青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
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「相談」。

2012年07月27日 23時40分51秒 | 青裸々日記。
朝顔の花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 人に相談をする時。

 相談するからには、「なんらかの問題」があるからこそ、人を頼って、困ったことを打ち明ける、
 こんな側面がありますよね。
 何も、困ったこと、壁に思えることがないのに、相談することはないわけです。


 さて。
 相談は相談でも、その言葉や内容を真に受けるかどうかは、
 十分に相手の様子をうかがってから、答える内容や言い回しを決めたほうがよいのです。

 これ、「なあんだ、至極当たり前の話じゃないか」と思った方が、大半だと思うんですね(笑)
 そりゃあそうでしょう、相談事に限らず、「話をさせてから受け答えを決める」というのは、人間関係を上手く運ぶ大原則です。
 しかし、「相談事」に限定して話をしているのには、実は、もう一段、深いワケがあるのです。



 皆さんは、「相談があるんだけど、話をしてもいい!?」と聞かれたまではいいけど、
 「相談」と言いながら、その実、愚痴や不満を吐くだけとか、同情を求めるだけで話が終わってしまった
 こんな経験、ないでしょうか!?
 いかにも問題を抱えているようでも、その問題自体はどうでもいいわけです。
 もちろん、本当に困ったことがあって相談する場合も十分にありますが、
 「相談」の中には、とにかく、言いたいだけとか、同情してほしくて、
 「相談」という言葉を「かくれみの」に使っているだけ、というケースもまた、得てして多いのです
 だからこそ、「様子をうかがってから答える」のも、「これは問題の解決と同情、どちらが求められているのかな!?」と、
 見抜いた上で、考える必要があればこそ、というわけです。


 たしかに、面倒くさい話ではあります。
 しかし、甘え心の一つやふたつ、誰だって持っているもの。
 そしてまた、それを認めたくない気持ちも、等しく持っているものだと思います。
 だからこそ、「相談」という形を借りてコミュニケーションを取ることが、
 実は、ちょうどよい体面を取るにはピッタリなのです。


 繰り返しになりますが、「相談」は相談でも、問題自体の解決を求めるものと、同情を求めるもの、この2つがあることを、
 相談する側、される側の両方が認識すれば、人間関係ももう少しわかりやすいものになる気がします。
 強いて言えば、同情を求める「相談」は、「精神的に寄り添ってくれる人がいない」という意味の相談だと思っていいのかもしれません。
 それぐらい、人は孤独には弱いし、恐怖も感じやすい生き物なのです。



 相談ひとつで相手の心理を見抜ければ、人に優しくなれます。
 そんな優しさを持った人は、「人間の弱さもわかって、その克服する筋道もわかっている」という意味で、
 強くもなれると思うのです。

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