禅者は必然的に『無』とか『空』とかに向き合う者とした時・・・現代風・馬骨解釈すると『無=0』、『空=∞』と観てしまう。
だいたい、『0』が大円鏡智で『0』を自覚(観察)した姿が『∞』印・・・となったのだろう(?)と、子供の発想だとすぐ解る。
自覚の在る無しに関わらず、日本(伝統)文化は『無』を志向していて、その過程で『謙譲の美徳』が出てきたと言えそうだが
確かに、日本人が海外に出ると、人にもよるのだろうが総じて『謙譲・謙虚』の状を表す事が一般のように思う。
外国人の間にあって『謙譲の美徳』など、通用しない・・・という声も聞くが、それは表層を観ただけの意見で、
実際には『謙譲の美徳』に洋の東西は無い。
優れた人は常に謙虚で、なぜなら無意識に『無と無限の関係』を知っているからではないだろうか。
『全てを知るものは、すべてを許す』という言葉があるそうだが、その『全て』には『不知の自覚』があるからこそ、全てを許せるのだろう。
『謙譲の美徳』からは程遠い色メガネの馬骨・・・じつは花粉症対策なのだが、付けてみて解った『色』メガネの意味・・・
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