逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

一字なら「絆」より、今年の漢字は「呆」

2011年12月15日 | 社会

『ネット今年の漢字2010が決定! 2010年、今年の漢字は「呆」』

今年の漢字に理事長親子が逮捕され禁固刑が求刑されている悪名高き『日本漢字能力検定協会』の選んだ文字は『絆』だが、ネットが選べば間違いなく『呆』の一字である。
今年の一字が『絆』に決まったらしいが、 絆の語源は犬などをつなぐ綱で、この今年の漢字の『絆』とは、絶ち難い『いとおしい束縛』のことでしょうか。
当方の『逝きし世の面影』は政治ブログとして政府等の呆れ果てた悪行を取り上げていたのですが、今年は3・11以後には推敲する暇も無い程、忙しい忙しい。
『呆れ果てる』では長すぎる。
『呆れる』なら安倍晋三ではないが一字ではなく三字になるので、今年の一字ならこれは絶対に『呆』しかありません。

『時代を先取りしているネット空間』

漢字協会で最多の『絆』以外も、2位以降も順に「災」「震」「波」「助」と震災関連が並んだらしい。
しかしインターネットが選ぶ『漢字』少しは違っている。
今年の漢字の上位五番目までは、
最多得票で優勝の第一位は、『呆』で決まり。
第二位は、放射能漏れの『漏』。
第三位は、保安院や原子力安全委の『愚』。
第四位は、未曾有の死者を出した大津波の『流』。
第五位は、政府や東電などの破廉恥な数々の『嘘』。
これ以上に適切な2011年を表す漢字も無いと思うのですが、実はこの選定は去年の無料事典サイト『kotobank』とブログメディア『ガジェット通信』が共同で開催し、ユーザー投票で決まった『今年の漢字』(去年の2010年度)なのですから驚きである。
遥かにネットが『時代』に先行している。
『晴れのち曇り、時々パリ』さんのところでも独自の漢字を選定しているが、『2011年の日本は、間違いなく『狂気』の年であった』と、選んだ一文字は『狂』。
以下、『嘘偽りと隠蔽と秘匿とによって、国民の精神が「殺された」一年であった』として、『嘘』『隠』『蔽』『秘』『匿』その結果としての。『殺』『死』。
『津波は天罰』の石原慎太郎や『鶴の一声』のナベツネの耄けた特権階級の『痴』。『愚』
そして。毒。核。騙。抹。怨。恨。怨。轢。悔。懺。惨。恥。
反。犯。叛。氾。と、禍々しく恐ろしい、おどろおどろした文字が続いている。

『呆れ果てる』
 
いま大災害時の東京など大都市での帰宅困難者が問題になっているが、今回は『帰還困難区域』なる不思議な言葉を政府が言い出したから驚いた。
『何じゃ。それは!』
福島第一原発1号基が水素爆発する映像がテレビで映されている最中に、東電の説明が『原発の上方への開放』だった以上の現実離れした不真面目なブラックジョークである。
余りにも国民を舐めている言葉の言い換えか、それとも茫然自失の痴呆状態なのか。
福島県は12月13日、全県民対象の健康管理調査の中間結果で、原発事故から4か月間の推計外部被曝線量を発表した。
当然ですが避難場所や時期で被曝線量に差があり、推計で被曝量が最も高いのは、事故当時から飯舘村で高い放射線量の場所にとどまり、6月下旬の役場機能の移転に合わせて避難したケースで、19ミリ・シーベルトにも達している。
政府やマスコミの話を疑わず信じた人々が一番酷い目に合うなど、66年前の帝国崩壊の時の様な悲惨極まる呆れた話である。
分析に使った放射性物質の拡散予測『SPEEDI』(スピーディ)の情報を政府は一般(マスコミ)には公表していない。
福島県当局は政府からスピーディの情報をファックスで連絡を受けたが公表せず、『線量が高いと分かっていれば、別の場所に避難した。』と住民は改めて呆れ、憤っている。

『立ち入り禁止区域ではなく、「帰還困難区域」になった理由』

原発の爆発で放射能が漏洩して危険なので立ち入りが『禁止される地域』が、今回何故『帰還困難地域』と呼ばれるのか。
そもそも現在指定されているのは20キロ圏の『警戒区域』と飯館村などの『計画的避難区域』、9月30日に解除された川内村など20~30キロ圏の『緊急時避難準備区域』である。
何れも一時的な緊急避難を目的にしており、チェルノブイリの様な恒久的な避難(疎開)は最初から政府や東電は想定していなかった。
何故日本では住民を避難(疎開)させないかですが、これには1950年代の正力松太郎や中曽根康弘による日本国への危険な原発の導入時に、その原因があった。
そもそも日本の原発はすべてがアメリカ製であり、安全規格の設定でもすべてがアメリカの規格がそのまま安易に導入されていた。
日本以外の他の国では、アメリカでも旧ソ連でも過酷事故時には全住民を強制的に疎開させる計画である。
ところが日本とアメリカでは国土に大きな違いがある。
原発の立地の周辺地域は『人口希薄地帯』とされていたが、米国基準を守ったのでは日本国では一ヶ所も建設出来ない。
過酷事故が起きたら、米国基準では即座に全住民の退避と放射能汚染地域の封鎖(立ち入り禁止処置)が行われることが事前に決められているが、(人口希薄地帯が無い)日本では最初から被災住民が多すぎるのです。
日本では避難対象住民を全員を退避させる計画も無いし、疎開先の余った大きな土地が何処にも無い。
そこで米国の安全基準を無視するために、『過酷事故は日本では起きない』とする我が日本国独自の度外れた『原発安全神話』が創作され、読売などマスコミで大々的に宣伝されたのです。
生命と健康を守る為には汚染地域から住民を疎開させたいが、『疎開する』とのアメリカの安全基準にある『計画』(事故対策)が、我が日本では最初の原発の設置段階から完璧に抜け落ちていた。
ですから、枝野の『直ぐには影響が無い』との犯罪的な無責任発言も、ある意味では当然だったのである。
日本国の核分裂の熱発電とは、二重三重の『掟破り』の悪質な違法行為の上に運営されていた。
原発とは、危険極まる綱渡りに近い砂上の楼閣だったのですから、呆れ果てる。
↑上の、『呆』の画像の墨で書かれた文字と同じで、呆れて『口』が開いたままふさがらない。




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13 コメント

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山は死ぬんです、海も死ぬんです、大切なあなたの故郷も、みんな逝ってしまうのです (相々健々)
2011-12-14 21:29:48
タイトルは昔の戦争邦画の歌の一節をパロディにしたものですが、まさしく、原発が建設された土地にもたらされるのは“土地の死”そのものではないでしょうか。
人は長くそこに留まることができません、住むなどもってのほかです。
作り出された農作物、産出される自然物は食べられません。
吐き出される毒は半永久的に長く留まり続けます。
形あるものはいつか滅し、人間が作るものはその最たるものですが、確実に残るものが放射能に満ちた毒物=“罪”だけとすれば、“文明の進歩”とはなんなのかという疑念さえ浮かびます。

一般に“故郷”としてイメージされる情景は、何代にも渡って手入れが施され、今なお必要とされる里山であって、荒れるに任せた原生林野ではありません。
「エネルギー利権屋栄えて山河(=故郷)滅ぶ」こそが他国からの侵略以上の亡国の道ではないでしょうか。
言い換えれば、利権屋が滅ぼす物を他国に送ろうとすることは侵略以上の恥ずべきことになるでしょう。
「エネルギーこそ地産地消を!故郷を真に生かす存在に!」の実現を願ってやみませんが、正反対の状況を推し進めようとする勢力の悪知恵はしたたかになる一方なのが腹立たしさを加速させます。

故郷を踏みにじり、住む人々を絶望に追いやりながら、後始末(除染)でさらに富を得ようとしたり、さらに外国に輸出する(外国では『うまい話』しかされていないそうです)ことを平然として行う、「加害の再生産」が繰り返されようとしている現状に対し、自分は『呆』の境地には達することができないでおります。
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“無” (青い鳥)
2011-12-15 09:02:04
わたしが選ぶとしたなら…“無”ですね、、、

津波で何もかもが、無くなった…。 原発大事故に対する、東電の無責任…。
東日本大震災後の政府・すべからくの政治家の無能ぶりの露呈…。
石原、橋下が喝采を浴び、右傾化が更に進む日本社会の無節操…。
これでは日本の未来は無い…。

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死と再生 (宗純)
2011-12-15 14:30:50
相々健々さん、青い鳥さん、コメント有難う御座います。

今年の漢字に『絆』が選ばれてのは、精神科医の斉藤環氏によると、
家族や友人や家やお墓や慣れ親しんだ風景を失って、それでもなお去りがたい思いによって人を故郷に繋ぎ止める『愛おしい束縛』こそ『絆』で、これ以上大切な言葉もない。
と言っているのですが、失った。あるいは失いつつある大事なものに対する狂おしい愛着とか執着や未練が、人々をして『絆を連呼』させた原因であるらしいのですよ。
ですから、最初から平時に『絆の連呼』はありえない。
非常時とか緊急時用の特殊な現象であるらしい。非常時(緊急避難的)でないときの絆は我が日本国独自の『引きこもり』現象とかその結果としての家庭内暴力を引き起こす原因ともなる。
私は、『家庭内暴力』の言葉を初めて聞いた時は、『近頃の親父は先祖がえりしているのか。?』と勘違いしたが、これは父親が子供を殴る話ではなくて、正反対の現象だった。
家庭内暴力など根本的な日本語としての言葉の間違いであり、これは『引きこもり暴力』が正しい。
1995年の阪神大震災時、消防とか警察、自衛隊とか県や市、政府が100万都市で完全に機能しないと言う異常事態が生まれたのですが、公的な全ての物が無くなった時でも、最後まで人々の『絆』と言うか、最後のよりどころとして人々の連帯感が残っていた。その意味では絆は大事である。
ただ、公的な存在が『絆』云々を言うことは自分の責任回避とか責任転嫁の為の、無責任極みであり人々は大いに怒るべきなのです。
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日本は嘘つき天国 (Ladybird)
2011-12-16 03:59:56
 『嘘』『隠』『蔽』『秘』『匿』
に賛成.
 政治家,役人,マスコミ.日本はこれほど嘘が蔓延する社会になってしまった,と実感した年でした.
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間違いない (モリー隊長)
2011-12-16 10:26:18
呆 わかります。今年はひたすら阿保らしく呆れた年だったかもしれません。
でも絆が見えたのもこの年だったと思います。
これを糧に、日本が人が変わるだろうか。自分も含めて。

未来には、考え行動する人間が必要だ、と
感じた年でした。
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66年前と類似点が (宗純)
2011-12-16 10:33:50
Ladybirdさん、コメント有難う御座います。

3・11以後に、政府や東電、マスコミや東大の教授など権威と信用がある一見立派な人々が、無責任の極みのような破廉恥な真っ赤な大嘘を平気で喋る様を一般市民全員が目撃する。
普通の庶民の常識では、我々一般市民よりもこれ等の権威や信用がある人は、『見え透いた嘘はつかないだろう。』と勘違いするが、大間違い。
実は、『地位や名誉や権威がある偉い人』の方が、守るべき権威や信用がある分、余計に嘘を付いてでも不都合な真実を『隠蔽したい』との誘惑が大きい。
ですから、権威や信用が有る人ほど『見え透いた嘘をつく』と、私はずっと言い続けていたのですが、
この恐るべき『原理・原則』が3・11以後には『日本国の真実であった』と多くの人が知ってしまう。
ずっと言い続けていた私としては喜ぶべきなのでしょうが、この現象とは66年前の1945年8月15日と類似する悲惨な話ですね。
66年ぶりに日本人全員が、
『政治家,役人,マスコミ.日本はこれほど嘘が蔓延する社会』だったのだ、と『実感した年』なのです。
今まで長い間世間から隠されていた『嘘』『隠』『蔽』『秘』『匿』が、露見した年なのです。
一般市民ですが、『騙されていた』というのは言い逃れに近い嘘ですよ。
実は、全員が醜い悲惨な真実を、『知りたくなかった』のですよ。
(実は全員が薄々知っていたが誰も彼も信じたく無かった)
醜く悲惨なだけでなく逃げ場が無い救いようの無い真実よりも、真っ赤な嘘でも、みんなは信じたい。
見えないよう『隠されていた。』というよりも、実体は全員がある程度は知っているが『無かったことにする』との方法で、自分自身で目を瞑って『隠していた。』のですよ。
ところが3・11で、その全員で隠していた最悪の真実が、目の前に現れて白日の下に曝されたのですから今年の一字なら『曝』ですね。
それとも真実の『真』とか、現実の『現』とか、暴露とか露出の『露』などの方が正しいかも知れないですね。

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虚像と実像 (マトリックス)
2011-12-16 13:41:39
勝といっても野田首相の背後にいる財務省の黒幕官僚ではなく、勝新太郎の話しですが、薬物問題で騒がれた時に勝新太郎が言ったという「キューバのカストロ議長が『座頭市』が好きだって言ってるみたいだから一緒に『座頭市』で反米戦略の研究をしようって亡命しようかな」という話しに、アメリカの属国・植民地状態を維持し続ける売国政治家・官僚が『本音』や『真実』を語らないのに比べ、勝新太郎はもちろんメディアコントロールやマスコミ支配を踏まえての発言ではなく土壇場で強力な冗談を言ったに過ぎない話しでしょうが、国が何かを隠す為に大量の情報発信で隠したい情報を目立たなくしたり、アメリカの世界支配の戦略でハリウッドなどの情報発信力で『アメリカンドリーム』という『夢』を『現実』に見せかけ、『グローバリズム』という『悪夢』を世界に広げようとしている現実から考えると、マスコミによって『真実』を見る目を奪われている『民』である日本人は『虚』像を『実』像だと思わされマインドコントロールされてきたといえ、テレビの放送などからいかに『虚実』を操作されてきたのか影響を考えてしまいました。
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もう一つの読みである、絆し(ほだし)とは (宗純)
2011-12-16 14:03:02
モリー隊長さん、コメント有難うございます。

上に掲げた『呆』の文字をインターネットで一目見て、『これ以上ぴったりの今年の漢字は無い』と思い、ブログ記事にしたのがこの文章です。
『口』の部分の左上がだらしなくアホのように開いている様は大笑であり、これ以上に今の御粗末な日本社会を表す『漢字』もないでしょう。

『絆』を『きずな』と読めば、肯定的な意味を多く含んでいるのですが、
この絆を大事だと思う社会とは、
精神科医の斉藤環氏も明確に指摘しているように、
『絆という言葉が「どうしようもない社会』を前提とした自衛ネットワークである。』
、のですから恐ろしい。
明治以前の社会『結』という制度的な『絆』があったのですが、『なぜか』との理由は簡単で、当時の、江戸幕府に福祉や厚生が期待出来ないから、当時の人は仕方なく『結』や『絆』なのです。
これは今も同じであり、
今の政府や自治体に期待できないから、それで『絆』が大事なのです。
この事実を誰よりも明確にずばり指摘したのは何とあの石原慎太郎なのですから呆れる。
東京都議会第3回定例会が原発事故から半年後の9月21日開会、
石原慎太郎知事は所信表明で、原発事故の被害をみた多数の国民の、『原発からの撤退』の声を、
『脱原発』は『戦後の悪しき習い性の典型』であると批難して原発固執の見苦しい現実無視の態度を貫く。
石原知事は、『戦後の平和』で国民が『物欲・金銭欲が第一となっている。』、『「平和の毒」と呼ぶべきものにむしばまれている。』と、例の批判されて撤回した筈の『大震災は天罰』論と同じ論理を恥ずかしげも無く展開する。
そして、
東日本大震災を受けた課題について、『行政による公助の限界』をあげた上で、東京の防災対策について、『まず自らの身を守り隣近所で助け合う。』など都民に『自助・共助』を求めた。
マスコミようような『絆の連呼』は行わなかったが、石原発言の意味は『絆の連呼』と同じである。
何とも、呆れる話ですよ。

『絆』の文字は人との離れがたい結びつきを意味する『きずな』以外にも『絆し』(ほだし)があり、これは、人の心や行動の自由をさまたげる手かせ足かせを意味している。
『義理人情の絆し』のように使い、人の心や行動の自由を縛るもの。
そもそもの絆の意味は、動物を縛る綱であり、『自由をさまたげるもの』の意味ですね。

東電や保安院や政府やらの自己保身のための数々の情報隠蔽や、
オリンパスや島田神助や吉本興業との暴力団との繋がりなど、裏の意味でも今年を象徴している言葉がこの『絆し』です。
テレビで都会人の田舎暮らしを宣伝する能天気な『人生の楽園』という阿呆臭い番組があるのですが、
『絆』がそれ程今の人々に大切なら、何故田舎の人々が絆が少しは残っている田舎から出て都会を目指すのですか。
大嘘です。
田舎が良いなら、今のように人口が減って廃村や限界集落なんかにはなりませんよ。
都会人は『無いものねだり』で絆のような濃厚な人間関係に憧れるが、元々田舎に住んでいるものには、これ以上に鬱陶しく煩わしいものは無いのですよ。
それでも昼間に職場に出る男は、都会でも同じ職場での苛めや妬みなど問題があるので、比較的まだましだが、逃げ場が無い女性には鬱陶しさが丸々押し寄せる。
負担が女性側に押し付けられる結果、男以上に若い女が流出するので田舎では男女の比率が圧倒的に不均衡になる(男が多い)ので、今大問題になっている嫁不足が起きている。
都市でも日本国では、世界には絶対に日本と同じ例が無い、不思議な引きこもりとか家庭内暴力とか『絆』の弊害は案外と多く起きているのですから、絆の大事さだけが強調される様は異様で、本来は恐ろしい取り扱い要注意の代物です。
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田舎への幻想 (90式)
2011-12-16 23:38:35
僕はつい最近まで京都府のド田舎に住んでました。(携帯の電波が常に微弱なほど)

隣の人が野菜をくれたり、近所の人が家族みたいに付き合ってくれるとか・・・ドラマの中だけの話です。
孤独な老人が多かったり、仕事も娯楽も少ないので若者には辛いです。
そして(私の体験した)田舎は、監視社会でした(笑)。


あそこの娘はどこの高校に行ったとか、
あそこの息子はどこに就職したとか、
兎に角「世間の目」「人の目」を気にする場面が多かったです。
(こんなくだらない話題でごめんなさい)

田舎の封建制や陰湿さ(?)はけっこう根深いと思います。

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虚像と実像の違いが判らない時 (宗純)
2011-12-17 15:16:46
マトリックスさん、コメント有難う御座います。

もう何十年も前の昔の話ですが、アラスカに遠征登山でのこと。第一次アタック隊4名が登頂に成功して下山中に5000メートル地点でとんでもないものを目撃しているのです。
なんと、太陽が二つあるのですよ。
白一色雪と氷の世界では太陽の眩しさは半端ではなくて凄まじい。
ゴーグルをしていれも登山中に隊員の一名は紫外線による雪目(急性の角膜の炎症)を起こすぐらいに強烈なのですが一つでも眩しいのに、あろうことか二つの太陽ですよ。
幻日の様なブロッケン現象のような、良く知られた作用ではなくてニセモノは本物と同等な明るさなのです。
この未知の怪奇現象に全員が釘付けになり『太陽だ』『太陽がある』と、その場を動けない。
30十分近くもその場に留まり観察していたのですが、変化は全く無いのですよ。
それ以上は時間的な問題があり下山したが、その後の話が不思議なのです。
アタックテントに無事帰還したが、誰一人もその不思議な現象を口に出すものが無い。
基本的にアタック後は誰でも躁状態になり饒舌に喋りまくるのですが、あくまで技術的な話に終始していて、今目撃してきた異常気象の話は出ない。
まあ、忙しいのだろうと解釈したのですが、街に下山しても話が出ない。
日本に帰国しても矢張り出ない。何十年も経って再会しえてもやっぱりその話は誰からも出ないのですよ。勿論私も誰にも喋らなかった。
最初に口外したのは1年以上前のアキラさんのところで、今回が2回目です。
何故今まで黙っていたことを明らかにしかと言うと半世紀近くがたちもう時効であろうと思うのと、貴重な経験がこのままでは失われてしまうのではないかと危惧したからですね。
何故四人全員が黙っていたかの理由ですが、多分今までの科学の知識に抵触するからですね。
今の科学の埒外のことは矢張りタブーなのですよ、だから全員が黙ってしまったのです。
圧倒的な自然を相手にする山では、全員が誰よりも科学的であらねばならないので、迷信の類は排斥する。自己責任とか自助努力のサバイバルの世界なのです。
これが同じ自然のサバイバルでも海の場合には昔の小さな木造船の時代には山とは逆に迷信やら宗教やらが大流行。海が荒れたときでは個人個人の力程度では助からなかったからですね。
山男は自分の目で見たことでも、直ぐには絶対に信じ無いで、科学的な説明が絶対に不可欠なのですが、『二つの太陽』は説明不能なのです。だから全員が黙っていたのでしょうね。
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