拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 “ 懐かしい未来 ” を読んで~ その1

2013年06月16日 | 観自在
  ラダックの事を書いた本「懐かしい未来」著者ヘレナ・ノーバーグ=ホッジ をまだ半分しか読んでいないけれど これは書いておきたい・・・という
  ことがあった。

  それは ラダック人のことを 書いてあるのに 何故かボクの知っている日本人・・・の事のように思えてくることであった。
  考えてみると ヘレナがラダック人に見出したものは 仏教徒の原型みたいなもので 日本人の生き方の中にも 同質のものがあることを ハッキリ
  とボクは感じることが出来た。
  ボクの記憶では わずか2世代以前の日本人に その “懐かしい”・・・原型の香りを感じ取ることが出来るほど 濃厚に存在していた・・・
  いや、実際には今でも それは現日本人の中にある日本人としての、というより人間としての「原点」・・・でなければヘレナもその著書の
  タイトルに「懐かしい」などという言葉は使わなかった・・・だろうから。(まぁ、そのへんは全部読み終えてから考えてみるが)

  p126にこんな文章がある。
  引用~物事はこうでなければならないという考え方に固執するより、むしろ物事をあるがままに積極的に受け入れる能力が身に付いている。
     例えば、何ヶ月も天塩にかけて育ててきた大麦や小麦が、収穫の途中で雪や雨のために駄目になってしまうことがある。だが、まったく
     平静を保ち、よく冗談を言って苦境を笑い飛ばす。
     死でさえも、私たちよりたやすく受け入れてしまう。・・・・

  上記の文章に書かれていることを読んで ボクはこんどの東日本大震災と福島原発事故以降の 日本人の行動様式に思いを馳せた時 
  長いものに簡単にまかれてしまうボク自身の性格を見るまでもなく わが日本人の生き方そのものを感じる。
  物事をあるがままに受け入れる能力・・・これまでそれが「能力」であるとは思わなかったが、たしかに西洋人から見れば「能力」と言えるかもしれない。
  が、その人の良さを 最大限に利用してきた守銭奴がいることも 確かで、それが政府レベルで行なわれていたのだ、と気付かされたのが 今回の3・11
  がキッカケであったわけだ。
  受け入れる能力+拝金マフィアの洗脳によって 「死」をも受け入れる 現代日本人・・・それで いいわけが無い。

            
            ボクの「こんにちは日本」より 1970年代のわが故郷北見にて


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