拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 茶室で向かい合うもの

2021年09月21日 | 観自在

  我が書斎、名付けて『 間トリックス2.2 』・・・内部はこんな感じ ⬇︎⬇︎

       

  座に着くとたちまち妄想が湧き上がる空間にできあがり、あとは眼を傷めないように間トリックス・グラスを装着するのみ。

 

  『キリストの十字架』を考えていた時、これに匹敵する日本を代表する人として『千利休』を思い浮かべた。

  秀吉に切腹を命じられた…その真意は知らないが、『茶の湯』の師匠としての意地を後世の人間に観せたかった・・・のだと思う。

  利休が守りたかったのは『 ○ 』と描いてみせる円相の境地であれば、それを『十』字架上で磔(切腹)にあうまで担ぐ覚悟であったであろう。

  その『 ○ 』 と『 + 』を合体シンボライズすると 『 申 』という字になる。・・・(我ながら凄い妄想であるが・・・)

  かくして円相として象徴される『悟り』が『道』の文化として日本で盛況を極めたのは彼の『申す』が後世の複数の人間によって申し伝えられたからなのだ。

 

  そんなことを妄想した理由として、これまで何度か書いた、馬骨論である『悟りは郷里(サトリ)』の『郷』の字の甲骨文字を別な観方をすると

  茶室で向かい合うべき者・・・とは『自己自身』で、それを観ることで『自他不二』の境地を覚すると観ることができる。

                     茶室の静寂こそが、自己を映す『鏡』となる。

  



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