拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  龍の智力

2012年06月19日 | 観自在
  龍年生まれのボクは 「龍」への思い入れが他の人より大きいに違いないが 禅の修行をさせて頂いた円覚寺の天井に うずくまって
  我々を睨みつけていた「龍」を見上げても それがどういう意味を持っているのか わからないままに 足掛け6,7年の修行にピリオドを打って
  この地スイスにやって来た。

  「龍」というと 何だかわからないが 未知の力を秘めたパワフルなイメージ・・・から「悟り」によって生じる精神的なパワーみたいなもの、とい  
  いうような受け止め方をしていた。
  仏教辞書を見れば いろいろ書いてあるが もともと「龍」自体が架空のものであるから どのように受け止めようが 本人がより納得いく
  ものであれば宜しい・・・みたいなルーズなところが 仏教も含めた 東洋という 茫洋とした文化の 良い点であると思う。

  仏教といっても 現在いろいろな宗派があるわけだが その根源にはやはり 釈迦の「悟り」をベースにしていることは異論はないだろうと思う。
  そしてその「悟り」から 仏教の無数と言っていいほどの言葉が生まれた。 しかしついには その「悟り」自体は言葉や文字では表現できない
  と「不立文字」という言葉が出来たわけであるが、 その不立文字そのものが 絵で表すと「龍」になるのだろうと思う。

  しかし、その「龍」から発せられる智力は 別な人が用いた場合 時には「華」であったり 「立てた一本の指」であったり 「杖」であったり
  「乾屎厥(カンシケツ)=糞かき棒」になったり つまり なんにでも自由自在に 姿形を変えて 他の人をして「龍の智力」の開眼を助ける「力」と
  なるのだと思う。 なぜなら仏陀の願いは 衆生無辺誓願度・・・にあり 龍の智力により 人は安楽になるのだから。

               


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