拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  現前する月

2023年06月07日 | 東洋自分なり研究所

  Youtubeのホーム画面に、茂木健一郎さんの『月はそれを見てない時にも存在するのか?』・・・というタイトルの動画を発見し、拝見。

  知らない学術用語を乱発されていて、ちんぷんかんぷん…。 30分の動画を途中で切り上げた。

 

  『月はそれを見てない時にも存在するのか?』・・・この設問は、だいぶ前に『量子力学』系の動画を観ていた時になされていて、『へえ〜』と思ったものだ。

  どうやら『量子力学』的には、『月は観ていないときには存在しない』・・・ことになるらしい。

  しかし、この設問を真逆にしてみると『観ている時、確かに現前している月』・・・ということになるよなぁ。

 

  私は写真家であるから、『観察の芸術』=『俳句』にいたく共感するが、そうしてみれば芭蕉の俳句はすべて『現前する喜び』を詠っている・・・のだと

  あらためて感心し、東洋の文化の根底には『月は観ている者にしか現前しない』・・・という哲学を前提にして『在る』のだと思う。

 

  そうした時、芭蕉の 『古池や 蛙飛び込む 水の音』・・・の味わいが深まるような気がしてきた。

 

       

  この『写俳』的短歌は9年前の6月に詠ったもので、大変無骨なフォントが致命的選択であるが、当時の自分らしさが出ている…

 

  今、街を歩けば、携帯に眼を釘付けにして真っ直ぐ歩いてくる『馬鹿』が増えているが、『月』は観えているか?

 

  



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