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撫子の話(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
少し心理学的なお話です。
人間が自信を持つには、「至高体験」という経験が一番と言われます。
「至高体験」というと難しい言葉のようですが、簡単に言うと、「幸せの絶頂」のことです。
勝負に勝った、成果が上がった、これ!という人に認められた、
つまり「これ以上の幸せはない」という瞬間を味わうことで、生きている喜びがわかるのです。
生きている喜びがわかれば、生き甲斐も出てくる。
生き甲斐がわかれば、「このために生まれてきたんだ」ということで、自分の価値がわかる。
だからこそ、「至高体験が必要だ」と言われるのです。
さて。
子供の頃にこの「幸せの絶頂」を味わえればいいわけですが、
全員が全員、そうとはいかないでしょう。
特に、小さい頃は親に怒られてばかりだったとか、不幸にもいじめられてしまったとか、
こういう「惨めな時代」が続くと、「幸せの絶頂」とは掛け離れた気持ちにもなるもの。
そしてまた、「幸せの絶頂がなんなのかわからない」というまま大人になると、
おのずから、自信が付きにくくなり、生きている意味にも疑問を持ちやすくなってしまうのです。
あるいは、小さい頃は恵まれていたとしても、大人になってから悲惨な体験や辛い思いばかりしていると、
「もうあんな幸せは手に入らない」と、絶望感に圧倒されてしまうということもあります。
いずれにせよ、自分の価値も生き甲斐を見失っているわけですから、活き活きした時間を送れるわけがない。
せっかく生きているのに、これほど悲しい話はありません。
こういった「自信や生き甲斐がない」という場合、どうすれば心のハリを取り戻せるか。
理屈で言えば、「さっきから散々言っている「幸せの絶頂」とやらを体験すればいいじゃない」と思うかもしれませんが、
そこまで簡単にいかないほど心が重いから、活きた時間を過ごせないわけです。
それでは、どうするか。
結論から言えば、「ちょっとしたことを、大袈裟に喜べるようにする」と、私はいいのではないかと思うのです。
たとえば、簡単な絵を書けただけでも、思い切り自分を褒めてみる。
料理を味わって、おいしさを堪能する。
あるいは、散歩をして空気の気持ち良さを感じるだけでも、いいかもしれません。
いずれにせよ、ちょっとしたことに幸せを感じられれば、それだけ絶頂にも近くなろうというものです。
(ちなみに、あえて「感謝」とか「ありがたい」という考え方は、心が疲れきっている時はオススメできません。
なぜなら、心も伴わないまま、根性だけで無理矢理に感謝していると、必ず疲れてしまうからです。)
「生きていてよかった」という瞬間は、一生舐めていられる飴玉のようなものです。
そして、そんな心の支えは、どんな瞬間からでも生み出せるのです。
私もこれを書いていて、「気持ち良さを感じた瞬間」を、もっと大切にしてもいいのでは?と思いました。
心を活き活きさせておくと、いろんな活力が出てくるようですね。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
少し心理学的なお話です。
人間が自信を持つには、「至高体験」という経験が一番と言われます。
「至高体験」というと難しい言葉のようですが、簡単に言うと、「幸せの絶頂」のことです。
勝負に勝った、成果が上がった、これ!という人に認められた、
つまり「これ以上の幸せはない」という瞬間を味わうことで、生きている喜びがわかるのです。
生きている喜びがわかれば、生き甲斐も出てくる。
生き甲斐がわかれば、「このために生まれてきたんだ」ということで、自分の価値がわかる。
だからこそ、「至高体験が必要だ」と言われるのです。
さて。
子供の頃にこの「幸せの絶頂」を味わえればいいわけですが、
全員が全員、そうとはいかないでしょう。
特に、小さい頃は親に怒られてばかりだったとか、不幸にもいじめられてしまったとか、
こういう「惨めな時代」が続くと、「幸せの絶頂」とは掛け離れた気持ちにもなるもの。
そしてまた、「幸せの絶頂がなんなのかわからない」というまま大人になると、
おのずから、自信が付きにくくなり、生きている意味にも疑問を持ちやすくなってしまうのです。
あるいは、小さい頃は恵まれていたとしても、大人になってから悲惨な体験や辛い思いばかりしていると、
「もうあんな幸せは手に入らない」と、絶望感に圧倒されてしまうということもあります。
いずれにせよ、自分の価値も生き甲斐を見失っているわけですから、活き活きした時間を送れるわけがない。
せっかく生きているのに、これほど悲しい話はありません。
こういった「自信や生き甲斐がない」という場合、どうすれば心のハリを取り戻せるか。
理屈で言えば、「さっきから散々言っている「幸せの絶頂」とやらを体験すればいいじゃない」と思うかもしれませんが、
そこまで簡単にいかないほど心が重いから、活きた時間を過ごせないわけです。
それでは、どうするか。
結論から言えば、「ちょっとしたことを、大袈裟に喜べるようにする」と、私はいいのではないかと思うのです。
たとえば、簡単な絵を書けただけでも、思い切り自分を褒めてみる。
料理を味わって、おいしさを堪能する。
あるいは、散歩をして空気の気持ち良さを感じるだけでも、いいかもしれません。
いずれにせよ、ちょっとしたことに幸せを感じられれば、それだけ絶頂にも近くなろうというものです。
(ちなみに、あえて「感謝」とか「ありがたい」という考え方は、心が疲れきっている時はオススメできません。
なぜなら、心も伴わないまま、根性だけで無理矢理に感謝していると、必ず疲れてしまうからです。)
「生きていてよかった」という瞬間は、一生舐めていられる飴玉のようなものです。
そして、そんな心の支えは、どんな瞬間からでも生み出せるのです。
私もこれを書いていて、「気持ち良さを感じた瞬間」を、もっと大切にしてもいいのでは?と思いました。
心を活き活きさせておくと、いろんな活力が出てくるようですね。
(Naoya)さんをはじめ、ブログを拝見させて
頂いていると、自分にたいしてのプラス効果を得られます。心理の中に小さな発見をを見出せるからです。
無理矢理に感謝は考えものですね。
感謝の感は「心」のつく漢字なので
心が無くては。
コメントありがとうございます
ブログがお役に立てているということ、嬉しいです。
これからも頑張らせていただきます。
自己啓発本など、カルト的に「ありがとう」を言わせるものがありますが、
無理に言うのは心にとってマイナスなんですよね。
心は元気でしなやかにありたいものです^^