拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 大丈夫教

2021年07月11日 | 観自在

  我が『オヤジ・ギャグ』の最高峰・・・となるか?  『大丈夫教』…

  『大丈夫教』とは『仏教』が行き着いた姿・・・を『オヤジ・ギャグ』風に言い表した『大乗仏教』のカジュアル版である。

 

  二十数年前、引越し屋として現場へ向かうトラックの中で相棒の下請けの親玉、ポルトガル人のアントニオが突然…

  『オレはカトリック教徒だけんど、お前は仏教徒かえ?・・・で、仏教ってどんな教えかのう?』と問うのである。 

  普段、バカ話しかしていないのに急に真面目くさって聞かれて、私は・・・なんと答えていいのか判らなかった。

  忘れられないのは、答えられない私自身にびっくらこいた私の顔を、不可解な眼差しで観ていたアントニオの表情である。

 

  今なら、過去に戻って『アントニオ、仏教とは大丈夫教だよ・・・』と、教えてあげるのに。

 

  『大乗仏教』だなんて、考えるとかなり上から目線の命名だけれど、よくぞ名付けてくれたものだ。

  もともと仏教には大乗仏教にならざるをえない資質を備え、なるべくしてなったわけであるが、

  それが『禅』という無色透明な仏教にまでなって世界中に浸透するとは『仏様』でも知らなかったであろう。

  

  『大丈夫教』・・・というと、最初に私の頭に浮かんだイメージはいつも笑顔で腹のぷっくりと膨らんだ布袋様の姿で、

  私の書棚にドッシリと座っている木彫りの『布袋様』であった。

  仏像大好き人間である私から見れば『布袋様』は、なんか間抜け…な感じがして、ワタクシ的にはその仏の位はかなり低い位置にある。

  ところが、布袋様のイメージが私の持っている山田無文老師の著書『十牛図』にあったような気がして…その本を観て見て驚いた!

  (十牛図とは、悟りにいたる10の段階を10枚の絵と詩で表した10世紀中国の禅僧『郭庵』が描いたのが最初で色々なバージョンがある)

                                           

   十牛図の最期の段階『入鄽垂手』(にってんすいしゅ)・・・はこの図になっていて、布袋様の姿が観られる。

  『入鄽垂手』とは〜悟りを開いたとしても、そこにとどまっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りに導くべく交流を深める・・・とある。

  そして山田無文老師によると、『中国では布袋和尚が弥勒菩薩の化身であると尊敬され信仰されている…』というのだ。

  エーッ!!、あの優美な弥勒菩薩が『布袋様』に化身?・・・ さもありなん『大乗仏教』ならぬ『大丈夫教』だもんな! ありえるわ。

  ここで昼飯をしながら考えるに、かの『志村けん』の、『変なおじさん』や『大丈夫だ〜』のギャグも案外、布袋様がベースになっているのかも・・・?!

  

         

  

  

  

 

  



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