青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

苦しんでいてもいいのです。

2012年09月08日 23時42分16秒 | 青裸々日記。
ペンタスの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 胸につかえたようなものがある時。
 あるいは、なんとなく息苦しいと感じる時。

 そんな時は、もしかしたら、心が傷ついているのかもしれません。



 「なーんだ、そんなキレイゴトを」と思われるかもしれませんが、
 人間、自分の気持ちには、意外と鈍感というか、わかっていないことも多いものです。
 あるいは、強がったり、自分の弱さを嫌うのも、人間の特徴のひとつです。

 いわゆる「わかりやすい傷つき方」とか、「苦しいことがあった」とハッキリわかるようなことがあれば、
 自分を慰めるとか、心を癒すとか、素直に自分を守る方向に動けもします。
 でも、心が傷つく理由は、いつもわかりやすいものとは限りません
 ちょっとした嫌なことが降り積もったり、葛藤が続いたり、
 あるいは、疲れていて傷つきやすくなってしまった時も、
 きついダメージは受けるもの。
 もちろんそういった「見えにくい理由」だって、苦しく感じる原因としては、真っ当なものです。
 しかし、理由もなく心が疲れてしまった場合、「こんな程度のことに苦しむ自分が情けない」とか、「いつから自分はこんなに弱くなっちゃったのかなぁ…」と、
 自分を責める方向でものを考えてしまいがち。
 特に、精神的な疲れが積もりに積もった末に「ちょっと傷ついているかもなぁ…」と自覚した場合、
 それまでの疲れでダメージを受けたのではなく、「疲れを感じる前の最後の一押し」だけで打たれてしまったかのようにも感じてしまうわけです。


 いずれにしても、「苦しく感じている」と認めることは、自分の限界なり、弱さなりを認めるようで、
 かなり勇気のいることだと思います。
 でも、自分に嘘をついたり、本心を無視し続ければ、自分がわからなくなります。
 そうすると、元気がなくなるだけでなく、心に出来た傷口の場所もわからなくなりますから、
 知らず知らずのうちに、傷口を塩水に晒すようなことだってしないとは限りませんよね。
 そう、自分に正直になれば回復も早いのに、
 強がることでかえって傷口を拡げ、元気もなくなってしまうことだってあるのです。


 「どことなく、胸が重い」と感じる皆さん
 自分の気持ちを認めてあげていますか
 苦しいと感じることは、情けないことでも、弱さを証明することでもなりません
 むしろ、自分の弱さがわかるから、弱い部分を守り、強い部分を活かしていけるのです


 「弱さを認めることは、強さの証」とも、昔から言われていますが、
 これは単なる精神論だけではなく、現実に自分をどう活かしていくかの方策でもあります。
 誰だって、苦しい気持ちを抱える時はあるのですから。

鰯のお刺身

2012年09月08日 18時27分22秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 私は肉と魚では、魚のほうが好きです。
 まあ、どっちもおいしいんですけどね(笑)


 それで、たまにスーパーの見切り品を買って、お刺身を楽しむのですが、
 先日の鰯のお刺身が、スッゴくおいしかった!
 口の中でとろける感じが、よかったですねえ。

 またたくさん食べてみたいです。

あおば通

2012年09月08日 07時11分23秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 仙台一の大通りといえば、ここ・あおば通でしょう。
 せっかくの仙台…ということで、覗いてきました。

 2000年に仙石線も伸びてきて、東京顔負けの活気がありました。
 いや、むしろ、震災に負けず、こんなに元気なんだ…と思ったら、
 余計にいい気分になりました。


 時間の都合であまり居られなかったのですが、
 また機会があった時には、ゆっくり歩いてみたいです。

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

自分を許せば、優しくなれる。

2012年09月08日 00時42分15秒 | 青裸々日記。
ペンタスの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 生きていくこと、人として成長していくことにおいて、
 自分に対して、厳しい眼差しを向けることも、時に必要です。
 しかし、自分を厳しく見たり、嫌っている度合いが強いと、
 他人に対しても、厳しい接し方をしてしまったり、嫌うことも多くなるものです

 たとえば、「自分の気の短さに、ほとほと嫌気がさしている」という人がいたとします。
 そうすると、自分と同じように気が短い人を見ると、やっぱり、その相手を嫌いにもなるのではないでしょうか。
 「自分の気の短さが嫌だ」ということは、自分な気が短くなるたびに「なんでもうちょっとだけでも、気を長く構えていられないんだ!」と、
 もどかしさを覚えるわけですよね。
 そして、自分と同じような人を見かけたとなれば、自分の嫌な姿を、あたかも再現VTRで見せつけられたかのような気にもなるわけです。
 ということは、「うまくいかない自分」を、「うまくいっていない相手」に重ねて見てしまうのも、無理はない話。
 だからこそ、自分を嫌っているぶん、同じような特徴の人をも嫌いになるわけです。
 「同族嫌悪」という言葉もありますが、これは、「自分の嫌な部分」と同じものを持っている…という意味で、
 「同族」と言われるわけです。


 だからこそ、なるべくなら、自分に対してはあまり厳しく眼差しを向けないほうがいいのです。

 ただし。
 自己嫌悪に陥ったり、自分に厳しく向き合わないといけないのも、それなりの理由があってのことでしょう。
 わざわざ自分から苦しみに首を突っ込みたいという人は、普通はいませんよね。


 というわけで、「自分が憎くってしょうがない」という皆さん。
 ちょっとだけ、自分を許してやっていただきたいのです。

 プライドがあったり、罪悪感が強いと、なかなか自分を許せないのもわかります。
 でも、自分を許せないと、人のことも、だんだん許しにくくなってきてしまうのです
 あなたが大切に思っている人に、優しく、暖かく接していくためには、相手を許すことが不可欠です
 でも、その優しい気持ちの源が「自分を許す心」なのだとしたら、
 ほんの少しでも、自分自身を許すことだって、まんざらでもないと思うんです


 自分自身を許すのは、どちらかといえば、「他人のために許す」という側面も大きいのです
 そして、自分自身や相手を許しながら、一緒に伸びればいいのではないでしょうか
 自己嫌悪が人を遠ざけるのであれば、自分自身を好きになっただけ、人のことも好きになれるのです


 そうです。
 自分を好きになれば、自分と同じ特徴の人を、好意的に見ることができます。
 そしてまた、人間は、いろんな顔を持っています。
 ということは、いろんな自分を好きでいられれば、いろんな相手を好きになれるのです。



 許せないことは、許さなくていい。
 でも、許すことというのは、偉大な力を持っているのも、また事実なのです。

ポイント募金で東日本大震災復興支援!