東照宮の冬牡丹(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「好意や善意は、すすんで出しましょう」
「いいことは人に教えたり、どんどん薦めましょう」
「愛情があるのにそれを表現しないのは、ないのと同じです」
いかにも聞こえのよい、理想的な言葉です。
しかし、上の3つに疑問はありませんか!?
非の打ち所のない言い分でしょうか!?
ハッキリ言いますね。
上の3つに疑問を持たない(持てない)人は、確実に人に疎まれます。
では、どこがマズイのでしょうか。
…それは、「相手の都合を考えておらず、独善的」という点です。
たとえば、「腐ったものは身体にいいって最近わかったから、私が特別に30日腐れた野菜を食べて。ハイ、これね」と言って、
明らかに酷い状態の野菜を手渡されたら、どんな気持ちになるでしょうか。
…間違いなく嫌ですよね。
しかし、相手は善意でやっている手前、無下に怒ることはできませんし、
人によっては気をつかって笑顔で受け取るかもしれない。
そうすると、相手は「自分はいいことをしているんだ」とばかりに、
「よし、最初は嫌かもしれないけど、だんだんわかってくれるハズだ。じゃあ、次は40日の物を」…。
もう、ゾッとする方もいると思います(笑)
そうなんです。
たとえ善意であろうと、自分にとって最高な物であろうと、
自分に酔っているだけで、受け取る相手はどう思うかはわからないのです。
わからないからこそ、手渡す場面になってみないと、相手の反応もわからない。
しかし、それも気持ち良く受け取ってくれているとは限らない。
気をつかって笑顔を作っている「だけ」で、内心では迷惑がったり、傷ついている場合だってあるのです。
いくら善意だからといって、迷惑するようなものを毎度のように差し出されては、
結局、元からあった善意そのものだって実っていないことにはならないでしょうか。
本物の善意なら、自分の差し出しているものに厳しい目を向けてしかるべきなのです。
お分かりになったでしょうか。
いくら善意から出たものであろうと、下手なものしか差し出せないのであれば、相手に嫌な思いをさせるだけです。
下手なものなら、最初から出さないほうが、本当はよっぽど善意で良心的なのです。
ただ、ここで終わると、「相手の気持ちを考えてたら、善意の差し出し方なんか一生わからないじゃないか」という声もありそうですが、違うんです。
まずは、簡単なレベルから。
笑顔を作るとか、挨拶を欠かさないとか、言葉を選ぶとか、
簡単なレベルから、「どういう相手が、どういう善意に喜ぶのか」を、
ちょっとずつ勉強すればいい。
「善意」でつまずく人は、必ずあまりにも独善的か、難しいことをやろうとしているかのどちらかだけなのです。
善意を伝えるのも、それは勉強あってこそのもの。
無鉄砲にではなく、善意は丁寧に差し出しましょう。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「好意や善意は、すすんで出しましょう」
「いいことは人に教えたり、どんどん薦めましょう」
「愛情があるのにそれを表現しないのは、ないのと同じです」
いかにも聞こえのよい、理想的な言葉です。
しかし、上の3つに疑問はありませんか!?
非の打ち所のない言い分でしょうか!?
ハッキリ言いますね。
上の3つに疑問を持たない(持てない)人は、確実に人に疎まれます。
では、どこがマズイのでしょうか。
…それは、「相手の都合を考えておらず、独善的」という点です。
たとえば、「腐ったものは身体にいいって最近わかったから、私が特別に30日腐れた野菜を食べて。ハイ、これね」と言って、
明らかに酷い状態の野菜を手渡されたら、どんな気持ちになるでしょうか。
…間違いなく嫌ですよね。
しかし、相手は善意でやっている手前、無下に怒ることはできませんし、
人によっては気をつかって笑顔で受け取るかもしれない。
そうすると、相手は「自分はいいことをしているんだ」とばかりに、
「よし、最初は嫌かもしれないけど、だんだんわかってくれるハズだ。じゃあ、次は40日の物を」…。
もう、ゾッとする方もいると思います(笑)
そうなんです。
たとえ善意であろうと、自分にとって最高な物であろうと、
自分に酔っているだけで、受け取る相手はどう思うかはわからないのです。
わからないからこそ、手渡す場面になってみないと、相手の反応もわからない。
しかし、それも気持ち良く受け取ってくれているとは限らない。
気をつかって笑顔を作っている「だけ」で、内心では迷惑がったり、傷ついている場合だってあるのです。
いくら善意だからといって、迷惑するようなものを毎度のように差し出されては、
結局、元からあった善意そのものだって実っていないことにはならないでしょうか。
本物の善意なら、自分の差し出しているものに厳しい目を向けてしかるべきなのです。
お分かりになったでしょうか。
いくら善意から出たものであろうと、下手なものしか差し出せないのであれば、相手に嫌な思いをさせるだけです。
下手なものなら、最初から出さないほうが、本当はよっぽど善意で良心的なのです。
ただ、ここで終わると、「相手の気持ちを考えてたら、善意の差し出し方なんか一生わからないじゃないか」という声もありそうですが、違うんです。
まずは、簡単なレベルから。
笑顔を作るとか、挨拶を欠かさないとか、言葉を選ぶとか、
簡単なレベルから、「どういう相手が、どういう善意に喜ぶのか」を、
ちょっとずつ勉強すればいい。
「善意」でつまずく人は、必ずあまりにも独善的か、難しいことをやろうとしているかのどちらかだけなのです。
善意を伝えるのも、それは勉強あってこそのもの。
無鉄砲にではなく、善意は丁寧に差し出しましょう。