる」ことに希望を託し、また浮かれているうちに、
実は「期待過剰」になってしまう、
人間って、結構こういうものなんだと思うんですよ。
特に、「〇〇さえ変われば(or変えれば)うまくいく」という考えは、
就職や恋愛、買い物で失敗してきた私の経験からしても、
「間違いだ」と自信を持って言えます。
本来、変化というのは、周囲からすれば突然に見えても、
その当事者に近い人ほど、とてつもなく努力をしているものです。
そのためには、ただ「〇〇を変える」のではなく、
「〇〇が変わったらどういうことが起こる」とビジョンを明らかにすること、
「〇〇が変われば、ばら色の将来が待っている」という安易な期待は捨て去り、
変えることで起こり得るリスクや物事の構造の変化を予測すること、
要するに、その変化によってどういう連鎖や副作用があるか、具体的にシュミレーションしてみること、
本当に望む将来があるなら、これが必要だと私は思っています。
☆ ☆ ☆
「二の足を踏む」という言葉は、
主に「慎重になりすぎる」という意味で使われますが、
慎重になるからには理由があるはずだし、
慎重にしている間に、いろいろと考えることもできます。
要は、「もう少しゆっくり、周りに惑わされず、自分のペースで考えてみてもいいんじゃない?」ってことでした。