青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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自分を許せば、優しくなれる。

2012年09月08日 00時42分15秒 | 青裸々日記。
ペンタスの花(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 生きていくこと、人として成長していくことにおいて、
 自分に対して、厳しい眼差しを向けることも、時に必要です。
 しかし、自分を厳しく見たり、嫌っている度合いが強いと、
 他人に対しても、厳しい接し方をしてしまったり、嫌うことも多くなるものです

 たとえば、「自分の気の短さに、ほとほと嫌気がさしている」という人がいたとします。
 そうすると、自分と同じように気が短い人を見ると、やっぱり、その相手を嫌いにもなるのではないでしょうか。
 「自分の気の短さが嫌だ」ということは、自分な気が短くなるたびに「なんでもうちょっとだけでも、気を長く構えていられないんだ!」と、
 もどかしさを覚えるわけですよね。
 そして、自分と同じような人を見かけたとなれば、自分の嫌な姿を、あたかも再現VTRで見せつけられたかのような気にもなるわけです。
 ということは、「うまくいかない自分」を、「うまくいっていない相手」に重ねて見てしまうのも、無理はない話。
 だからこそ、自分を嫌っているぶん、同じような特徴の人をも嫌いになるわけです。
 「同族嫌悪」という言葉もありますが、これは、「自分の嫌な部分」と同じものを持っている…という意味で、
 「同族」と言われるわけです。


 だからこそ、なるべくなら、自分に対してはあまり厳しく眼差しを向けないほうがいいのです。

 ただし。
 自己嫌悪に陥ったり、自分に厳しく向き合わないといけないのも、それなりの理由があってのことでしょう。
 わざわざ自分から苦しみに首を突っ込みたいという人は、普通はいませんよね。


 というわけで、「自分が憎くってしょうがない」という皆さん。
 ちょっとだけ、自分を許してやっていただきたいのです。

 プライドがあったり、罪悪感が強いと、なかなか自分を許せないのもわかります。
 でも、自分を許せないと、人のことも、だんだん許しにくくなってきてしまうのです
 あなたが大切に思っている人に、優しく、暖かく接していくためには、相手を許すことが不可欠です
 でも、その優しい気持ちの源が「自分を許す心」なのだとしたら、
 ほんの少しでも、自分自身を許すことだって、まんざらでもないと思うんです


 自分自身を許すのは、どちらかといえば、「他人のために許す」という側面も大きいのです
 そして、自分自身や相手を許しながら、一緒に伸びればいいのではないでしょうか
 自己嫌悪が人を遠ざけるのであれば、自分自身を好きになっただけ、人のことも好きになれるのです


 そうです。
 自分を好きになれば、自分と同じ特徴の人を、好意的に見ることができます。
 そしてまた、人間は、いろんな顔を持っています。
 ということは、いろんな自分を好きでいられれば、いろんな相手を好きになれるのです。



 許せないことは、許さなくていい。
 でも、許すことというのは、偉大な力を持っているのも、また事実なのです。

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