道産子の私は19才で、東京経由(京王プラザホテル就職…3ヶ月のみ)して、神戸は六甲道の牛乳屋さんに住み込みすることになった。
今考えてもよくぞ、東京から誰一人知り合いもいない神戸まで移動したものだと思う。(一応、神戸外国語大学の夜間部を目指す目標はあったが)
高校の3年間まったく勉強していなかった私は当然、受験に失敗し、かわりに芦屋にあった専門学校で写真を勉強することにしたのだ。
水を得た魚・・・とは当時の私のことで、それこそ言葉や文化の違う関西での生活を、カメラ小僧としておおいに楽しむことになった。
今日、展示する写真は牛乳配達する家々を毎月末に集金をするわけであるが、その際に撮影したものである。
いまあらためて観ると、当時の婆様たちは皆、着物姿である!・・・当時私は21才ぐらいで、婆様たちは70代後半〜80代であろうか。
とすれば、この写真を取ったのは1973年頃なので、第二次世界大戦の時は彼女達は40才代であったであろう。
彼女たちの屈託のない『笑顔』というのは、戦後の平和を享受する1970年代当時の日本人の『顔』といえるのかもしれない。
北海道の片田舎で父親もなく育った私は、自国日本の歴史も知らずに漫然とこれらの写真を撮っていたが、写真の腕前とは関係ない次元で
そういったモノが写真には写し込まれていて、観る眼を持つ者はそういった歴史的背景をも読み取るであろう・・・。
そういった意味では、いま注目されている『Chat GPT』などの利用も同じような条件を要すると思う。
このお婆さんは、牛乳屋の女将さん。典型的な神戸六甲下町のおばさんで、人懐っこい関西弁で私の名前を呼ぶ声をいまでもよく覚えている。
ここの牛乳屋さんは、彼女の娘婿さんの代と2世代同居のファミリー牛乳屋さんで双方の兄弟やら孫やらがいて賑やかなファミリーであった。
爺様達もこんな感じ・・・といいながら、私も彼等の年齢に近づきつつあるわけであるが・・・。
今の写真家たちはこういった肖像写真を自由に撮って発表することが許されていないであろう。
牛乳配達のあんちゃん+カメラ小僧という立場を利用して、こういった写真を撮ることができた良き時代を懐かしく思う。
この写真本当に良いなぁと感動して拝見しました。皆様の表情が素晴らしいです。生き生きと生活する人達が自然で美しく、良い時代だったのかとも思います。また楽しみに訪問します。
当時私は初心者で、無我夢中で撮っていたと思いますが、今はこんなに無心で素直に撮る事はできないでしょうね。残念ながら。