『福島第一原発 「事故収束」首相が宣言』2011年12月17日
野田佳彦首相は十六日、政府の原子力災害対策本部の会合で、東京電力福島第一原発で原子炉を安定して冷却する「冷温停止状態」を達成し、事故収束に向けた工程表「ステップ2」が完了できたとして「事故そのものは収束に至った」と宣言した。
三月十一日の事故発生から九カ月余り。記者会見した細野豪志原発事故担当相は、今後は住民の帰還に向けた対策に政府を挙げて取り組む方針を示した。(東京新聞)
『笑えない悪すぎる不真面目ブラックジョーク』
炉心溶融した原子炉が、『冷温停止で収束』とは常識外れにも程がある。
あやしげた破壊的カルト宗教でもあるまいし。阿呆臭さに国民は絶句するしかない。
9ヶ月前にすでに絶命しているのに『健康である』との無茶苦茶な主張と同じであり、これでは呆れるばかりで全く面白くない。
メルトスルーして空っぽの圧力容器の底の温度など、何の意味があるのか。
何の目安にも屁の突っ張りにもならず、これでは国民は少しも笑えない。
原発事故はすでに『済んでしまった』(収束した)とする日本国の現野田政権の態度とは奇妙奇天烈、奇怪至極。
何時もの様に、『嘘も休み休みに言え』と怒る気も失せる、阿呆臭すぎる『真っ赤な嘘』。
我々のような常人の理解の範囲を遥かに超えていて、完璧に別次元の話である。
今回の野田ドジョウ総理の原発事故収束宣言ですが、これではコメディアンの池乃めだかがボコボコに叩きのめされて倒れた後で、何事も無かったかの様にすっくと立ち上がり『今日はこれくらいで、勘弁しといてやる』と言いつつ舞台を下がるお笑ネタとそっくり同じである。
あまりの場違いな常識外れの言動に対して周りの俳優や観客は唖然として、これはもう笑うしかない。
野田佳彦や細野の今回の態度とは、この吉本新喜劇の定番ギャグの、民主党政権による劣化コピーなのだろうか。
それとも、これは『不都合なものは、無かったことにする。』吉本ばななのアムリタに描かれていたものと同じ、現実逃避によって自己防衛しようとする悲しく歪んだ心象風景であろうか。
吉本新喜劇の真似か吉本ばななのパクリか、何れかは判然としないが一般市民は呆れて唖然となるばかりである。
『悪いことは、「無かったこと」にする』
多くの人々には、耐えられない悲劇に対しては記憶する『力』よりも、その反対の忘却する『力』の方が、人が長く生き続ける為には遥かに役に立つらしい。
日本が行った数々の戦争を経験している88歳で死んだ私の老母ですが長く生きていれば覚えておきたい(誰かに伝えたい)『良い』話だけを経験したのではない。
『忘れがたい思い出』の反対の自分にとって不都合なことや決して思い出したくない醜い(一刻も早く忘れたい)とんでもなく悪いことも否応無く沢山経験している。
『心』の許容量には限りがあり、沢山の経験があれば余計に『良いこと』も『悪いこと』も平等に全てを記憶していたのでは精神的負担が大きすぎて、それでは神経が持たない。
90歳近いので少しボケも入っていたのかも知れないが、(自分にとって)『良い話』はよく覚えているが、反対に自分とって都合の悪い話はすべて上手い具合に都合よく完璧に忘れていたのですよ。
年寄りの『生き抜く』知恵は偉大で、到底若輩者では敵わない程最高に素晴らしい。
自分にとって都合の悪い話は、『そうやったかの~う』と言って誤魔化し『無かったこと』にして終わらして仕舞うのです。
弱者の最終兵器としての『忘却力』には誰も勝てず無敵なのです。
吉本ばななのアムリタにも、この私の老母の逸話に似た話が出てくる。
『これは無かったことにしましょう。』と、見たくないものや不都合なものや汚いものを捨てて処分する若い女性(主人公の叔母で本当は実の姉)の話が出てくるのですが、彼女の家の誰にも見せない裏庭には、そうして『無かったこと。』にされた数々の過去の品物がうず高く山のように散乱していたのです。
我が日本国でも、吉本ばななの小説世界のように実は誰にも見せない秘密の裏庭があり、そこには『無かったことにされた』誰にも見せたくない数数の醜く汚い『悪すぎる不都合』が山積みにされているのでしょうか。
この最終兵器『忘却力』は、何の力も無い一般人なら問題ではないが、強大な権限と責任がある国家が池乃めだかや吉本ばなな風の『無かったことにする』を行う恐ろしさに唖然、呆然。
これはもう我々一般市民は、ただただ呆れて果てるばかりで言葉を失う。
『○○とは正反対の○○状態のペテン』
原子力安全委員会の斑目委員長も、今回政府の言う『冷温停止状態』が原子力関係者が使う科学的定義である健全な停止中の原子炉の圧力容器内の水温が100度以下になる『冷温停止』ではない明確な事実を指摘している。
日本政府は冷温停止でない事実を百も承知しているので、それで新しく『状態』のインチキ臭い接辞語?を付け加えて『冷温停止状態』なる新語を創作した。
海外メディアでも日本政府の『状態』を付け足すことで内容を誤魔化す、この詐欺的な手法は先刻お見通しで非難する声が溢れ日本の信用度は地に落ちている。
別に海外メディアでなくとも、今回ばかりは今まで政府や東電の嘘八百の大本営発表を横並びの金太郎飴で報道していたマスコミ各社も批判している。
当たり前である。
幾ら新たに日本語単語の『状態』を付け加えても、『反』『無』『不』など言葉に前に付く本来の接頭語でな無いので、実はまったく言葉の意味には変化が生まれない。
日本語表現では○○と、○○状態は微妙なニュアンスの違い程度で、表す意味が同一なのです。
ですから今回の野田総理は正確には、『冷温停止状態に一部だけが似ているが、それ以外は基本的に冷温停止でない状態』というのが正しいが、長すぎるので簡略にして『冷温停止状態』と宣言したのでしょう。
野田首相の三流詐欺師紛いの下手糞な言い分には、余りの阿呆臭さに国民全員が口があんぐり開いたままでふさがらない。
『野田佳彦の無力政府の勇み足か』
『気をつけよう。車は急には止まれない』という子供向けの交通標語があるが、何と八つ場ダム建設中止をマニフェスト(公約)に掲げて政権を取った民主党政権が、八つ場ダム建設にゴーサインを出すらしい。
一度でも御前会議で『決定』されると、その日本政府の『決定』が間違っていようが悲惨な結果が待ち受けていようが、誰一人も止められないとは情けない。
敗戦前と敗戦後と体制は違っていても、日本国の悪しき官僚制のDNAは少しも変ることなく脈々と流れているのか。
そもそも年内の冷温停止とは『炉心溶融していない』との前提で半年前の時点で作られていた。
その後9月の段階ですべての原子炉がメルトダウンして炉心に核燃料が無いことが判明する。
ところが日本国では、一度決めたことは間違いでも条件が違ってきても理由は何であれ、何でも同じで、『誰も止められない。』
『気をつけよう。!国家は急に止まらない。』は今も昔も日本国の真実ではあるが、これでは国民は救われない。
冷温停止状態との政府や東電による悪質極まる真っ赤な嘘ですが、これは既に動き出している。
12月近くになって、次々起きていた不思議極まる政府の妄動の原因はすべて、この『冷温停止。原発事故は収束。』だったのです。
原発事故の収束時にだけ適用される1~20ミリシーベルトの高すぎる放射能の規制値の上限枠ですが、政府による12月17日の収束宣言で原理的に終わりになる。
日本国の法令では、一般市民の放射能被曝の上限値は年間1ミリシーベルト以下と決められているのです。
文部科学省の森副大臣が示した学校給食の以前の12・5分の1の40ベクレルの基準値も、何の不思議も無く年間1ミリシーベルトから逆算すれば当然な話だったのです。
野田佳彦ですが、本当に能天気ですね。何も考えていない。
収束宣言前の今までなら、未曾有の過酷事故時の緊急時であるとの『逃げ口上』が使えたのです。
ところが収束宣言で、それは今日からは無理なのですね。
それなら法冶国家なら政府が日本国の法令を守る絶対的な義務があるのですよ。
本来ならアフガンなど破綻国家で無いなら政府には緊急時でも法令は守る義務がある。これを今までサボっていた。
今、直ぐさま手をつけるべきは、東電や経済産業省、安全保安院や原子力安全委員会など事故の直接の関係者全員の逮捕であり、東電や関係官庁の司法による強制捜査ですよ。
今のような当の犯罪者が事件の捜査を行っていて、福島第一原発のレベル7の過酷事故の真相が判るなど、麻薬中毒者の寝言より酷い妄想ですよ。
そんなことは天地が引っくり返っても、決して起きることはありません。
暫定基準値は1年間摂取すると健康に影響する数値と、厚かましくも無責任に国会の衆議院予算委員会で答弁した枝野通産大臣の逮捕拘留で身柄を確保しての強制捜査は当然です。
今の棄民政権の、“不都合な真実”を隠蔽し、おトボケを決めこむ態度は、誠にもって不誠実極まりないもので断じて許せませんね…。
今の日本人も暢気と言うか、危機感がなさすぎますね…。
怒りの意思表示をしないとボンクラ為政者に殺されまっせ…ホンマに!!!。