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曼珠沙華(東京都青梅市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「人に必要とされたい」というのは、大切な気持ちです。
誰かの力になることは、生きる喜びにも繋がるからです。
あるいは、自分の価値を見出だすきっかけになることもあるでしょう。
しかし、そういう欲求はほどほどだからよいのです。
あまりに「必要とされたい」という気持ちが強すぎると、かえって人が離れてしまうことすらある。
「人のために」とやっているのに、その気持ちが強いがために人を遠ざけてしまうのは、
一体なぜでしょうか!?
これは逆の立場から考えると、ものすごく簡単にわかります。
綺麗事でもなんでもなく、私達が生きていくには、多くの人の力を必要です。
まず、いつも順調な人なんていませんから、家族や友人がいなければ、心が弱ってしまうこともあります。
それに、仲間がいなければできない仕事もある。
さらに広く見ていくと、水道や電気を作ったりコントロールする人、電車や車を動かす人もそうだし、
よく使うお店だって、多くの人が使わなければつぶれてしまいます。
このように、いろいろな人の力を借りてこそ、私達はなんとか生きていくことができる。
しかし、そういう人たちがいくらありがたいとは言えど、
いつも切に必要としているとか、いつもそばにいてほしいとか、いちいち意識しているわけではないハズです。
それに、自分にだってすべきことはあるわけです。
そうです。
いくら人を必要としているからといって、年がら年中特定の個人をギラギラ欲しがっているなどというのは、
余程のストーカーなど、精神がおかしくなっている人ぐらいというのが、現実ではないでしょうか!?
さて、ここで話を戻してみましょう。
そんなにも特定の誰かを必要とすることが少ないなら、逆のことも言えるハズです。
つまり、私達だって、そこまで目をぎらつかせて「あなたが必要です!」とか「あなたは素敵です!」などと言われることだって、
確率としては少ないと考えるのが自然ですよね。
そこを、異常なほど「必要とされたいんです!」と言うのは、
どこかで自分の評価がズレてしまっているからということが出来るのではないでしょうか。
ただし。
「じゃあ、人に必要とされたいと思うのは間違いなんですか?」というのもまた違います。
さきほど、「人が生きていくには多くの人の力が必要です」とお話ししました。
ということは、特に必要とされたいと思わなくても、
誰しもほどほどに必要とされ、ほどほどに役に立っているのです。
まずそのへんをきちんと客観視すること。
自分では「誰の役にも立っていない」というつもりでも、
「多くの人のおかげで」のくだりの通り、間接的に貢献している部分もあるのです。
言いかえれば、別に重い信念などなくても、人の役に立つことは出来るわけです。
そういう流れで、自分の出来る範囲で淡々とやっていく。
「人の力になれるかなれないか」は、簡単に白黒がつくものではありません。
できるとしたら、その白黒を少しずつじわーっとどちらかに近づけるくらい。
つまり、「自分の出来ることを尽くしてみる」だけなのです。
無理に人に自分を押し売りすることはありません。
「そこそこ必要、ほどほどに欲しがられる」ぐらいから少しずつやっていけば、それで十分なのではないでしょうか!?
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「人に必要とされたい」というのは、大切な気持ちです。
誰かの力になることは、生きる喜びにも繋がるからです。
あるいは、自分の価値を見出だすきっかけになることもあるでしょう。
しかし、そういう欲求はほどほどだからよいのです。
あまりに「必要とされたい」という気持ちが強すぎると、かえって人が離れてしまうことすらある。
「人のために」とやっているのに、その気持ちが強いがために人を遠ざけてしまうのは、
一体なぜでしょうか!?
これは逆の立場から考えると、ものすごく簡単にわかります。
綺麗事でもなんでもなく、私達が生きていくには、多くの人の力を必要です。
まず、いつも順調な人なんていませんから、家族や友人がいなければ、心が弱ってしまうこともあります。
それに、仲間がいなければできない仕事もある。
さらに広く見ていくと、水道や電気を作ったりコントロールする人、電車や車を動かす人もそうだし、
よく使うお店だって、多くの人が使わなければつぶれてしまいます。
このように、いろいろな人の力を借りてこそ、私達はなんとか生きていくことができる。
しかし、そういう人たちがいくらありがたいとは言えど、
いつも切に必要としているとか、いつもそばにいてほしいとか、いちいち意識しているわけではないハズです。
それに、自分にだってすべきことはあるわけです。
そうです。
いくら人を必要としているからといって、年がら年中特定の個人をギラギラ欲しがっているなどというのは、
余程のストーカーなど、精神がおかしくなっている人ぐらいというのが、現実ではないでしょうか!?
さて、ここで話を戻してみましょう。
そんなにも特定の誰かを必要とすることが少ないなら、逆のことも言えるハズです。
つまり、私達だって、そこまで目をぎらつかせて「あなたが必要です!」とか「あなたは素敵です!」などと言われることだって、
確率としては少ないと考えるのが自然ですよね。
そこを、異常なほど「必要とされたいんです!」と言うのは、
どこかで自分の評価がズレてしまっているからということが出来るのではないでしょうか。
ただし。
「じゃあ、人に必要とされたいと思うのは間違いなんですか?」というのもまた違います。
さきほど、「人が生きていくには多くの人の力が必要です」とお話ししました。
ということは、特に必要とされたいと思わなくても、
誰しもほどほどに必要とされ、ほどほどに役に立っているのです。
まずそのへんをきちんと客観視すること。
自分では「誰の役にも立っていない」というつもりでも、
「多くの人のおかげで」のくだりの通り、間接的に貢献している部分もあるのです。
言いかえれば、別に重い信念などなくても、人の役に立つことは出来るわけです。
そういう流れで、自分の出来る範囲で淡々とやっていく。
「人の力になれるかなれないか」は、簡単に白黒がつくものではありません。
できるとしたら、その白黒を少しずつじわーっとどちらかに近づけるくらい。
つまり、「自分の出来ることを尽くしてみる」だけなのです。
無理に人に自分を押し売りすることはありません。
「そこそこ必要、ほどほどに欲しがられる」ぐらいから少しずつやっていけば、それで十分なのではないでしょうか!?
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