青裸々日記 Aorara Diary

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自分いじめ。

2010年09月14日 22時58分27秒 | 青裸々日記。
竹千代像(静岡県静岡市駿河区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 「他人をいじめる」と言うと、
 その光景を連想するのは、とてもたやすいと思います。

 暴力。
 言葉責め。
 恥ずかしいことをさせる。
 必要なものを奪う。
 このように、例なんていくらでもありますよね。

 …では。
 「自分に対するいじめ」と言うと、
 自分に対して辛辣な言葉を投げたり、粗末に扱うことを指すこと、
 こんな風に定義することができます。
 言うまでもなく、人生は自分との付き合い。
 変な言い方になりますが、自分という媒体を通してしか生き抜くことができないのであれば、
 自分をいじめるよりも、自分と協調したほうが良いに決まっています

 だから、自分をいじめるのはやめましょう。


 …という簡単な話で整理がついて、「そっかあ、自分は大切にしたほうがいいんだな」、とわかるならよいのです。
 しかし、「自分いじめ」についての話がこれで済まない場合があるわけです。


 ☆ ☆ ☆

 なぜ、そこまでして自分をいじめなくてはいけないのか。
 普通に考えてメリットのない「自分いじめ」を、
 中毒的に繰り返してしまう理由はどこにあるのか。
 原因をただしてはじめて抜け出せることが世の中にはたくさんありますが、
 「自分いじめ」もその一つだと思います。

 罪悪感をなんとか払拭するため、自分に罰を与えてなんらかの償いをしたい。
 自分に不可能なことや身の丈を知らしめ、軽はずみな行為を慎むようにしたい。
 自分に嫌気がさして、自分のマネジメントをすることにいい加減疲れた。

 …つまり、自滅を目指し、幸せを放棄する方向に向かうにしても、
 必ずその裏には本人なりの葛藤、ひいては挫折感なりトラウマなりがあるわけです
 そこを見抜いて早く埋め合わせをしない限り、
 自分いじめはなくならないのです。
 原因を断ち切らない限り、一切の援助や励ましは無に返ってしまいます。

 私は「原因を見抜いて早く埋め合わせる」と書きました。
 いかにもあやふやな表現ではありますが、
 自分いじめの原因によって、
 対応も変わってくるからです。
 たとえば、同じ「罪悪感」を解消するにしても、
 原因ひとつで以下のように次善策が変わってくるのです。
 ・本人の勘違いでしかない場合、事実関係を明らかにする
 ・考え過ぎや自意識過剰による場合、認知が歪んでいる旨を納得してもらう
 ・実際に償いを済ませる
 etc...


 というわけで。

 「自分いじめ」が癖になっている場合、
 それは抜き差しならない心の問題が顕在化していると思って差し支えありません。
 自分をいじめても得られるものはありません。
 せいぜいマイナスがゼロになるかならないか、というのが関の山。
 心がおかしくなっていると、
 そのマイナスを求めて自分をいじめるから安心を得られると思いがちですが、
 「自分いじめ」の果てには、その償いをする術もなくなった自分自身への絶望しか待っていないのです。


 自分をいじめるのは自由です。
 しかし、自分をいじめるが故に誰かの力になれないことがあるならば、
 自分をいじめることに対してどう考えるかも、変わってくると思うのです

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