送別会の翌日、聖霊降臨祭の6月4日(日)、相方の親戚の娘17歳がニコルに是非来て欲しいという要望に答えて
我々夫婦は再びジュネーブに出かけ、彼女の堅心式に参加した。
堅心式そのものには、ジョナスの時に参加していたが、今回ジュネーブ郊外でおこなわれた教会での堅心式は
まただいぶ違った趣であった。
僕自身はキリスト教もこちらの学校教育における宗教状況もほとんど何もしらない状態でこういった式を身近かに
見聞することが出来た事は西欧を理解するにも、逆に日本の文化を理解する上でも非常に参考になったような気がした。
日本人は『無宗教』であることをむしろ誇らしげに表明するぐらいあっけらかんに無宗教であることを思うと
学校と各市町村が一体となって青少年(16〜17歳が主体)をキリスト教へと導く文化の在り方を目の当たりにした時
感慨深いものがあると思うのだ。(学校では宗教の時間があって、それに参加するかどうかは自由であるとのこと)
学校での宗教の時間数とかどれくらいか?は知らないが、今回参加した14,5人の生徒一人ひとりをよく知っている
様子の牧師さんが一人ひとりの性格などを紹介しながら、公衆の面前で信心が堅いことを宣言させる・・・というような
シーンが繰り広げられるが、驚いたのは『いまだ信心がかたまらない…』という青少年もその旨を宣言できるということだ。
同じ青少年でも、こういった宗教的な『問い掛け』がある文化とそうでない文化…このあたりに精神面での育成になんだかの
影響があるんだろう…なァ〜・・・ということがとても印象に残った。
それと、ユーモアたっぷりに生徒たちを紹介する一方、真剣な眼差しで青少年の額に手をかざしているベテラン牧師の言動は
門外漢の自分には『芝居がかった』ものに見え、日本の禅寺で見ただけではなく、体験した『式』の有り様の違いに思いが
いったものだが、これら青少年に『神』の存在の有無について信じるかどうか?・・・を大人たちは期待の眼差しを壇上の
青少年に注がれているところに、ヨーロッパ文化そのものが見えた気もした。
この少女は照れながらも、むしろ明朗に信心を持てないと宣言・・・それもまたヨーロッパか!
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