拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

編集するには、それが解っていることが前提

2010年03月09日 | インポート

 眼からウロコの本<花鳥風月の科学> 松岡正剛著の <夢>の章のある文章を読んで・・・なるほど!と思ったことがあった。

 ボクが撮る写真、意識的であれ無意識であれ瞬間的に撮ったり、撮らされたりする写真にはボクの潜在的な欲求の断片<夢>で、いつの日かその断片<夢>は何を意味するのか、という疑問をボクに提起し解答へとボク自身を導く。逆に全く違うルートからボクはその解答を得て、その断片の写真に意味を与える。・・・それを松岡さんは<時間を越える情報編集>と呼んでいるようだ。

 確かに、ボクが今考えている<通過儀礼>にしても<花猫風月>にしても、前者は断片を並べて全体を見通した時、見えてくる主軸<通過儀礼>をもとに編集するあしがかりとなって、後者はまず主題がありそれに沿って断片を拾い集め総体を編集して行く・・・と言った波のゆれ戻しのようにボクの脳は思考錯誤して主題を明確にして行く。

 いずれにせよ、自分自身の存在の主題を見つけるための想像から創造へ、<上求菩提>。
                   見つけた後の創造       <下化衆生>。

   で、自分の主軸探しが、まず前提となると思う。

 それにしても、ジュネーブの自動車ショウは大盛況のようで、会場周辺のパーキングには車が満杯。ボクがロボットを好きなように、自動車が好きでたまらに人が沢山いるということであろうか?まあ、車もロボットへの一過程のようなものか。


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