昨夜は、山崎ハコさんの『織江の唄』・・・というのに、すっぽりハマってしまった。 秋のせいだろうか?
五木寛之氏の小説『青春の門』のテーマ曲となりましたが、結局映画には使われる事はなかったそうです。
私自身は映画も観てないし、小説も読んでないのですが、この曲を何度も聞いていると、グッとこみ上げてくるものがあり
歌の雰囲気と『青春の門』というタイトルから、つい自分の離郷の時のことを還暦スキャンしてしまいました。
小、中学と貧しき中にも充実した時を過ごしましたが、進学できないのに(生活保護)、進学校の高校に行ってしまい
行く前までは、高校とは楽しい所・・・と思っていたのが、受験勉強一色、生徒と先生の関係も希薄で、勉強するモチベーションも持てず
成績も散々なものでした。高一の時に、実母は亡くなり、市の福祉課のお世話で親切な市会議員さんの二階に下宿生活となりました。
そういった事もあり、高校三年間は、とにかく卒業だけはしなければ・・・という我慢と、あたかも田舎のこの土地に地縛(じばく)されて
いるようで、悶々とした気持ちで過ごす中、せめて本だけでも読まなければと、自分にあいそうな本を自選して授業中も本を読んだものです。
私は『青春の門』というようなものは、還暦する世代になって初めて観えてくるものでは・・・と思う。
そして『還暦』というのは、『青春の門』とか人生の通過儀礼の象徴などを顧(かえり)みることで
それぞれの人生の腑に落としこむシステムとして在るように思う。
当の本人は若過ぎて、自分がどこにどのように在(い)るのかすら観えていない。 しかし、またそれで良かったのだとも思う。
ただ還暦することで、泣くなり、大笑するなり、一旦感情に決着をつける作業・・・のようなものが、人生を豊かにするように思うのだ。
その手助けとして、人それぞれ、時代時代に琴線に触れる・・・歌や絵などの芸術があるような気がする。
私が高校を卒業して、離郷する際はたった一人の旅立ちであったが、それまでの我慢という圧縮燃料に着火したロケットの如く
それまで私を地縛していた地元大気圏を豪快に突破するため、前進あるのみで後ろをまったくかえりみることはなかった。
就職した東京も3ヶ月で辞め、神戸まで飛んだとき・・・私は初めて本当の自由を感じたものだ。
私の旅立ちの『青春の門』とは、どこに向かって行って良いのやら分からなかったが、まずは自分の現在地を知るために
コンパスとしての磁石を探しだす旅立ちであったように思う。そしてだいぶ後に、磁石は慈石で、全ては慈力に導かれていたのだと思うに至った。
山崎ハコ「Hako Yamasaki」 ||| 織江の唄「Orie's song」
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます