AI である ChatGPT を一度でも使った者が、最初に驚嘆するのは、その反応のスピードだ・・・。
『人間わざ』ではない・・・を実感する瞬間であり、AIの存在を強く認識させられる瞬間でもある。
私のような低次元での使用でも、一応ビックラこいているのだから、高次元で使用している人々の恩恵度は想像もできないほどだろう。
で、そのスピードについて何か書こうとおもって『即座』という漢字を観たとき、私はその文字『座』の在ることに驚いた。
私にとって『座』は『坐禅』の『坐』と観て、それは即、『般若智』を表すので、『即坐』で『般若智のスピード』を意味しているのだ。
つまり、佛教的に云うと『即坐』とは『観自在』の般若智で、
『AI』の人工知能に対する自(慈)性の智慧ということで、私は『JI』と先日名付けたばかりだ。
たぶん私はだれよりも『色即是空空即是色』の『即是』に注目する者だと思っているが、
『即是』のスピードたるや、量子力学でいうところの『重ね合わせ・もつれ』反応のスピードで、光より早いと思う。
そのスピード感を、いにしえの仏教徒は『即坐』・・・と書き表した。
面白いのは、『速い』はずなのに『坐』であることだ。
ここを、現代人によく考えてもらいたい。 禅の公案として『AI時代』に生きる人間として解明すべき問題だ。
毒リンゴ 喰らえと蛇の そそのかす 即坐に観るや 弥勒微笑む :馬骨
私は小学生のとき、学級委員とかいう頭のいい子がやる委員ではなく、体育の時間だけ元気がよかったので、厚生委員なんかを拝命して
クラス全員の前で司会のような役をやらされ、いつも家に着いてから『ああ〜、あれはこう言えば良かった…』などと自分の頭の遅いことを
嘆いて、それは今現在も同じだが、智慧より先に『感情』が即坐にその正否を示していることに気づく。 感情は思考よりも速い・・・。
それは『坐』によりて、その智慧が在ることを知る・・・。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます