青裸々日記 Aorara Diary

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健全なナルシシズム。

2010年12月12日 19時10分27秒 | 青裸々日記。
東京メトロ豊洲駅前(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 自分を認め、自分の世界を築き、信念を持つことは、
 生産的で充実した時間を送るという意味では、なんら責められるものではありません。
 しかし、ナルシストと言われるレベルになってしまうと、
 対人関係に障害が出てしまいます。
 一般にナルシストが嫌われるものは、
 自分に酔ってしまうあまり、誰からの意見も聞き入れられなくなってしまうだけでなく、
 ともすれば自分の意見や価値観を、誰彼構わずに押し付けてしまうらです。
 こうして脱・ナルシスト!とばかりに、
 ナルシストの傾向が強い人を叩き、
 そしてまた、自分はそんな迷惑な人間にならないよう、ビクビクして生きている人もいるわけです。


 私が指摘しておきたいのは、「ナルシシズム」と「自己愛」は、
 全くの別物であるということです。
 「自己愛」というのは、自分が道を踏み外さないように、人様に幸せを分け与えられるようにしっかり自分を律して、
 むしろ人に意見を押し付けたり、忠告を無視したりしない態度のことを言います。
 正しい自己愛を育んだ人は、ナルシスト全く違う、優しく強い人格者になっていくハズです。
 だいたい、私はナルシストじゃない!という主張そのものがナルシシズムに満ちていることに、
 どこかで気づく必要があるのです。



 ただし。


 食べ物を作っている人が自分の仕事や味に太鼓判を押せなければ商売にならないように、
 「自分を認められている」
 「自分に惚れている」
 こんな感覚を持たないことには、誰とも関係を築くことはできません。
 ただし、前述のようにナルシストみたいな人はなにかと問題が多い。
 そこで頭のよい人、お人よしな人ほど、
 「自分をどう扱えばよい対人関係を築き、誰かと上手くやっていけるか」について、
 思考を巡らせてしまうのです。


 私が思うに、人間である以上ナルシシズムがセットで付いてくるなら、
 むしろナルシシズムを活かす方向で対人関係を築いていけばよいのではないか
という発想をしてしまいます。
 料理を例に出すと、どんなに「自分はなんておいしい料理を作れるんだろう」と思って食事を作ろうが、
 結局、口に入れてくれた人が喜んでくれれば、
 別になんら問題はないわけです。
 味に惚れているからといってそれを他人にさとられたりひけらかす態度が問題なのであって、
 自分に惚れていることそのものは、特に問題ではないのです
 相手を思いやっていれば、多少は自分に酔っていないと結局はどんな価値も提供できないのです。


 自分に酔った結果、よい成果や空間が出来てそれで人がついてくるという理想を持っていることが大切です。
 物は見方で変わるのです。

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