釈尊(お釈迦様)は29歳のとき、小国の王子という位と、妻子を捨てて出家した・・・。
紀元前5世紀、インドでの平均寿命を想像すると『29歳の出家』というのは案外『遅い』し、王子という重責と妻子の存在を考えると
迷いに迷った末、決死の思いで城を抜け出し、出家したのだろう・・・という事情が観えてくる。
結果的に、出家後6年にして『悟り』、80歳の死の間際まで説法をして亡くなるという、じつに『あっぱれ!』としか言いようのない生き様。
そんな釈尊と対比するのもおこがましい事を承知でいうと、わたし馬骨の出家(?)というか、仏道の路端の路端あたりに至ったのが、29歳であった。
円覚寺居士林の学生接心(昭和57年度春季)に友人と参加した馬骨29歳(右)・・・これが禅修行に入る動機となった。
(この写真は接心終了直後、私には相当辛らいもので、もう二度と来るものか・・・と思っていたのに・・・)
辞書によると、『出家〜世俗の生活を捨て、僧となって仏道を修行すること。在家〜出家せずに、普通の生活をしながら仏教に帰依すること。』・・・とあるが、
当時29歳の私にしてみれば、別に仏教に帰依していたわけでもなく、ただ坐禅をし、徐々に生活の中心に『禅修行』が位置してきただけであったのだが
今思えば、それが『私の出家』であったのだと思わずにいられない・・・というか、それを新しい『出家』の現代的定義とする事で『仏道(修行)』の波及が
よりはかられるのではないか、と思ったのだ。
『仏道修行期』は、僧侶にしろ在家にしろ、一時的にせよ徹底的に『世俗生活を捨てる』のは当然として
仏道修行期を終えた、プロの僧侶の中でも、どれほどの僧侶が『世俗の生活を捨て』ているか?
またそれは捨てる必要はないが、『精神的出家』を堅持している僧侶は実際どれほどいるのか?
仏教を魅力ある宗教に底上げし、大衆に普及出来ていない現状を観るかぎり・・・『一切皆苦』の世の中で、『出家』という『もう一つの視点』、
『救済という視点』の欠如が『仏道』がパットせず、世の中がやたらに暗い要因ではないか・・・?
(書いているうちに、内容が内容だけに、まさに『坊主憎けりゃ袈裟までにくい』みたいな諺(ことわざ)に落着してしまったが、
お坊さんは尊敬しているし、日本をより良くするために頑張ってほしい。)
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