『悟り』は『郷里・サトリ』・・・って言っているけど、その『郷里』の風景はどんなものなんだろうか。
言葉や文字では表現できない『不立文字』であると、『禅』は宣言しているが、
祖師たちが残した様々な仏典の中に数々のヒントを残してくれている事がわかるようになってきた。
中でも『観自在菩薩』の『観自在』という言葉には『時空の制限を主体としたあらゆる制限からの自在性』の保証を感じる。
そもそも、『観自在菩薩』の『観』もしらない私が最初に坐禅した時、痛感したのは『時間』の問題だった。
その『時間』のことを考えていた時、子供の頃見たNHKの連続ドラマ・・・『時間よ、止まれ』のことが思い出され
電脳で調べてみると、1961年私が9歳のときNHK『ふしぎな少年』というタイトル、原作は手塚治虫氏の漫画をもとに
約一年間15分の連続ドラマとして配信されていた・・・ことがわかった。
(さらに、この漫画は1952年、私が生まれた年に『新世界ルルー』というタイトルで『漫画と読物』に連載していたという。)
当時、9歳だった私はこの白黒TV連続ドラマをよく見て、主人公の少年が腕を斜め上に振り上げて『時間よ、止まれ!』と叫ぶと
街中の人々の動きが一瞬にピタリ…と止まるシーンに私はたぶん興奮していたのだろう。
当時はこの『時間よ、止まれ』が流行語になったそうだが、今思えば、映画『マトリックス』に匹敵する次元のぶっ飛んだ話であった。
その意味でも手塚治虫という漫画家、以前話した『西遊記』もそうであるが、世に『悟り』を喚起する仕事をしていたのだと思う。
我々人間は過去から未来へただ流されて生きているわけでは無い・・・そういった風景は、世の賢人達が様々なやり方で遺してくれている。
中国唐代の有名な禅僧の『喫茶去』(まぁ、お茶でも召し上がれ)と言うのが、私には『時間よ、止まれ!』に聞こえる・・・。
1979年頃、京都に住んでいた恋人と大原に行った時、彼女が時間を止めた図
私自身は未読であるが、ゲーテの『ファウスト』の絶命するときのセリフは『時間よ止まれ、お前は如何にも美しい…』だそうだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます