拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 36年ぶりのヴェニス

2019年10月22日 | 一撮レポート

36年ぶり…って、どういうことなのか??

初めてヨーロッパに来た時、(1983年)当時のスイス人ガールフレンドに連れられて来たはずのヴェニスのボクの思い出は完全に『モノクロ』になっていて、その記憶というのは本当に断片的なもので、『死んだ街』というのがボクのヴェニスのイメージだった…。

ヴェニスから帰った翌日、偶然にもそのガールフレンドの妹に30年ぶりで駅で対面した時、『誰だかわかる?』と突然声をかけてきた老婦人の笑顔にはまったく覚えのない顔であったが、相手はボクの名前を呼んで、ボクを確信をもって知っている様子なので笑顔の彼女の顔をじっと見つめ…ボクの脳の記憶装置をフル回転すると果たして・・・あゝ…昔の彼女の妹、、、と、尋ねると『そうよ!』と答えてくれた。

 

まぁ、36年ぶりとは…こういうものである!、ということを神様はこの偶然で教えて下さったのだろうか?

先日(16、17、18日)そのヴェニスに2泊3日で行ってきた。

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今回はしっかりと何もかもカラーで観えたヴェニスでは、かの『ヴィエンナ−レ展58回』が11月中旬まで行われていたので、それを中心に観ることにしていた。

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昔来た時は、夏であったにもかかわらずとても寂れた感じで、観光客もほとんどいなかったように思う…、交通の便は街を網の目状に取り巻く運河をいく有名なゴンドラという小舟か、モーター付きの渡し船で、ヴェニスというと当時のボクにとっては沢渡朔という有名写真家と彼が撮ったナディアというイタリア女性の連載写真にあったゴンドラに横たわるナディアのイメージ…しかなく、ガールフレンドに突然連れられたヴェニスがどこなのか??も知らず、夜行列車で一泊して着いた夕暮れのヴェニスは、車が走る喧騒もないやたら古めかしい建物が不気味なほど物静かに建っている様は完全に映画のセット風であった。

しかし、36年後のヴェニスは違っていた。観光客で賑わっていたが、それでも最盛期のシーズンよりはよほど少なかったに違いない。

『ヴェニス・ヴィエンナ−レ展』というのは昔から名前だけはずーっと聞いたことのある有名な展覧会であるが、それを実際に観ることができたことは良かった。

規模もさることながら、オーガナイズもよくヴェニスという島自体がこういった展示にふわわしい空間を提供している。

普通の街であれば観るものが多すぎる…と、くさすに違いない量の展示だが、喧騒の一切ない街で、ゆったりしたスペースとよくオーガナイズされた展示は本当に作品を観る楽しみだけに集中できる環境なのが、ヴェニス・ビエンナーレがこんなに長い間名声を博している理由なのだと思った。

今回のタイトル『May you live in interesting times 』…というものだが、まさにドンピシャの題名のような気がした。

面白い作品が沢山あったが、そのほんの一部を観ていただくと、

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片山マリさんの作品は大きく2箇所に分かれているヴィエンナ−レ展の両方に展示されていた。インパクトの強いセルフ・ポートレートにサイボーグ時代の西来を思わせる。

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宇宙の卵…と題された作品は日本館が展示している深いもの。

4人の各分野の日本人が協力してできた企画作品。

この写真一枚では何がなんだかさっぱりわからないであろうが、ソファ状のバルーンから送られる空気で上にぶら下がる縦笛が演奏される仕組みで、ボクには雅楽の笙(しょう)のように聞こえた。横文字の説明文を面倒で読まずに展示を観るとさっぱり解らず、監視している女の子にぶら下がっている装置について聞くと12本の『縦笛』であることがわかり、なんとなく謎が解けたような気がした。自分が最近研究している『和らぎ』『観音』などのキーワードにやはり通じるのが日本の存在であることを確認。

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これは、ヴィエンナ−レとは別なExposition。

あまりにも見事に磨かれがガラスの塊はまるで水が溢れ出るようで触ろうとしたら、この写真で真中に立っている監視女性が『ドント、タッチ!!』と大声で怒鳴られ久しぶりにビビった一撮であった。

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オペラ劇場・フェニックス… 昔、相方はオペラの舞台監督助手をやっていた時代があったということで、懐かしがっていたが、にわかに信じがたい事実である。

そういえば相方ニコル退職後初めての旅行となった。 


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