五月末、いわゆるスイスでの男性65歳『定年退職』となった。
それに関して会社をはじめ下請けの仕事仲間、友人達などが、それぞれ違った形で『祝』ってくれた。
仕事でもプライベートでもだいたい『独り』ぺースで生きてきたので、こういった『会』で真ん中に席をもうけられると
落ち着かないが、そういったボクの質をしっている人達はわりとユルリとした会にしてくれたのが有難かった。
これまで様々な職業を転々としてきたなかで、もっとも嫌いな『引っ越し』を職業にするとは思いもしなかったし、
しかも、仲間と一体になって成し遂げるチーム隊形でキャプテンの役まわりを期せずしてやる羽目になって
それが案外やりがいや、面白みのある仕事であった、というかそういう仕事にすることが出来たことは
ラッキーであったとつくづく思う。
( ちょっと説明を要するが『引っ越し』と言っても『海外引越』で、仕事のメインパートはまず『梱包』
そして倉庫までの『運搬』、最後に船積み用コンテナに載せる前段階の『荷の大箱詰め作業』・・・となる )
15年間、『引越し屋』をやってきたわけであるが、思い出ということになると、ハッキリとよく覚えている思い出は
つらかったり、嫌な思い・・・ばかりであるのが、笑える。
引っ越しが無い時、ボクは空港と税関が一体になっている大きな建造物の中で、他の貿易会社の連中に混じって荷の出し入れの
仕事をしていたが、皆から『Nippon』と呼ばれて親切にしてもらった。男ばかりの世界で、一見荒々しい雰囲気の中でも
彼等は案外皆親切で、助けあっていた。中でも僕らが出し入れする荷がどこよりも一番でかい荷で、しかもリフトなどの機械
を使わず自分の手と足で引っ張るトランスパレット(仏語)で移動させていたから、かなり目立った存在であったろう。
今日アップする写真は ボクの引っ越しチームの下請けの親玉ポルトガル人・アントニオが催してくれた『お祝い会』
アントニオの倉庫をパーティ会場にして彼の得意の炭焼きバーベキューの様子。
どこか日本人に通じる人情の男アントニオと。
自分の引っ越し屋を立ち上げたばかりの時に、下請けでボクとチームをくむことになって以来のアントニオと仲間たち。
皿包嬢のメンバーも子連れで参加してくれた。彼女らにボクはどれだけ助けてもらったか・・・感謝!
F1のチャンピオンのようにシャンパンを開けろと、言うが、なんせ初めてなんで、と・・・もたつく図
首に掛かっているレイとその先についているメダルに『定年』『祝』と書き込んだメダルは皿包嬢が作ってくれた。
会社でも心温まる『送別会』を催してくれた。いま、そうした送別会をボクは何故か『卒業』・・・という感じで受け止めて
それが、一番気持にピッタリする言葉のような気がする。『卒業』は別れであると同時に新しい旅立ちであるから。
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