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ロシアのプーチン大統領(右)と会談する日本の森喜朗首相=2001年3月25日(タス=共同)
『とうとう安倍首相が(二島返還)平和条約を決断』(17年遅れで森総理の2001年イルクーツク宣言の履行)
2001年3月25日時、日露両首脳は1956年の日ソ共同宣言を交渉の出発点と位置付けた『イルクーツク宣言』を発表して、半世紀ぶりに平和条約の締結(第二次世界大戦の最終的な戦後処理)が目前にまで迫っているかに見えた。
しかし、2002年の小泉純一郎の平壌訪問からマスコミ総ぐるみの北朝鮮バッシングで日本の国民世論が悪化。病的な右傾化が極限まで進んで現在に至っている。
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『17年も前の2001年には一旦妥結していた日露平和条約』
この時日本政府は外務省人脈の鈴木宗雄衆議院議員や佐藤優外務省主席分析官などを使って事前交渉を綿密に行って1956年の日ソ共同宣言(河野一郎。鳩山首相)で決着していた歯舞色丹の二島返還での日露両国の平和条約締結が、44年遅れでほぼ決まっていたらしい。
ところが森首相は『神の国』発言で失脚、首相が世紀のトリックスター小泉純一郎に代わった途端、鈴木宗雄議員は面白おかしく数々のムネオ疑惑で大炎上するし、ロシアとの裏交渉の窓口だった佐藤優は平成の怪僧ラスプーチンとしてバッシングされる。
ロシアのプーチン大統領と会談した森喜朗首相は世紀の愚か者として嘲笑の対象になっただけではなく、直接ロシア(プーチン政権)と交渉していた鈴木宗雄衆議院議員や佐藤優分析官の二人は逮捕投獄。公職から追放されている。
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読売新聞2016年 9月23日(金) 『北方領土、2島返還が最低限…対露交渉で条件』
政府は、ロシアとの北方領土問題の交渉で、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを最低条件とする方針を固めた。
平和条約締結の際、択捉、国後両島を含めた「4島の帰属」問題の解決を前提としない方向で検討している。
安倍首相は11月にペルー、12月には地元・山口県でロシアのプーチン大統領と会談する。こうした方針でトップ交渉に臨み、領土問題を含む平和条約締結に道筋をつけたい考えだ。複数の政府関係者が明らかにした。
択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持する。その上で、平和条約締結後の継続協議とし、自由訪問や共同経済活動などを行いながら、最終的な返還につなげる案などが浮上している。
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『安倍政権でも2年前の2016年には一旦妥結していた日露平和条約』
2年前の2016年当時ですが、なぜか政府自民党に一番近い保守的な論調が特徴の読売新聞だけが『二島返還での日ロ平和条約締結』を報じたが他のメディは挙国一致でバッシングして潰してしまうのですから不思議だ。(もちろん、内容的には2001年の森首相当時に日露両政府で妥結していた平和条約と同じ中身だったが、この時は読売を含むすべてのマスメディアがバッシングして潰している)
この辺の詳しい事情は佐藤優とか鈴木宗雄など関係者は全て知っているが、何しろ相手は曲者なので発言はあくまで慎重だが、それでも大事な真実の一端を正直に語っている。
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ロシアのプーチン大統領(右)との首脳会談の冒頭、握手を交わす安倍晋三首相=2018年11月14日午後6時54分、シンガポール
『三度目の正直!』それとの「二度あることは三度ある」か「仏の顔も三度まで」か
『首相「2島先行返還」軸に日ロ交渉へ 4島一括から転換』2018年11月15日 朝日新聞
安倍晋三首相は14日、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した。56年宣言は平和条約締結後に歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島の2島を引き渡すと明記している。日本政府は従来、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の2島も含めた北方四島の一括返還を求めていたが、首相は今後の交渉で2島の先行返還を軸に進める方針に転換した。
『日ロ 平和条約交渉加速で一致 「2島返還」の宣言を基礎に』 2018年11月15日 木曜 - FNN
シンガポールを訪問中の安倍首相は14日夜、ロシアのプーチン大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させることで一致した。
会談について政府関係者は、平和条約締結への新たなスタートを切ることができたと成果を強調した。
安倍首相「戦後70年以上残されてきた課題を、私とプーチン大統領の手で終止符をうつ。その強い意志を大統領と完全に共有した」
会談後、安倍首相は、平和条約締結後に歯舞と色丹の2島を引き渡すとした、1956年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させることで一致したと述べた。
また、年明けにもロシアを訪問し、プーチン氏とあらためて会談することで合意したことも明らかにした。
★注、
今回TBSなど他のマスメディアも異口同音に『二島返還での日ロ平和条約締結』を肯定的に報じているのですから驚いた。(この様な場合、何時もなら必ずマスコミで罵詈雑言、ヘイトの嵐が吹き荒れるのですが、今回は一切何の騒動も起きていない)
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『日露平和条約締結での決定権はロシアでも日本でもなくて、一番大事な主役はアメリカ』
世の中が不可逆的に大きく変わったようです。一番最初の1956年の日ソ共同宣言(日本側全権は河野一郎と鳩山一郎首相)時は冷戦を優先するアメリカのダレス国務長官の『日ソ平和条約締結締結なら沖縄を返さない』との恫喝で潰されている。
東西冷戦崩壊後の2001年に(妨害が入らないように)秘密裏に鈴木宗雄や佐藤優を使った水面下の日露交渉での平和条約締結では、ジャパンハンドラーやマスコミなどエスタブリッシュメントの『挙国一致』での常識はずれな激しいバッシングで潰されている。
『双方の力関係が大きく変化する』
不思議なのは2年前(2016年)の読売新聞の動きで、この時は読売以外の他のメディアが連合して潰しているが、今回は(中身は2年前をまったく同じなに、)全てのテレビや新聞などのマスメディアが『二島返還での平和条約』締結を肯定的に報じている。
2年前と現在とでは、明らかに日本を取り巻く『流れ』が、唐突に大きく変わったのである。
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『日本側の主役は安倍晋三ではなくて鈴木宗雄と佐藤優。もちろん本当のメインはアメリカ大統領のドナルド・トランプ』
やはり2016年11月8日のアメリカ大統領選でのドナルド・トランプの劇的な勝利の影響は大きい。
あの2018年6月12日の北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)とトランプのシンガポールでの歴史的な米朝首脳会談開催と今回の日露平和条約とは連動して動いていると思われる。(どちらも今までは不完全なままだった第二次世界大戦の最終的な平和決着を目指している)
今でもCNNやワシントンポストなどのリベラルメディアの仁義なきトランプ大統領への激しいバッシングは続いているが、トランプが目論む『第二次世界大戦の完全終了』は完了する。一度動きだした巨大な歴史の歯車は、もはや誰にも止められないのである。
★注、
ただし、『夢をもう一度』で、朝鮮戦争休戦レジームの終了に不満を持つ極右国粋主義の安倍側近のカルト勢力による150年ぶり2度目の王政復古のクーデターとか、同じく第二次世界大戦の完全終了を嫌った戦争屋によるトランプ大統領暗殺を契機にして、熱狂的なトランプ支持派とそれを排除しようとする既存勢力(リベラルメディアなどのエスタブリッシュメント)との間で血で血を洗う過酷な内戦(第二次南北戦争)が勃発する危険性も、もちろん可能性として少しはある。
孫崎 享 @magosaki_ukeru 2018年11月14日
シンガポールで日ロ首脳会議。安倍首相は平和条約締結の意図。それは領土問題を最終的決着させる意味を持つ。歯舞色丹を日本に返し、国後択捉をロシア領と認めることだ。選択はそれしかない。国後・択捉奪還の道でない。政府は誤魔化すのでなく正確に説明すべきだ
1956年の日ソ共同宣言は事実上の平和条約であった。つまり、ここでは、①戦争状態を終結決する、②友好善隣関係が回復される、③外交・領事関係が回復される、⓸ソ連は賠償請求権を放棄することが記載されている。
では何故平和条約と呼ばなかったからか。それは領土に関する合意が出来なかったからである。
ソ連は歯舞色丹を返す事には合意した。だが国後・択捉は自国領と主張した。日本側はこれを飲めなかった。サンフランシスコ講和条約で日本は千島を放棄し、吉田首相は国後・択捉は南千島と述べているから、日本政府は、①歯舞色丹を返す、②国後・択捉はソ連領で合意できた。これは許さないというダレス国務長官の圧力で実施できなかった。
今回平和条約を結ぶということは領土問題を決着するという点にだけ、意義がある。
それは①歯舞色丹を日本に返す、②国後択捉をロシア領とすることを日本が暗黙に認めることである
孫崎 享 @magosaki_ukeru - 2018年11月14日
日ロ領土問題:日ソ共同宣言は①戦争終結、②外交関係復活、③ソ連の賠償放棄等平和条約内容すべて入っている。唯一は領土で合意できなかったから平和条約ではない。つまり今平和条約締結は領土最終決着を意味する。桑港講和等歴史を見れば、二島決着しかない。だが「二島先行」という説明は欺瞞だ。
長島昭久認証済みアカウント @nagashima21 - 2018年11月14日
遂に安倍首相は「2島返還」で日露平和条約締結を急ぐ決断をした。
「4島の帰属を解決して平和条約」で合意した1993年の東京宣言よりも後退したとの批判はあり得るが、当時のロシアは冷戦敗北の混沌の中で経済規模が最盛期の1/4にまで縮小し藁をも掴む窮状だったことを想起すべき。現状とは全く異なる。
孫崎 享 @magosaki_ukeru 7時間前
国後・択捉含め桑港講和条約で千島を放棄。この路線で日ソ国交回復しようとしたら許さぬとダレス。いわゆる「ダレスの恫喝」。米は冷戦時日ソの緊張望む。以降米に追随し「四島一括返還」が日本政府方針。米国と密な長島氏が「2島返還」で日露平和条約締結を急ぐを支持と言うのは米も支持?、疑問!
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣において、初めて外務大臣に就任した河野太郎
『日本というより第二次世界大戦後の戦後処理という「世界史」的な大事な節目節目で必ず登場した河野家三代の系譜』
1年3カ月前に新しく外務大臣に就任した河野太郎の祖父の河野一郎は第二次世界大戦後の戦後処理で鳩山首相と共に日ソ共同宣言でソ連との国交を回復する歴史的偉業を成し遂げている。
河野太郎の実父の河野洋平は自民党総裁として村山自社連立内閣を成立させたが(自分では首相にはならず)官房長官に就任。この時に第二次世界大戦の戦後処理の一環として歴史的な『河野談話』で日本として従軍慰安婦の責任を認めている。(冷戦崩壊後の世界秩序の再構築の側面があるが、これも第二次世界大戦後の戦後処理)
河野家の三代目(河野太郎)は何を歴史に残すのか。
『本当に河野太郎が外務大臣でいいんですか』と安倍晋三首相の側近が大反対したと産経新聞がすっぱ抜くが、河野外相誕生には安倍晋三が大いに悩んだのは間違いない。
河野太郎に『入閣内定』を告げたのは2日午後だった。ところが外務大臣起用を告げたのは日付けが変わる寸前の2日午後11時すぎだったという。最後の最後、ギリギリのタイミングだったのである。
それぐらいに2017年8月3日の第3次安倍改造内閣での、河野太郎外務大臣誕生の意味は大きい。たぶん革命的な何かの意味を持っていたのである。
今から思えば、河野太郎が外務大臣に就任した時点で、今回安倍晋三首相が歯舞色丹の二島返還での平和条約締結という1956年の日ソ共同宣言の完全履行(第二次世界大戦後の戦後処理)が決定されていたのである。
『150年間、「勝ち馬に乗る」作戦を延々と続けていた日本』
河野家の一郎、洋平、太郎の親子孫の3人の役回りですが、第二次世界大戦後の『戦後処理』でピッタリ一致していた。
もっと具遺体的に分かり易く一言で説明すると第二次世界大戦の戦後処理とは、→『日本が敗北を認める』ことに尽きるのである。日本の保守勢力は戦勝国のアメリカの目下の同盟国という『勝ち馬に乗る』ことで、ロシアや中国北朝鮮など近隣諸国に対しては敗北の事実を曖昧に誤魔化して『疑似戦勝国』として振る舞っていた。
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『ほぼ丸ごと、社会全体がカオスに突入したらしい日本』
歯舞色丹の二島返還での平和条約締結という1956年の日ソ共同宣言の完全履行(第二次世界大戦後の戦後処理)のシンガポールでのプーチン安倍会談から2日後の11月16付け赤旗第一面は『日ソ共同宣言基礎に平和条約』「2島先行返還」も視野に交渉、との記事を掲載している。
しかし、その横に同じ大きさの『見出し』で180度逆さまの、『「2島返還での平和条約」は絶対にやってはいけない 志位委員長』と、ほぼ同じ大きさの記事を書いてあるのですから驚いた。これでは日本共産党機関紙赤旗ではなくて頭が空っぽで目が節穴の低能ネットウヨの機関紙的な産経新聞のおマヌケ社説である。(産経第一面記事では『安倍首相の外交力の勝利』とヨイショ、社説では逆に『二島返還は大敗北』と罵倒していた)
今回安倍プーチン会談で合意した『1956年の日ソ共同宣言での平和条約』とは、今までの共産党の一貫した主張である1956年に批准されたが履行されなかった『日ソ共同宣言』(二島先行返還による平和条約締結)と丸々『同じ』だったのですから共産党としては理論的大勝利である。
ところが今回、志位委員長が『絶対にやってはいけない』と断定した『2島返還での平和条約』そのものでもあった。???、日本国では一番教養や常識がある志位和夫などの高偏差値の知的エリートたちが、大混乱に陥っていることは明らか。(普通なら敗戦時にしか起きない特殊な現象で、)日本全体がまさにカオスに突入していたのである。無茶苦茶というか支離滅裂。(★注、日本共産党は1875年に徳川幕府とロシア帝国との間で結ばれた樺太千島交換条約を根拠に全千島列島の返還を主張しているウルトラ愛国者だった)
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『最も頻繁に安倍晋三首相と会っている人物(側近中の最側近?)は北村滋内閣情報官(日本の諜報機関トップ)だった』
CIA人脈で成功したトランプ外交を真似たのか、
首相動静によると、安倍晋三首相と会っていた人物で1位だったのは、『官邸の アイヒマン』との異名がある、公安(政治警察)上がりの北村滋内閣情報官(61)で今までは入省した時の履歴書写真が唯一の謎の人物だった。
ところが最近は日本のマスコミは言うに及ばず、なんと世界的なリベラルメディア筆頭として有名なワシントン・ポスト紙は7月にベトナムで日本の北村滋内閣情報官と北朝鮮の金聖恵と会っていたとか、モンゴルなどあちらこちらで同じく北朝鮮と秘密交渉を行ていたと日本の大手全国紙が報じるし、TBSなどテレビで顔写真が報じられる始末。テレビの説明では日本の諜報機関トップが北村滋内閣情報官だとして堂々と現在の姿が全国放送していたのすから驚いた。(今までの極秘扱いとは正反対である)
日露平和条約締結だけではなくて、水面下では日朝の国交回復と平和条約も同時進行で行われている可能性が高い。それなら日本や極東の劇的な変化が予想される。
(おまけ)
『アーネスト・サトウの日記の記述によりば、孝明天皇は岩倉具視ら討幕派の公家に暗殺されていた』
孫崎 享 @magosaki_ukeru · 11月2日
『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介。明治天皇の前、サトウは「孝明天皇消息に通じている日本人の確言によると、毒殺された」。孝明天皇の主治医の子孫である医師伊良子光孝氏は、孝明天皇の死は「急性毒物中毒の症状」と発表。
孫崎享のつぶやき 2018-11-03 07:524
『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介。明治天皇の前、サトウは「孝明天皇消息に通じている日本人の確言によると、毒殺された」。孝明天皇の主治医の子孫である医師伊良子光孝氏は、孝明天皇の死は「急性毒物中毒の症状」と発表。
『アーネスト・サトウと倒幕の時代』内容紹介
孝明天皇崩御、アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』で「一日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによると、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」と記述。
孝明天皇が崩御したのが慶応二年一二月二五日(一八六七年一月三十日)。満満三五歳。
幕末史の中では極めて重要な時期に亡くなっています。
慶応二年一月には、坂本龍馬の斡旋で薩長連合の基礎が出来ました。慶応三年十月十四日には将軍慶喜が大政奉還をして、十二月九日には天皇が王政復古を宣し、本来なら孝明天皇の時代が始まるのです。
アーネスト・サトウは 『『一外交官の見た明治維新』の中で疑問を提示しています。
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「・私は、プリンセス・ロイヤル号の甲板で日本の貿易商数名に会った。
・彼等は、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」
『とうとう安倍首相が(二島返還)平和条約を決断』(17年遅れで森総理の2001年イルクーツク宣言の履行)
2001年3月25日時、日露両首脳は1956年の日ソ共同宣言を交渉の出発点と位置付けた『イルクーツク宣言』を発表して、半世紀ぶりに平和条約の締結(第二次世界大戦の最終的な戦後処理)が目前にまで迫っているかに見えた。
しかし、2002年の小泉純一郎の平壌訪問からマスコミ総ぐるみの北朝鮮バッシングで日本の国民世論が悪化。病的な右傾化が極限まで進んで現在に至っている。
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『17年も前の2001年には一旦妥結していた日露平和条約』
この時日本政府は外務省人脈の鈴木宗雄衆議院議員や佐藤優外務省主席分析官などを使って事前交渉を綿密に行って1956年の日ソ共同宣言(河野一郎。鳩山首相)で決着していた歯舞色丹の二島返還での日露両国の平和条約締結が、44年遅れでほぼ決まっていたらしい。
ところが森首相は『神の国』発言で失脚、首相が世紀のトリックスター小泉純一郎に代わった途端、鈴木宗雄議員は面白おかしく数々のムネオ疑惑で大炎上するし、ロシアとの裏交渉の窓口だった佐藤優は平成の怪僧ラスプーチンとしてバッシングされる。
ロシアのプーチン大統領と会談した森喜朗首相は世紀の愚か者として嘲笑の対象になっただけではなく、直接ロシア(プーチン政権)と交渉していた鈴木宗雄衆議院議員や佐藤優分析官の二人は逮捕投獄。公職から追放されている。
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読売新聞2016年 9月23日(金) 『北方領土、2島返還が最低限…対露交渉で条件』
政府は、ロシアとの北方領土問題の交渉で、歯舞群島、色丹島の2島引き渡しを最低条件とする方針を固めた。
平和条約締結の際、択捉、国後両島を含めた「4島の帰属」問題の解決を前提としない方向で検討している。
安倍首相は11月にペルー、12月には地元・山口県でロシアのプーチン大統領と会談する。こうした方針でトップ交渉に臨み、領土問題を含む平和条約締結に道筋をつけたい考えだ。複数の政府関係者が明らかにした。
択捉、国後については日本に帰属するとの立場を堅持する。その上で、平和条約締結後の継続協議とし、自由訪問や共同経済活動などを行いながら、最終的な返還につなげる案などが浮上している。
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『安倍政権でも2年前の2016年には一旦妥結していた日露平和条約』
2年前の2016年当時ですが、なぜか政府自民党に一番近い保守的な論調が特徴の読売新聞だけが『二島返還での日ロ平和条約締結』を報じたが他のメディは挙国一致でバッシングして潰してしまうのですから不思議だ。(もちろん、内容的には2001年の森首相当時に日露両政府で妥結していた平和条約と同じ中身だったが、この時は読売を含むすべてのマスメディアがバッシングして潰している)
この辺の詳しい事情は佐藤優とか鈴木宗雄など関係者は全て知っているが、何しろ相手は曲者なので発言はあくまで慎重だが、それでも大事な真実の一端を正直に語っている。
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ロシアのプーチン大統領(右)との首脳会談の冒頭、握手を交わす安倍晋三首相=2018年11月14日午後6時54分、シンガポール
『三度目の正直!』それとの「二度あることは三度ある」か「仏の顔も三度まで」か
『首相「2島先行返還」軸に日ロ交渉へ 4島一括から転換』2018年11月15日 朝日新聞
安倍晋三首相は14日、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速させることで合意した。56年宣言は平和条約締結後に歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島の2島を引き渡すと明記している。日本政府は従来、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)の2島も含めた北方四島の一括返還を求めていたが、首相は今後の交渉で2島の先行返還を軸に進める方針に転換した。
『日ロ 平和条約交渉加速で一致 「2島返還」の宣言を基礎に』 2018年11月15日 木曜 - FNN
シンガポールを訪問中の安倍首相は14日夜、ロシアのプーチン大統領と会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させることで一致した。
会談について政府関係者は、平和条約締結への新たなスタートを切ることができたと成果を強調した。
安倍首相「戦後70年以上残されてきた課題を、私とプーチン大統領の手で終止符をうつ。その強い意志を大統領と完全に共有した」
会談後、安倍首相は、平和条約締結後に歯舞と色丹の2島を引き渡すとした、1956年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させることで一致したと述べた。
また、年明けにもロシアを訪問し、プーチン氏とあらためて会談することで合意したことも明らかにした。
★注、
今回TBSなど他のマスメディアも異口同音に『二島返還での日ロ平和条約締結』を肯定的に報じているのですから驚いた。(この様な場合、何時もなら必ずマスコミで罵詈雑言、ヘイトの嵐が吹き荒れるのですが、今回は一切何の騒動も起きていない)
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『日露平和条約締結での決定権はロシアでも日本でもなくて、一番大事な主役はアメリカ』
世の中が不可逆的に大きく変わったようです。一番最初の1956年の日ソ共同宣言(日本側全権は河野一郎と鳩山一郎首相)時は冷戦を優先するアメリカのダレス国務長官の『日ソ平和条約締結締結なら沖縄を返さない』との恫喝で潰されている。
東西冷戦崩壊後の2001年に(妨害が入らないように)秘密裏に鈴木宗雄や佐藤優を使った水面下の日露交渉での平和条約締結では、ジャパンハンドラーやマスコミなどエスタブリッシュメントの『挙国一致』での常識はずれな激しいバッシングで潰されている。
『双方の力関係が大きく変化する』
不思議なのは2年前(2016年)の読売新聞の動きで、この時は読売以外の他のメディアが連合して潰しているが、今回は(中身は2年前をまったく同じなに、)全てのテレビや新聞などのマスメディアが『二島返還での平和条約』締結を肯定的に報じている。
2年前と現在とでは、明らかに日本を取り巻く『流れ』が、唐突に大きく変わったのである。
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『日本側の主役は安倍晋三ではなくて鈴木宗雄と佐藤優。もちろん本当のメインはアメリカ大統領のドナルド・トランプ』
やはり2016年11月8日のアメリカ大統領選でのドナルド・トランプの劇的な勝利の影響は大きい。
あの2018年6月12日の北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)とトランプのシンガポールでの歴史的な米朝首脳会談開催と今回の日露平和条約とは連動して動いていると思われる。(どちらも今までは不完全なままだった第二次世界大戦の最終的な平和決着を目指している)
今でもCNNやワシントンポストなどのリベラルメディアの仁義なきトランプ大統領への激しいバッシングは続いているが、トランプが目論む『第二次世界大戦の完全終了』は完了する。一度動きだした巨大な歴史の歯車は、もはや誰にも止められないのである。
★注、
ただし、『夢をもう一度』で、朝鮮戦争休戦レジームの終了に不満を持つ極右国粋主義の安倍側近のカルト勢力による150年ぶり2度目の王政復古のクーデターとか、同じく第二次世界大戦の完全終了を嫌った戦争屋によるトランプ大統領暗殺を契機にして、熱狂的なトランプ支持派とそれを排除しようとする既存勢力(リベラルメディアなどのエスタブリッシュメント)との間で血で血を洗う過酷な内戦(第二次南北戦争)が勃発する危険性も、もちろん可能性として少しはある。
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シンガポールで日ロ首脳会議。安倍首相は平和条約締結の意図。それは領土問題を最終的決着させる意味を持つ。歯舞色丹を日本に返し、国後択捉をロシア領と認めることだ。選択はそれしかない。国後・択捉奪還の道でない。政府は誤魔化すのでなく正確に説明すべきだ
1956年の日ソ共同宣言は事実上の平和条約であった。つまり、ここでは、①戦争状態を終結決する、②友好善隣関係が回復される、③外交・領事関係が回復される、⓸ソ連は賠償請求権を放棄することが記載されている。
では何故平和条約と呼ばなかったからか。それは領土に関する合意が出来なかったからである。
ソ連は歯舞色丹を返す事には合意した。だが国後・択捉は自国領と主張した。日本側はこれを飲めなかった。サンフランシスコ講和条約で日本は千島を放棄し、吉田首相は国後・択捉は南千島と述べているから、日本政府は、①歯舞色丹を返す、②国後・択捉はソ連領で合意できた。これは許さないというダレス国務長官の圧力で実施できなかった。
今回平和条約を結ぶということは領土問題を決着するという点にだけ、意義がある。
それは①歯舞色丹を日本に返す、②国後択捉をロシア領とすることを日本が暗黙に認めることである
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日ロ領土問題:日ソ共同宣言は①戦争終結、②外交関係復活、③ソ連の賠償放棄等平和条約内容すべて入っている。唯一は領土で合意できなかったから平和条約ではない。つまり今平和条約締結は領土最終決着を意味する。桑港講和等歴史を見れば、二島決着しかない。だが「二島先行」という説明は欺瞞だ。
長島昭久認証済みアカウント @nagashima21 - 2018年11月14日
遂に安倍首相は「2島返還」で日露平和条約締結を急ぐ決断をした。
「4島の帰属を解決して平和条約」で合意した1993年の東京宣言よりも後退したとの批判はあり得るが、当時のロシアは冷戦敗北の混沌の中で経済規模が最盛期の1/4にまで縮小し藁をも掴む窮状だったことを想起すべき。現状とは全く異なる。
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国後・択捉含め桑港講和条約で千島を放棄。この路線で日ソ国交回復しようとしたら許さぬとダレス。いわゆる「ダレスの恫喝」。米は冷戦時日ソの緊張望む。以降米に追随し「四島一括返還」が日本政府方針。米国と密な長島氏が「2島返還」で日露平和条約締結を急ぐを支持と言うのは米も支持?、疑問!
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『日本というより第二次世界大戦後の戦後処理という「世界史」的な大事な節目節目で必ず登場した河野家三代の系譜』
1年3カ月前に新しく外務大臣に就任した河野太郎の祖父の河野一郎は第二次世界大戦後の戦後処理で鳩山首相と共に日ソ共同宣言でソ連との国交を回復する歴史的偉業を成し遂げている。
河野太郎の実父の河野洋平は自民党総裁として村山自社連立内閣を成立させたが(自分では首相にはならず)官房長官に就任。この時に第二次世界大戦の戦後処理の一環として歴史的な『河野談話』で日本として従軍慰安婦の責任を認めている。(冷戦崩壊後の世界秩序の再構築の側面があるが、これも第二次世界大戦後の戦後処理)
河野家の三代目(河野太郎)は何を歴史に残すのか。
『本当に河野太郎が外務大臣でいいんですか』と安倍晋三首相の側近が大反対したと産経新聞がすっぱ抜くが、河野外相誕生には安倍晋三が大いに悩んだのは間違いない。
河野太郎に『入閣内定』を告げたのは2日午後だった。ところが外務大臣起用を告げたのは日付けが変わる寸前の2日午後11時すぎだったという。最後の最後、ギリギリのタイミングだったのである。
それぐらいに2017年8月3日の第3次安倍改造内閣での、河野太郎外務大臣誕生の意味は大きい。たぶん革命的な何かの意味を持っていたのである。
今から思えば、河野太郎が外務大臣に就任した時点で、今回安倍晋三首相が歯舞色丹の二島返還での平和条約締結という1956年の日ソ共同宣言の完全履行(第二次世界大戦後の戦後処理)が決定されていたのである。
『150年間、「勝ち馬に乗る」作戦を延々と続けていた日本』
河野家の一郎、洋平、太郎の親子孫の3人の役回りですが、第二次世界大戦後の『戦後処理』でピッタリ一致していた。
もっと具遺体的に分かり易く一言で説明すると第二次世界大戦の戦後処理とは、→『日本が敗北を認める』ことに尽きるのである。日本の保守勢力は戦勝国のアメリカの目下の同盟国という『勝ち馬に乗る』ことで、ロシアや中国北朝鮮など近隣諸国に対しては敗北の事実を曖昧に誤魔化して『疑似戦勝国』として振る舞っていた。
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『ほぼ丸ごと、社会全体がカオスに突入したらしい日本』
歯舞色丹の二島返還での平和条約締結という1956年の日ソ共同宣言の完全履行(第二次世界大戦後の戦後処理)のシンガポールでのプーチン安倍会談から2日後の11月16付け赤旗第一面は『日ソ共同宣言基礎に平和条約』「2島先行返還」も視野に交渉、との記事を掲載している。
しかし、その横に同じ大きさの『見出し』で180度逆さまの、『「2島返還での平和条約」は絶対にやってはいけない 志位委員長』と、ほぼ同じ大きさの記事を書いてあるのですから驚いた。これでは日本共産党機関紙赤旗ではなくて頭が空っぽで目が節穴の低能ネットウヨの機関紙的な産経新聞のおマヌケ社説である。(産経第一面記事では『安倍首相の外交力の勝利』とヨイショ、社説では逆に『二島返還は大敗北』と罵倒していた)
今回安倍プーチン会談で合意した『1956年の日ソ共同宣言での平和条約』とは、今までの共産党の一貫した主張である1956年に批准されたが履行されなかった『日ソ共同宣言』(二島先行返還による平和条約締結)と丸々『同じ』だったのですから共産党としては理論的大勝利である。
ところが今回、志位委員長が『絶対にやってはいけない』と断定した『2島返還での平和条約』そのものでもあった。???、日本国では一番教養や常識がある志位和夫などの高偏差値の知的エリートたちが、大混乱に陥っていることは明らか。(普通なら敗戦時にしか起きない特殊な現象で、)日本全体がまさにカオスに突入していたのである。無茶苦茶というか支離滅裂。(★注、日本共産党は1875年に徳川幕府とロシア帝国との間で結ばれた樺太千島交換条約を根拠に全千島列島の返還を主張しているウルトラ愛国者だった)
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『最も頻繁に安倍晋三首相と会っている人物(側近中の最側近?)は北村滋内閣情報官(日本の諜報機関トップ)だった』
CIA人脈で成功したトランプ外交を真似たのか、
首相動静によると、安倍晋三首相と会っていた人物で1位だったのは、『官邸の アイヒマン』との異名がある、公安(政治警察)上がりの北村滋内閣情報官(61)で今までは入省した時の履歴書写真が唯一の謎の人物だった。
ところが最近は日本のマスコミは言うに及ばず、なんと世界的なリベラルメディア筆頭として有名なワシントン・ポスト紙は7月にベトナムで日本の北村滋内閣情報官と北朝鮮の金聖恵と会っていたとか、モンゴルなどあちらこちらで同じく北朝鮮と秘密交渉を行ていたと日本の大手全国紙が報じるし、TBSなどテレビで顔写真が報じられる始末。テレビの説明では日本の諜報機関トップが北村滋内閣情報官だとして堂々と現在の姿が全国放送していたのすから驚いた。(今までの極秘扱いとは正反対である)
日露平和条約締結だけではなくて、水面下では日朝の国交回復と平和条約も同時進行で行われている可能性が高い。それなら日本や極東の劇的な変化が予想される。
(おまけ)
『アーネスト・サトウの日記の記述によりば、孝明天皇は岩倉具視ら討幕派の公家に暗殺されていた』
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『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介。明治天皇の前、サトウは「孝明天皇消息に通じている日本人の確言によると、毒殺された」。孝明天皇の主治医の子孫である医師伊良子光孝氏は、孝明天皇の死は「急性毒物中毒の症状」と発表。
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『アーネスト・サトウと倒幕の時代』(11月末発売予定)内容紹介。明治天皇の前、サトウは「孝明天皇消息に通じている日本人の確言によると、毒殺された」。孝明天皇の主治医の子孫である医師伊良子光孝氏は、孝明天皇の死は「急性毒物中毒の症状」と発表。
『アーネスト・サトウと倒幕の時代』内容紹介
孝明天皇崩御、アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』で「一日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによると、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」と記述。
孝明天皇が崩御したのが慶応二年一二月二五日(一八六七年一月三十日)。満満三五歳。
幕末史の中では極めて重要な時期に亡くなっています。
慶応二年一月には、坂本龍馬の斡旋で薩長連合の基礎が出来ました。慶応三年十月十四日には将軍慶喜が大政奉還をして、十二月九日には天皇が王政復古を宣し、本来なら孝明天皇の時代が始まるのです。
アーネスト・サトウは 『『一外交官の見た明治維新』の中で疑問を提示しています。
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「・私は、プリンセス・ロイヤル号の甲板で日本の貿易商数名に会った。
・彼等は、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」
河野一郎は首相になっていません。
鳩山首相では。
北朝鮮との復交も小泉の助太刀でアベにやらせれば一番良い
中継ぎした鈴木や佐藤優の感慨が聴きたい。