★ 。・。・゜♪゜・。・。★ 平和の砦575交心 ★ 。・。・゜♪゜・。・。★
★ 平和の砦575交心zsk0403
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政権の騙しの手本荒れる冬
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★★★ FB青柳仁zsk04『 世間はそれを詐欺という 』 へどうぞ!!! ★★★
政権の騙しの手本荒れる冬 仁
それでも黙る市民はいるか
☆☆☆ 日刊ゲンダイ『 世間はそれを詐欺という 』 へどうぞ!!! ☆☆☆
Shoichiro Ikenaga ·
世間はそれを詐欺という【自民党】国民騙しでボロ儲け 大義なき自己都合選挙を繰り返し、国難偽装、増税隠しで議席を増やした政権与党の恐るべき金満ぶりに子育てすらままならない国民の嘆息が怒りに変わらない摩訶不思議 金権腐敗政治の無間地獄で庶民は殺される(日刊ゲンダイ)
正体は己が目で見よ枯雄花 仁
操りを絶ち共生に立つ
> 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 。。。日本国憲法前文
外憂の裏は国難凍る月 仁
醒めたる目には国民騙し
> 富国という単語はなかなかよくできていて、実体を巧妙に隠すのに、じつにうってつけの言葉です。富国というと、豊かな国や豊かな暮らしを思い浮かべるでしょうが、そうではありません。
富国とは、文字通り国が富むことであり、国民全般が富むことではありません。明治維新から太平洋戦争開戦にいたるまでの日本の国情を調べてみると、国民全般の暮らしは常にと言っていいほどひっ迫していました。
そのいっぽうで、貴族、政治家、官僚や軍部の上層部、あるいは国策会社の経営者は、鹿鳴館のどんちゃん騒ぎを引き合いに出すまでもなく、きわめてリッチで浮かれていました。つまり富国とは、国民大衆から巻き上げた上前で国の中枢に位置する人たちが豊かになることだったと見ることができます。 。。。苫米地英人『戦争論』p009
これ以上出血すまい鎌鼬 仁
国に任せぬ暮らしと命
> われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 。。。日本国憲法前文
返り花利他共振の絆あれ 仁
国境を越え大地を母に
> ということは、強兵という言葉も同じ文脈で捉えなおさなければなりません。国民を強兵に仕立てるのは、国民を使って領土を奪い、現地の敵国人を奴隷にして金儲けを行い、それによって日本の中枢の人々がリッチになる政策だったということです。
事実、日清、日露の両戦争に勝利しても、国民生活が豊かになった形跡はありません。つかの間の勝利の高揚はあったにせよ、国は戦争利益を国民に分配することもなく、むしろ国民生活は戦争をするたびに疲弊していったといえるような状況です。
明治から昭和にかけての文献を読むにつけ、国民主権の民主国家になったはずの戦後日本がまさに同じようなコースを歩んできたことに、私は驚きを禁じえません。
そして、日本はいままた偽装包装紙を臆面もなくほどき去り、戦争をいとわない国家主義の本性を見せ始めているわけです。 。。。苫米地英人『戦争論』p009
民と民和して交われ水涸れる 仁
騙し殺さぬ主権の絆
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政権の騙しの手本荒れる冬
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正体は己が目で見よ枯雄花 仁
操りを絶ち共生に立つ
> 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 。。。日本国憲法前文
外憂の裏は国難凍る月 仁
醒めたる目には国民騙し
> 富国という単語はなかなかよくできていて、実体を巧妙に隠すのに、じつにうってつけの言葉です。富国というと、豊かな国や豊かな暮らしを思い浮かべるでしょうが、そうではありません。
富国とは、文字通り国が富むことであり、国民全般が富むことではありません。明治維新から太平洋戦争開戦にいたるまでの日本の国情を調べてみると、国民全般の暮らしは常にと言っていいほどひっ迫していました。
そのいっぽうで、貴族、政治家、官僚や軍部の上層部、あるいは国策会社の経営者は、鹿鳴館のどんちゃん騒ぎを引き合いに出すまでもなく、きわめてリッチで浮かれていました。つまり富国とは、国民大衆から巻き上げた上前で国の中枢に位置する人たちが豊かになることだったと見ることができます。 。。。苫米地英人『戦争論』p009
これ以上出血すまい鎌鼬 仁
国に任せぬ暮らしと命
> われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 。。。日本国憲法前文
返り花利他共振の絆あれ 仁
国境を越え大地を母に
> ということは、強兵という言葉も同じ文脈で捉えなおさなければなりません。国民を強兵に仕立てるのは、国民を使って領土を奪い、現地の敵国人を奴隷にして金儲けを行い、それによって日本の中枢の人々がリッチになる政策だったということです。
事実、日清、日露の両戦争に勝利しても、国民生活が豊かになった形跡はありません。つかの間の勝利の高揚はあったにせよ、国は戦争利益を国民に分配することもなく、むしろ国民生活は戦争をするたびに疲弊していったといえるような状況です。
明治から昭和にかけての文献を読むにつけ、国民主権の民主国家になったはずの戦後日本がまさに同じようなコースを歩んできたことに、私は驚きを禁じえません。
そして、日本はいままた偽装包装紙を臆面もなくほどき去り、戦争をいとわない国家主義の本性を見せ始めているわけです。 。。。苫米地英人『戦争論』p009
民と民和して交われ水涸れる 仁
騙し殺さぬ主権の絆
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