青裸々日記 Aorara Diary

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言葉の処理。

2010年12月09日 17時09分32秒 | 青裸々日記。
みなとみらい(神奈川県横浜市西区/中区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 世の中、残念ながら悪意でしか物を言えない人がいるものです。
 人情として、そんな悲しい人を癒したり救ってあげたい気持ちになったり、
 優しい人であればどこか罪悪感を抱いたりもしてしまうものですが、
 現実問題、よほど大切な相手でない限り、いちいち構うにしても限界があります。
 そこで、その限界を迎える前に、悪意ある言葉を受け流して精神的に元気でい続ける態度が、
 本当に大切な相手を救うにしても、肝要なものになってきます。


 私達が言葉を受け取る時、
 ただ物理的に目や耳を使って情報を処理しているだけでなく、
 そこに感想を加えることで言葉に意味を与え、感じ取るというプロセスを経ているわけです。
 たとえば「ケーキ」という文字を見れば、
 「フワフワのスポンジにクリームが乗ったもの」というだけでなく、
 「おいしそう」
 「甘そう」
 「体型を保てるかが心配」
 「キレイ」
 …などと、そこに様々な解釈を加えているのが、私達人間という生き物なのです。


 これを踏まえて。

 また例え話になりますが、
 「ブサイク」と言われても、傷つく人と平気な人がいるのは、
 一体なぜでしょうか!?

 …答えはもう簡単ですね。
 自分のことをどう思っているかで、感じ方も違うからです。
 自分のことを「不細工でみっともない、情けない奴」と思っているか、
 「別に不細工じゃないし、見る目がない人はいるよね」と思うか、
 はたまた「不細工かは別として、外見って人を判断する上でそんなに大切な価値基準でもないから興味がない」と考えているかで、
 同じことを言われているにもかかわらず、ダメージに差が出てくるわけです。
 そしてまた、状況や精神状態によって、悪意ある言葉をどう感じるかが違うことは、
 皆さんよく経験されていると思うんです


 要は、「言葉の強さや汚さ」×「本人の普段からの自己評価」×「本人の精神状態」に左右されるのが、
 「言葉によるダメージ」だという考えが成り立つ
のです。

 「人の意見に耳を傾ける謙虚さや優しさ、そして向上心がある」ということは、人間として大切なことだし、魅力の一つです。
 しかし、「人の意見に全てを委ねるだけで、自分がどう思っているかの意見がない」ということは、
 精神状態の制御を完全に人に譲り渡してしまうこととイコールですから、
 結局は情緒不安定になりやすいのです。


 自分の本音を大切にすること。
 肩肘を張らず、たとえ自分を嫌な奴と思っていようが、素直に感じること。

 人の意見に傷つくかどうかよりも、
 いかに自分や他人が成長できるかどうかを考えたほうが、
 なにかと生産的かと思いますが、
 いかがでしょうか!?

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