逝きし世の面影

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後は野となれ山となれ

2011年09月27日 | 軍事、外交

『米、海へ原子炉投棄を画策 72年、日本に協力要請』

放射性廃棄物などの海洋投棄を禁じる『ロンドン条約』の策定が進んでいた1972年(昭和47年)、米国政府が 廃炉後の原子炉を海洋投棄するための例外規定を条約に盛り込むことを目指し、日本政府に極秘に 協力要請していたことが、外務省の外交記録文書(公電)で明らかになった。
日本は態度を鮮明にしなかったが、米国は海洋投棄の狙いを隠して国際交渉を進め、例外規定を 盛り込むことに成功した。
当時、米国では初期の試験用原子炉の解体が始まっていたが、その後に想定される大型の商業用 原子炉の処分方法は決まっていなかった。
廃炉の処理法を確立せずに原発建設を進め、海洋投棄を検討せざるを得なかった事情がうかがえる。
公開された極秘指定の外交記録文書によると、米国の条約交渉代表団のサーモン 国務省環境部次長(当時)が72年11月に日本側担当者と会談し、『米国には初期の原子炉で 寿命のきたものが相当数あり、処分に苦慮している』と吐露。
『地上での処分は住民の反対が必至で、放射能汚染の危険性を皆無にする程度まで科学的処理を行うのは 経済的に困難』とする米国内の実情を説明した。(朝日デジタル)

『水爆搭載の米軍機、沖縄近海に水没』

(1989年05月米ニューズウィーク誌)1965年(昭和40年)に米海軍艦載機が水爆を搭載したまま沖縄近海に水没し、米海軍はこの事故をもみ消したと報じた。
この海軍機は1メガtの水爆B43を1個搭載したA4Eスカイホークで、空母タイコンデロガから転落、水没した。
ベトナムでの任務を終え、横須賀に向かう途中。当時は非核三原則はまだなかったものの、日本政府の核持ち込み禁止政策に反して、核搭載艦が日本に寄港していたことになる。
落下時に核兵器は機体を外れ、灰色の煙を噴きながら沈んだ。
沖永良部島の東約300kmの水深4800mの海域で、艦は速度を緩めることなく現場を去っている。
同空母は30個以上の核を積載していたとの乗組員証言も。流出したプルトニウムでの魚介類の汚染も心配され、平和団体や被爆者が日米両政府に抗議電を打つなど反核運動に広まった。なお、7月7日に『海域からの異常放射能は検出されず』と発表された。

『水爆搭載の米軍爆撃機B52がスペイン沖で墜落』

(パロマレス米軍機墜落事故)1966年(昭和41年)1月17日、スペイン南部パロマレス上空で哨戒警戒中の米軍爆撃機B52が空中給油機と衝突して墜落。
搭載していた水素爆弾(B281・45メガトン)4個のうち1個は海上に落ち、3個が地上に落下した。
核爆発はなかったが、2個は起爆用の通常火薬が爆発してプルトニウムとウランが飛散した。住民に犠牲者はなかったとされている。米軍は兵士を大量投入して周囲の土約2000トンを除去。事故から80日目に海底から残る1個を回収。
これだけの大事故であったにもかかわらず、これまで放射能汚染に関する調査はろくに行なわれておらず、41年後の2007年になって、やっと本格的調査が行われる。
スペイン政府は事故から38年後の2004年に、地表に放射性物質が漏れた9ヘクタールの土地の買収を決定、2007年初めまでにフェンスで封鎖を終えた。
『過疎の村であったが経済開発が進み、農地整地や造成に伴う土壌の移動で住民が放射能のさらされる可能性が出てきたから』とスペイン政府関係者は述べている。

『B52が北極圏のグリーンランド沖でも墜落して水爆が未回収』

(チューレ空軍基地米軍機墜落事故)1968年(昭和43年)1月21日、水爆搭載のアメリカ空軍のB-52爆撃機が起こした墜落事故。
4発の水爆(1.1メガトンB28FI)を搭載していたB52は、バフィン湾上空を飛行中に機内で火災が発生し、機体はデンマーク領グリーンランドのチューレ米空軍基地付近、ノーススター湾に墜落、核弾頭が破裂・飛散し、大規模な放射能汚染を引き起こした。
1995年、デンマークにおいて、政府が1957年の非核化方針に反し、グリーンランドへの核兵器の持ち込みを黙認していたという報告書が公開される。
アメリカ空軍は1960年代に、来るべき人類滅亡の最終戦争(第三次世界大戦)の為に核武装したB52戦略爆撃機をソ連国境沿いに常時12機以上を飛行(24時間10000メートル高空での空中待機)させていたが冷戦崩壊後の1991年に中止したとされている。
2007年、米空軍のB52戦略爆撃機が8月末、 誤って核弾頭6個を搭載したまま米本土上空を飛行していたとCNNが報道して大問題になる。
国防総省は、核兵器管理上の深刻なミスとして、事実関係の調査に乗り出した。
ブッシュ米大統領にもこの事実は伝えられたという。
CNNによると、このB52は8月30日、ノースダコタ州の空軍基地を出発、 数時間飛行してルイジアナ州にあるバークスデール空軍基地に着陸した。 核弾頭を誤って搭載していたことは着陸するまで気付かなかったという。〔共同〕

『繰り返される核事故の不の連鎖』

1986年9月の米連邦議会会計検査院の報告による核兵器生産工場の放射能汚染の発覚までの37年間(1950年から1986年)に、61件の核関連の事故(商業用をのぞく)が起きていた。
これは米軍関連だけでも少なくとも年間1・65件の高確率で毎年毎年必ず核事故が発生していたことになる。
我々人類は何も知らずに何も知らされずに、ずっと地獄の釜の上で踊っているような存在だったのです。
内訳は、爆撃機、攻撃機、輸送機など航空機関連が最大で33件。
次いで母艦をふくむ(原子力)潜水艦がらみで14件だが、アメリカ合衆国をはじめとする他の国家での原潜や核事故は、各国がその動き自体を第一級の軍事機密としているために、ほとんど明るみに出ていない。
このため実際に発生した核事故は米連邦議会会計検査院報告よりもっと多数で深刻であった可能性もある。
上記以外の主だったものを挙げると、
1950年米B-36 爆撃機 カナダ沖太平洋上で故障3,000m上空から核兵器を投棄。
1957年米B-36 爆撃機 ニューメキシコ州カートランド基地近郊核兵器を誤投下。
1957年米C-124 輸送機 大西洋上でエンジン故障,核兵器の輸送中核兵器を投棄2個は発見できず。
1957年米B-47 爆撃機フロリダ州(核兵器搭載)墜落。
1957年米B-52 爆撃機ワシントン州フェアチャイルド基地(核兵器搭載)墜落。
1958年米B-47 爆撃機ジョージア州ハンター基地上空で空中接触事故、2,400mより海中投棄,核兵器は発見できず。
1958年米B-47 爆撃機 サウスカロライナ州フロレンス核兵器を誤投下。
1959年米B-52 爆撃機ケンタッキー州ハーディンスバーグ上空,KC-135 空中給油機と衝突墜落核兵器2個は回収された。
1960年米B-47 爆撃機アイルランド付近の大西洋上,2機が空中衝突(核兵器搭載)墜落。
1961年米B-52 爆撃機(核兵器搭載)空中爆発。(ユタ州モンティセロ上空)
1961年米B-52 爆撃機ノースカロライナ州ゴールズボロ上空で空中分解。(墜落直前に搭載核兵器投下,24Mt 2個,1個の核兵器は 6重の安全装置の最後の 1個で危険を免れる,その後暗号電波による電子ロックが追加される)
1961年米B-52 爆撃機(核兵器搭載)カリフォルニア州ユバ上空墜落(2個の核兵器は落下時に機体から外れたが爆発せず)
1964年米B-52 爆撃機メリーランド州アパラチア山脈カバーランド墜落(核兵器 2個は無傷で回収)
1964年米B-58 爆撃機インディアナ州バンカーヒル基地戦略空軍指令センター付近の滑走路上で炎上(核兵器 5発の 1部が炎上,放射能汚染発生)

『水没した原子炉(原子力潜水艦の沈没)』

空以上に見え難い海底の核事故は厳しい軍事機密の壁により不完全な報道しかないが、今までに恐るべき数の原子力潜水艦の事故が起きている。
1963年年米原子力潜水艦スレッシャー号ボストン東方350Kmの海底25,00mに沈没129名死亡。(沈没原因は不明だがオーバーホール後の潜航試験中に復水器用海水取入れパイプが破損するなど原子炉事故が続発していた)
1968年米原子力潜水艦スコーピオン号大西洋アゾレス群島沖沈没99名死亡。(原因不明,10月に海底3,000mで発見)
1968年ソ連原子力潜水艦K-27バレンツ海で炉心溶融事故で沈没、9人死亡。
1969年米原子力潜水艦ガトー号白海入口のバレンツ海でK-19ソ連潜水艦と衝突大破。(原子炉据付部で衝突)ガトー号側は対潜ミサイルサブロックと3発の小型核魚雷の発射用意を命令。
1970年ソ連ノベンバー級K-8原子力潜水艦ビスケー湾4,700 mに沈没、52名死亡。
1970年ソ連エコー2型原子力潜水艦が米原子力潜水艦トートグ号と衝突、ソ連側が沈没。
1971米原子力潜水艦ウッドロー・ウィルソン号グアム島アブラ湾でメルトダウン寸前事故。(冷却システムの急激な圧力低下)
1971年3月 ソ連沿岸で米ソ原潜が衝突、詳細不明。
1974年米原子力潜水艦ピンタード号ペトロパブロフスク付近でソ連原子力潜水艦と潜航中に正面衝突。
1974年米原子力潜水艦マジソン号が北海でソ連原子力潜水艦と潜航中に衝突。(マジソン号は 3mの損傷,両艦とも沈没寸前)
1986年旧ソ連ゴルフ型原子力潜水艦K-219西大西洋ハワイ沖で原子炉の一部が爆発、その後沈没。乗員4人死亡、116人は米艦に救助される。
1989年ソ連マイク級原子力潜水艦K-278コムソモレッツがノルウェー沖で火災1,685mに沈没42人死亡核兵器2個が海没。
2000年ロシア北方艦隊のオスカーII型原子力潜水艦のクルスク K-141(18,000t) が、炉心に約2トンの核燃料を搭載したままバレンツ海の110mに沈没118名死亡。
旧ソ連(ロシア)の原子力潜水艦の外国軍艦との衝突事故は15件で多くは米国の軍艦、特に原子力潜水艦との衝突が多いとみられる。
1986年米連邦議会会計検査院報告、1992年に米は水上艦船,攻撃潜水艦等の海外核の撤去するとの新核政策を発表している以来、軍事的核事故は報告されていない。

注、
A-4スカイホークは主翼を折り畳まずに航空母艦のエレベーターに積載できる軽量小型の機体規模で、折り畳み機構や爆弾倉を省略した単座の艦上攻撃機。
搭載されていた1メガトン水爆B43はデルタ翼下パイロンに外部兵装されていた。
B-52戦略爆撃機ストラトフォートレス(成層圏の要塞の意味)1952年初飛行1955年運用開始だが、半世紀以上経った現在も現役である。これほどの長寿は極めて異例だが当面は2045年まで就航予定で、それ以降もさらに延長される可能性もある。




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6 コメント

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そりゃ好かれんだろぅ? (あたし新聞)
2011-09-26 20:52:17
>ほんと、アメリカ嫌いだねぇ。

まぁ、アメリカは毎度毎回乱暴狼藉をしているからねっ♪

>その昔、ソビエトも日本海に核廃棄物を海洋投棄してたけど、それについてはなんとも思わないの?

そりゃ、ソ連もろくなもんじゃないだろ~
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ダブルスタンダードは近視眼的 (くまごろう)
2011-09-27 02:34:04
アメリカが嫌いなのではなく道理を無視した横暴勝手が嫌いなのです。
それが可能であると思うと欲望の実現の為無理を通そうとする人間の悪徳を超克したいのです。
故に経緯は別としてその愚かさを重く戒めた平和憲法を大切にします。
アメリカ合衆国は現在一番の大国であり、悲しいかな最も無理を通している国です。ソ連や中国はとても及ばないでしょう。
そしてアメリカの横暴は、同盟国という名目の我が日本に影響し、それを支持すれば我々自身が卑怯な存在になります。
卑怯者にはなりたくない。
そして無理を通していれば、その歪みは早晩返ってきます。多くは極めて愚かで残虐な姿をして。
そんなことは御免です。

と私は思います。
返信する
こうして列挙されると... (suyap)
2011-09-27 11:10:48
すごいですね。
いかに私たちが「たまたま」助かっているだけのか、よく見えてきます。

よろしかったらソースを教えてください。
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街宣右翼をからかった真助 (宗純)
2011-09-27 14:58:10
あたし新聞さん、はじめまして。コメント有難うございます。

島田紳助が芸能界を引退に追い込まれたそもそもの原因とは、10数年前のテレビ番組での右翼の街宣車の迷惑行為を批判した、『なにトロトロ走ってるねん』だったらしい。
今回のあたし新聞さんのコメントですが、
この真助の発言と同じで実に真っ当な正しい判断なのですが、基本的にこのような不真面目な連中に対しては『相手にすること』自体が間違いなのですよ。
会話の意思が無い相手との会話は、全くの時間の無駄なのですよ。
教員組合の集会に押しかける街宣車が、何かの会話を求めているのでも抗議しているのでもない。
単に『会話などの妨害』が目的なのですね。
それ以上でもそれ以下でも無いのですよ。
朱に交われば赤くなると言うが、賢い相手と議論しても滅多に賢くはならないが、逆の場合には当てはまり真助のように阿呆が伝染するのですから恐ろしいですね。
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崩壊したソ連 (宗純)
2011-09-27 15:21:40
くまごろうさん、コメント有難うございます。

右翼左翼に関係なく会話を求めてくる相手に対しては広く門戸を開いているのですが、その逆の何とかして相手の発言を封じようとする手合いには、真面目に時間を割くなどは褒められた行為ではありません。
これ等を不掲載とせず放置しているブログもありますが、ゴミや落書きをされたままでは他の不心得ものが真似をするので掃除していますが、修行の第一歩は清掃なのは何処の世界でも同じです。
そもそも、このお馬鹿のネットウョ君の主張とは、実は自分で自分の意見を否定しているので、此方が一々相手をする必要が無いセルフサービスm水準なのですね。
アメリカの悪口だ、『ソ連も同じ事をしていた』との話が、何かの真面目な会話にも弁解のもなっていないことは誰にでも判る。
『他人もやっている』との知恵足らずの出来の悪い不真面目中学生程度であり、これでは大人が反論する水準ではないのです。
その様なお馬鹿なことをしていたから、その結果が、ソ連は国家が崩壊したのですよ。
北朝鮮が悪いといっていれば済むなら、話は簡単だが世界一の軍事大国の不始末は大問題であるし、一番の問題点は、日本の唯一の同盟国である国の失敗は、自動的に日本国としても他人事ではなくて自分自身に跳ね返ってくるとの、当たり前の話が忘れられているのでしょう。
他所の家の失敗の話は笑って済ましても良いが、当たり前ですが、自分たちの家族の失敗や不祥事は無視しては駄目なのです。
ソ連のチェルノブイリの話よりも、福島第一の方が私達日本人にとっては深刻で切実であるとの、価値観の優先順位が一番大事なのです。
返信する
そもそも人類はずっと地獄の釜の上で踊っていた (宗純)
2011-09-27 16:21:41
suyapさん、コメント有難うございます。

衆議院特別委員会の要請した過酷事故時の手順書の提出を東京電力が4回も拒否して黒塗りして誤魔化しているのですが、公開が原則の民間の原子力発電でもこの有様ですよ。
軍事機密で守られていて非公開が原則の核事故は、資料が殆どありませんし議会でも及び腰で、冷戦崩壊後に僅かに情勢が好転して公開されだしたのは極最近の話です。
グリーンランドのB52の墜落事故ではアメリカ軍基地の極近くの海氷上に墜落したのですが、基地に落下していたら自動的に第三次世界大戦が勃発していたらしいのですよ。
恐ろしいですね。
1963年制作・1964年に公開されたスタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』
は限りなく実話に近い映画であったらしい。
核事故ですが、歴史の年表と比べれば完全に朝鮮戦争とかキューバ危機などの政治や外交と連動しているのですね。
今の日本人の多くが誤解しているのですが、核兵器とは『使えない兵器』ではなくて実戦に使う目的で開発されていて、実際の核戦争を真剣に準備していた。
真面目に人類滅亡を考えていたのですが、これは矢張りキリスト教が持つ終末論を抜きにしては理解出来ないでしょう。
日本的な発想では到底まともでもないし理解も出来ないのです。
20年前の1991年に中止されるまでアメリカ軍は1年中24時間10000メートル以上の高空に12機以上の水爆搭載のB52を待機させていて人類滅亡の核戦争をじっと待っていた。
海でも戦略核ミサイルを搭載して原子力潜水艦が浮上すことなく深海に潜んでじっと待っていた。
現在は空の常時待機は中止したのですが、海の核ミサイル搭載の戦略原潜の待機は今でも続いているのですよ。
昔に核搭載の飛行機が時々落ちていたのは実は当たり前であったのですが、核兵器を弾薬庫ではなくて飛行機とか潜水艦に常時積んでいた意味は、考えたら恐ろしいですね。
特に問題は沖縄近海沖永良部島沖での核事故で、これは爆撃機ではなくて、ごく小さい対地攻撃機ですよ。
大きなB52ではなくて、こんなものにメガトン水爆を常時搭載していた事実は、狂気以外の何ものでもないが、日本のマスコミでは取り上げないのです。
グリーンランドのデンマークも住民が住んでいた地域まで汚染したスペインでも、問題が本格的に議論されだしたのは極最近で冷戦崩壊後ですね。
ところが我が日本国ですが普天間基地問題でも判るように冷戦が終わっていないのですから、沖永良部島沖の核事故が解明されないのでしょう。
米軍の核撤去を妨害しているのはアメリカ軍ではなくて、対米従属命の日本国の外務省らしいですよ。
09年の初めての日本公式訪問のオバマ大統領の広島訪問を妨害したのは藪中外務事務次官など日本外務省であったと報道されています。
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