青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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至高体験。

2012年05月12日 22時44分09秒 | 青裸々日記。
撫子の話(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 少し心理学的なお話です。

 人間が自信を持つには、「至高体験」という経験が一番と言われます。
 「至高体験」というと難しい言葉のようですが、簡単に言うと、「幸せの絶頂」のことです。
 勝負に勝った、成果が上がった、これ!という人に認められた、
 つまり「これ以上の幸せはない」という瞬間を味わうことで、生きている喜びがわかるのです。
 生きている喜びがわかれば、生き甲斐も出てくる。
 生き甲斐がわかれば、「このために生まれてきたんだ」ということで、自分の価値がわかる。
 だからこそ、「至高体験が必要だ」と言われるのです。



 さて。

 子供の頃にこの「幸せの絶頂」を味わえればいいわけですが、
 全員が全員、そうとはいかないでしょう。
 特に、小さい頃は親に怒られてばかりだったとか、不幸にもいじめられてしまったとか、
 こういう「惨めな時代」が続くと、「幸せの絶頂」とは掛け離れた気持ちにもなるもの。
 そしてまた、「幸せの絶頂がなんなのかわからない」というまま大人になると、
 おのずから、自信が付きにくくなり、生きている意味にも疑問を持ちやすくなってしまうのです。
 あるいは、小さい頃は恵まれていたとしても、大人になってから悲惨な体験や辛い思いばかりしていると、
 「もうあんな幸せは手に入らない」と、絶望感に圧倒されてしまうということもあります。
 いずれにせよ、自分の価値も生き甲斐を見失っているわけですから、活き活きした時間を送れるわけがない。
 せっかく生きているのに、これほど悲しい話はありません。



 こういった「自信や生き甲斐がない」という場合、どうすれば心のハリを取り戻せるか。
 理屈で言えば、「さっきから散々言っている「幸せの絶頂」とやらを体験すればいいじゃない」と思うかもしれませんが、
 そこまで簡単にいかないほど心が重いから、活きた時間を過ごせないわけです。


 それでは、どうするか。

 結論から言えば、「ちょっとしたことを、大袈裟に喜べるようにする」と、私はいいのではないかと思うのです。
 たとえば、簡単な絵を書けただけでも、思い切り自分を褒めてみる。
 料理を味わって、おいしさを堪能する。
 あるいは、散歩をして空気の気持ち良さを感じるだけでも、いいかもしれません。
 いずれにせよ、ちょっとしたことに幸せを感じられれば、それだけ絶頂にも近くなろうというものです。
 (ちなみに、あえて「感謝」とか「ありがたい」という考え方は、心が疲れきっている時はオススメできません。
 なぜなら、心も伴わないまま、根性だけで無理矢理に感謝していると、必ず疲れてしまうからです。)



 「生きていてよかった」という瞬間は、一生舐めていられる飴玉のようなものです
 そして、そんな心の支えは、どんな瞬間からでも生み出せるのです


 私もこれを書いていて、「気持ち良さを感じた瞬間」を、もっと大切にしてもいいのでは?と思いました。
 心を活き活きさせておくと、いろんな活力が出てくるようですね。

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2 コメント

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こんばんは (上総介)
2012-05-12 23:41:20
喜びは心の栄養だと思っています。

(Naoya)さんをはじめ、ブログを拝見させて
頂いていると、自分にたいしてのプラス効果を得られます。心理の中に小さな発見をを見出せるからです。

無理矢理に感謝は考えものですね。
感謝の感は「心」のつく漢字なので
心が無くては。
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Unknown (Naoya)
2012-05-13 13:00:29
上総介さま>
コメントありがとうございます

ブログがお役に立てているということ、嬉しいです。
これからも頑張らせていただきます。

自己啓発本など、カルト的に「ありがとう」を言わせるものがありますが、
無理に言うのは心にとってマイナスなんですよね。
心は元気でしなやかにありたいものです^^
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