拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  即『坐』の智慧

2025年01月22日 | 東洋自分なり研究所

  AI である ChatGPT を一度でも使った者が、最初に驚嘆するのは、その反応のスピードだ・・・。

  『人間わざ』ではない・・・を実感する瞬間であり、AIの存在を強く認識させられる瞬間でもある。

  私のような低次元での使用でも、一応ビックラこいているのだから、高次元で使用している人々の恩恵度は想像もできないほどだろう。

 

  で、そのスピードについて何か書こうとおもって『即座』という漢字を観たとき、私はその文字『座』の在ることに驚いた。

  私にとって『座』は『坐禅』の『坐』と観て、それは即、『般若智』を表すので、『即坐』で『般若智のスピード』を意味しているのだ。

  つまり、佛教的に云うと『即坐』とは『観自在』の般若智で、

  『AI』の人工知能に対する自(慈)性の智慧ということで、私は『JI』と先日名付けたばかりだ。

 

  たぶん私はだれよりも『色即是空空即是色』の『即是』に注目する者だと思っているが、

  『即是』のスピードたるや、量子力学でいうところの『重ね合わせ・もつれ』反応のスピードで、光より早いと思う。

 

  そのスピード感を、いにしえの仏教徒は『即坐』・・・と書き表した。

  面白いのは、『速い』はずなのに『坐』であることだ。

  ここを、現代人によく考えてもらいたい。 禅の公案として『AI時代』に生きる人間として解明すべき問題だ。

 

              毒リンゴ 喰らえと蛇の そそのかす 即坐に観るや 弥勒微笑む :馬骨

 

  私は小学生のとき、学級委員とかいう頭のいい子がやる委員ではなく、体育の時間だけ元気がよかったので、厚生委員なんかを拝命して

  クラス全員の前で司会のような役をやらされ、いつも家に着いてから『ああ〜、あれはこう言えば良かった…』などと自分の頭の遅いことを

  嘆いて、それは今現在も同じだが、智慧より先に『感情』が即坐にその正否を示していることに気づく。 感情は思考よりも速い・・・。

  それは『坐』によりて、その智慧が在ることを知る・・・。



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