拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  聖なる・静なる・生なる場

2012年09月13日 | オレ的アングル
  今朝 パンを買うために近所の パン屋さんに向かう途中 「赤い鳥居を通っている女性の後ろ姿」のポスターを見かけた。
  ボクが ポスター通り と名付けた60mほどの 土手を利用したポスター展示場的通りの前を通った時 いろいろなポスター
  に混ざって 「あれっ!」を思わせた のがこの日本のポスターであった。 スイス人による日本茶についての講演を
  知らせるポスターであった。

  これを見た時 ボクは今まで考えたこともない 疑問の答えが 勝手に出てきたのである。

  日本にあって ここスイスに無くて 「どうも寂しい・・・」と ボクは心の奥底で考えていたのであろうか?
  それに対する答えが このポスターを見た時 ぽろっ・・・と出てきたのだと思う。

  ボク自身も 長い間無神論者を自認していたし、沢山の日本人が特に宗教を 信仰していない・・・というのは
  周知の事実と思い込んでいた為に 今日の今日までボクは 気が付かずにいた 日本人の「聖なるものへの・・・」
  畏怖の念 という様なものの存在。 それは我々日本人には あまりにもさり気なく 神棚、神社、寺の境内、祭り、   
  初詣、七五三、葬式などなど 数え切れないほど 時空的に様々な形で関わっているいるので 意識に登っていない
  だけで 我々は実際には 十分スピリチュアルな生活環境にいるのではないか・・・と気づいたのだ。
  

  そして その意味で ここヨーロッパは あちこちにラーメン屋やそば屋がない と同じくらい
  スピリチュアル情緒を 満足させてくれる 聖なる・静なる・生なる場所が 少なすぎるのだ。 
  ヨーロッパに住んでいて どんなに美しくても 何か物足りなさを感じる原因は 実は
  ここにある・・・事を 今日 ボクはわかったのだと思う。

  我々日本人は 誰もが 「聖なる・静なる・生なる」場として 共有共感できる時空を生活環境に取り入れる
  工夫をしてきた。 沢山の外国人(とくに我が相方)が日本に憧れる理由も このへんにあるのではないだろうか。

      
         ボクの仕事は ここを 聖なる・静なる・生なる場所にする ことかも。
             徘徊も その“場”詠み込む やまと技 :一撮
    


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