『モンゴルでも大ニュース』
モンゴルの首都ウランバートルなどで『外国人力士の活躍を嫌う日本相撲協会の圧力があった』として、日本への抗議活動を呼びかける動きがあった為に、2月5日モンゴル外務省は横綱朝青龍の引退に関連して複雑な両国の国民感情に対して冷静な対応を求め、『日本とモンゴルの両国関係に影響を与えることがないと信じる』との異例の声明を発表。
モンゴルでは、国民的英雄となった朝青龍を擁護する意見が多数派で新聞各紙は『朝青龍は強すぎるので引退に追い込まれた』などと対日批判を繰り広げている。
『大ニュースの隠蔽は大ニュースで』
2月4日は立春、ビッグニュースが集中し朝青龍引退では号外が配られる。
本来なら第一面大きく掲載されるニュースである一年前の西松から検察が追求していた『小沢幹事長不起訴』は小さな扱いである。
03年に民主党に小沢自民党が合流した時に新聞の第一面は今では誰もが忘れ果てた小泉純一郎による道路公団の藤井総裁解任劇だったし、
耐震偽装の証人国会喚問当日は時代の寵児のホリエモンの突然の逮捕劇だった。
戦後初めての自衛隊の戦地のイラク派兵問題が論じられていた時には大本命の高橋尚子オリンピック代表落選の号外が配られニュース枠を独占する、
結果、小沢一郎の民主党入りも耐震偽装も自衛隊戦地派兵問題も扱いが小さくなる。
不都合な大ニュースを報道されたくない時には、大昔は検閲で強制的に差し止めていた。
今では技術が向上し露骨ではなくもっと巧妙になりアメリカ流に読者が喜ぶモット大きなニュースを造って報道枠を占領する方法が取られている。
今回も朝青龍引退が大一面ですが、読売報道では相撲協会外部役員の元警視総監や元東京高検検事長が強行に横綱解任を主張して突然の引退発表となったらしい。
『常勝検察の初めての負け戦』
巨悪の頭目である小沢一郎は見るからに人相も悪く悪代官顔。
悪徳政治家小沢一郎対泣く子も黙る東京地検特捜部。
一年間も小沢がたてこもる陸山会城を包囲して攻め立てたが、今回は本丸を落とせず城下を焼き払って(秘書三人の起訴)撤退とは情けない。
これでは検察の完全なる負け戦である。
今まで地検特捜部は時の政権の特高(秘密政治警察)として目障りな政敵の加藤紘一や邪魔になる田中真紀子ややかましい辻元清美を摘発してきたが、実力というよりも政権与党の『力』のお蔭なのか。?
検察官僚(東京地検特捜部)は情報を一手に独占して握っており、今まではマスコミに適当なニュースを流す事で世論を自由に誘導して針の穴に駱駝どころか、無理やり象や鯨まで通してきた。
其れなのにこれでは検察は3ヶ月前の政変で神通力を失ってしまったと思われかねない。
戦で攻めるのは比較的簡単だが敗戦での撤収が一番難しいが、このまま曖昧に収拾したのでは、手を突っ込んだ政権側に仕返しされる。
小沢一郎の評価ですが、良い意味でも悪い意味でも彼は、今でも民主党幹事長である前に賄賂一歩手前の汚い金を集めていた『最も優れた自民党幹事長』なのです。
そして此の頃の自民党は自分に逆らった者を決して許さず見せしめの為に刺客まで送っていた。
『横綱朝青龍が切れた原因は頑張れだった』
『難波の葦は伊勢の浜荻』名称や風俗習慣などは土地によって大きく違う。イタリア男にとっては『お前の母親は○○だ』が一番の侮辱になるらしいが、日本以外の国ではスポーツ観戦の応援で『頑張れ』はありえない。
日本では聞きなれないが『勝て!』とか『倒せ』(殺せ)などそのものズバリ。
『頑張れ』は一流アスリートとっては最大の侮辱らしいですよ。何故ならみんなより人一倍『頑張った』から一流に成れたのであり、それなら応援者からの『頑張れ』とは『お前は2流だ』の意味になる。
ですから子供相手なら『頑張れ』は良いが、角界の最高峰の横綱(チャンピオン)には誰も『頑張れ』とはいえないのです。
朝青龍ですが、良い意味でも悪い意味でも彼は日本人ではなく最後までモンゴル人としての矜持を持ち続けていたのでしょう。
だから永住権はとっても日本国籍は取らなかった。
其れが周りには気に食わない。
今までは周りが横綱をかばい、大鵬柏戸などは拳銃所持などという破廉恥なことがあったが誰にも知られずひっそりと内輪で処理して厳重注意程度の穏便に処理している。
朝青龍25回優勝でこれ以上外人が日本人の記録を破るのを阻止する為だとの憶測まで出ていますが、仮病疑惑での相撲協会の不思議な制裁は日本人なら一代年寄りの資格がある外人を、周りのみんながよって集って『イジメて辞めさせようとしていた』としか考えられない不思議な話である。
22回優勝の一代年寄り貴乃花などは怪我を理由に2年近くも休場した不名誉極まる経歴があるが、『本場所を休まなかった横綱』として朝青龍以上の力士は一人もない。
最も激しい(体を酷使する)スポーツである相撲では怪我はある意味当たり前で、マスコミの『仮病報道』に悪乗りして二場所出場停止にした相撲協会は自ら横綱の『権威と品格』に泥を塗ったに等しい。
怪我を理由に巡業を休んだが故国モンゴルでの休養中(療養中)に子供たちの為に遊びでサッカーをしていた事が問題とされたが、もしも遊びのサッカーと真剣勝負の大相撲とが同程度の体へに負担であると考えているとしたら、これ以上の相撲に対する侮辱はないだろう。
仮病疑惑報道をしたスポーツ新聞やそれに便乗して不当処分をした相撲協会は猛省してもらいたい。
『一人前になれない相撲協会の理事』
『普通選挙』は民主主義の基本中の基本ですが、この時に無記名秘密投票が採用されている。
理由は例えば記名投票なら雇用関係にある弱い立場の従業員が、上司や社長が支持しない候補への投票は不利益になる可能性があり、其れを防ぐ為ですが、これとは正反対に議会における『議員』の投票は挙手か『記名投票』が原則です。
議員の無記名(匿名)投票は無責任すぎる。
議員であれ誰であれ本来は自分の投票行為に対しては、投票した『責任』を感じるべきなのです。
本来一般市民でも社会的格差が存在しない平等な社会なら無記名秘密投票ではなく記名投票にすべき性質のものです。
ネットが信用が低い理由は匿名だからで、新聞でも無記名記事よりも署名記事は信用度が高く値打ちがあるとされている。
110人の相撲協会の親方ですが、一般市民というよりも議員に近い性格を持っていると思いますが、それなら今回の無記名秘密投票は、民主主義とは正反対の自分の行動に責任を取りたくないので、自分の態度を明らかにしない無責任極まりない態度ではないでしょうか。?
『本当はダーティな相撲協会』
5日、日本相撲協会の選挙で選ばれた貴乃花新理事は朝青龍引責引退など不祥事が絶えない協会に対し『ダーティーな相撲界でなく、ハッピーな相撲界にしたい。古き良きを知った上で、新しきを取り入れていく』と語ったが、相撲の歴史を知っている者にとっては何とも白々しい話である。
他所の国のスポーツ界なら穏便に済ます大麻所持でロシア人力士たちを即追放した厳罰主義の相撲協会ではあるが身内の日本人横綱には大甘なことを繰り返していた。
一度も優勝経験がない力士北尾を規則を破ってまで横綱にして『双羽黒』を作り上げたが、実力も経験もないこの日本人横綱は1987年師匠の親方と喧嘩をして止めに入ったおかみさんや後援会関係者に暴行して失踪した挙句に 引退。
外人の小錦を横綱にしたくないばかりに北尾対大関小錦との大一番で勝っている(優勝している)小錦を負けにしてまで無理やり北尾を横綱にした相撲協会ぐるみで『八百長まがいインチキ』をした報いであろう。
1985年横綱だった輪島が年寄名跡「花籠」を担保に借金して退職した例もあるが、最大の不祥事は1965年のもと大関若羽黒の拳銃密輸であろう。引退していた元大関は実刑判決になっている。
この時元横綱 千代の山をはじめ現役横綱の柏戸、大鵬、北の富士が拳銃密輸や不法所持に問われたが検察不起訴処分となり相撲協会は譴責処分で済ましている。
この時の理事長は名横綱双葉山(年寄・時津風)だが彼は現役の横綱時代の1947年にカルト宗教にはまり家宅捜査の警官隊と大立ち回りを演じて公務執行妨害で逮捕(璽光尊事件)された経歴があった。何時から横綱が品行方正の紳士になったのだろうか。?ウソをつく(歴史を偽造する)のも程々にしてほしいものである。
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ご自身のお考えはどうなのでしょうか?
私自身は、相撲がとても好きではありますが、
この男が某新聞社主により横綱へと出世したとき、
いや貴乃花を引退せしめたときから本場所を見に
行くのはやめました。
相撲がただのショーとなり果てたように思えた
のがそのきっかけだからです。
今回の騒動は、横綱昇進どころか大関に昇進の
ときに、いや関取になった時点までさかのぼり
無能な親方を教育できなかった協会や周りの取
り巻きの責任と考えています。
当然それを良い事に天狗になった本人にも多大な
責任があるのは言うまでもありません。
親を見て子は育ちますからね。
長兵衛を歴代名乗る老舗もございますが、
相撲の世界にもその方が営むものがあります。
閲覧されておられる多くの方々には小生の発言は
言葉足らずですので、問題がある語句がございま
したらお許しください。
大相撲が本当に強い力士たちの真剣な取り組みと
なることを願います。
相撲に限らず全てのプロスポーツに共通する事ですが、(A)競技としての一面、(B)営業、興行(見世物)としての側面、(C)その他の歴史や伝統、文化としての側面、相撲なら奉納相撲など神事としての側面があるが、普通なら重要度はA>B>Cの順番になるのが常識です。そして相撲でも今までは同じ順番になっていたのです。
100メートル9秒台の選手は品性下劣であっても優れており11秒台の選手は人間がいくら善良でも何の意味もないのがスポーツの世界なのです。
ところが朝青龍だけは価値観が逆になり、違っているから何とも不思議で居心地が悪いのです。
朝青龍の天敵を自称していた横綱審議委員会の元委員だった内館牧子さえ『アスリートとしての朝青龍は素晴らしい』と称えていた様に(C)は問題があったかも知れないが(A)と(B)では抜きん出ていた。あれほどバッシングされていても相撲グッズの売り上げでは人気ナンバーワンなのです。
ですから、今までの常識を覆して朝青龍の時だけ正反対のC>A・Bの順番になっているのです。
これでは駄目でしょう。
2年前の記事ですが、
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で相撲協会の問題点を書いてきたのですが、古い記事へのコメントでも歓迎していますので何かご意見があれば宜しくお願いいたします。
そして今の大相撲の最大の(緊急の)問題点ですが、横綱の品格なんか何の問題でもない。無気力相撲、八百長などよりも、誰も一言も言わないが、アメリカのメジャーリーグ以上の目に余る薬物汚染でしょう。
未だに筋肉増強剤を野放しにしているのは日本の大相撲ぐらいですよ。
北の湖、千代の富士、魁輝は反対したようですが、賛成した連中は事の重大さがわかっていないようですね。
今件は朝青龍の引退であると同時に、事実上の「相撲協会自体の格闘技廃業宣言」ですよ。
横綱に品格を求めること自体はかまわんのですが、それはあくまでも「道徳律」であって、格闘技、スポーツに限らず、勝負事においては、「強い」ということが絶対的な価値であり、それを他の価値基準が上回るようなことは「勝負事であることの否定」ですよ。
もちろん、どこの世界でも裏では八百長とかいろいろあるわけですが、こうも表立ってシャーシャーと打ち出してしまうとは狂っているとしか言いようがありません。
今後は白鵬の一人勝ち時代が続くことになるでしょうけど、仮に連勝記録などを作っても、世間からは「朝青龍がいないからだ」と見られますよ。
もはや、まともなスポーツファンからは「相撲は競技ではなく儀式」との烙印を押されることとなるでしょうね。
私も根本的には「日本相撲協会」という組織の問題だと考えています.そもそも,この組織は単なる財団法人であり,どうしてこんな法人が如何にも文科省や宮内庁の外郭団体のような顔をしてのさばっているのかが不思議でならない.
Runner さんも指摘した通り,私のブログで書いた通り「スモウ・レスリングは国家神道による宗教儀式」であると定義づけても良いでしょう.詳しくはトラックバックをたどって,私のブログを参照して下さい.(かなり悪口雑言書いてますのでファンの方は怒るでしょうけど)
これに関して某新聞社主の行動に大相撲の異様さが集約されていると考えます。
貴ノ花を引退に追い込んだ後責任、いや非難を避けるかのような辞任劇。
その後の力量不足の力士たちの中から取り敢えずは出世した。
その中でほかのモンゴル力士との土俵の外を含めた争いは、タニマチ、後援会、影で蠢く何某かの人々、その勢力争いだったのでは。
結局、モンゴルの資源に絡んだ利権争いがバックにあったからでしょう。
親方の駐車の多さを弟子が忠実に学んだ事は当然の結果だと思われても仕方ないことでしょう。
府立体育会館も空気が少しは綺麗になるでしょうから、来月から見に行こうか、と。
あ、そうそう。理事長の貴乃花嫌い、いや憎しの心はどこからなのでしょうか、親父への遺恨からかな。
何とも前代未聞、呆れ果てた話で、開いた口がふさがらない。
相撲が何時の間にかスポーツとしてのカテゴリーから遠く離れて、歌舞伎と同じような権威と伝統の『滅び行く伝統芸能』になっていた。
民放の大相撲ダイジェストは視聴率の低迷で打ち切りになり唯一のNHKの放送も視聴率一割の大台をを切っているとか。
放送される土俵際だけは観客が入るが三階席はがらがらで相撲人気の低迷は目を覆うばかりの酷さ。
かっての相撲ファンとしては何とも嘆かわしい限りです。
>・・格闘技、スポーツに限らず、勝負事においては、「強い」ということが絶対的な価値であり、それを他の価値基準が上回るようなことは「勝負事であることの否定」ですよ。<
全く仰られるとおりで、そもそもの根本を否定しては自分自身の自己否定に近い自○行為です。自分で自分の首を絞めている。
2年前のサッカーでの仮病疑惑での相撲協会の二場所出場停止の時。
今まで怪我でも痛みに耐えて本場所を出場し続けていた横綱朝青龍を相撲協会の営業活動である地方巡業不参加理由に処分し、スポーツ(本場所)よりも金儲けの地方巡業が上であると証明してしまったお馬鹿極まる相撲協会理事会。
大相撲ですが、客を呼べる一部リーグ(幕内以上)の力士(選手)の倍近い役員(力士OBの110人の親方)を養っている不思議な構造なのです。
少子化で将来日本が働くもの一人が何人もの働かない年寄りを養うとの報道があるが、相撲協会は昔から『年寄り』だけがあれこれ発言する権利があり現役の力士は『年寄り』の言葉や決定に絶対服従の鉄の掟がある。
今の現役の力士には殆ど発言権はなく朝青龍がモンゴル巡業の署名活動をしただけで厳重注意処分になるくらいに恐るべき無権利状態。
これは駄目です。
救いがたい状態です。
どんなスポーツあるいはその他の社会でもいえる事ですが、
相撲協会のように『現役』に全く発言権(権利)を与えずに、現役に養ってもらっている立場の引退した連中が実動の現役世代の倍の人数で絶対権力を握っている組織は必ず衰退します。
この構造だから必要以上に権威と伝統の大切さを殊更強調するはずだが、これでは滅びるしかないでしょう。
今度の朝青龍引退ですが、相撲のような体に負担をかけるスポーツで11年間、其れもトップを走り続けていた朝青龍は『自分の体の為には』引退する方が良い。スポーツは基本的に体に悪いのです。
特に大相撲は体に決定的に悪い最悪のスポーツです。
一流のアスリートである現役の力士が突然死するなど大相撲以外にあるでしょうか。?
特に私が問題視しているのは相撲界の薬物汚染です。
08年に何ともインチキ臭いドーピング検査を初めて行っているがこの時はロシア人力士の大麻騒動に話を摩り替えて誤魔化したが、何時まで隠し続ける心算でしょうか。?
09年から部分的にドーピング検査を行うと相撲教会理事会で決めていたのに結局は実施されづ仕舞いで、有耶無耶で済ましているが世界のスポーツ界の流れに逆らって日本の相撲だけが何時までこの態度を続ける心算か。?
神事だとかのへ理屈や権威と伝統だけでは逃げ切れまい。
朝青龍の25回の優勝記録は『一人横綱』だったからだとの説があるが、それならなお更に朝青龍の偉大さが際立つ事になる。
当時、朝青龍に並び立つ実力がある力士は一人も居なかったのです。
ところが22回優勝の貴乃花ですが、此方の方は大幅に割引しないとなりません。
何故なら当時の横綱大関関脇など三役陣や幕内上位は殆どが貴乃花と同じ二子山部屋の出身で、同部屋の対戦がない為に実力がある役力士との対戦は少なくなる。
強い力士との対戦がない分、其の反対に実力不足の下位力士との相撲で星を確実に拾っていた。
何勝かは最初から下駄を履いているようなもので八百長ではないが極めて大部屋に有利で小部屋には不利に制度的に出来ている。
部屋の関取が10人も居て全てが幕内の上位、これなら優勝して当たり前で、貴乃花が優勝しなくても兄弟の若乃花や兄弟弟子の貴ノ浪や貴闘力 が優勝していた。
若貴騒動で貴乃花が自ら相星兄弟対決で父親の二子山親方から八百長相撲を持ちかけられた事を暴露したら若貴兄弟の母親の元おかみさんが部屋ぐるみで貴乃花に注射していた事を示唆していたが、星の貸し借りや注射は大相撲では当たり前。
横綱『双羽黒』程にはインチキではないが貴乃花は相撲協会が興行的に成功する為に作られた『偶像』です。
周りが持ち上げるものだから、実力以上に天狗になってしまって自分の実力を知らないで今まで来てしまったのでしょう。
朝青龍の復活優勝でのガッツポーズが対戦相手に対して『礼を失して失礼』との話があるが、
小泉純一郎の『感激した!』の言葉が出た、大怪我を押しての武蔵丸との優勝決定戦ですが、あれ以上に対戦相手に失礼な事はない。
誰が見ても判るほどの大怪我をしている対戦相手『国民的人気の貴乃花』に全力でぶつかれると思いますか。?
もしも武蔵丸が勝てば非難は免れない。
あれほど酷い無気力相撲は見た事がないくらい武蔵丸が力を抜いた相撲をとり貴乃花が22回目の優勝をするが、この相撲の結果、ひざの怪我を悪化させて以後の土俵人生を棒に振り未練がましく2年間も休場を繰り返した挙句に引退して親方になるが其の後がいけない。
ある程度の現役時代の体重を維持しないと弟子に稽古をつけることが出来ないのに、見かけばかりに拘り新弟子とのまともなぶつかり稽古が全く出来ない状態。これでは力士が育たない。
貴乃花が嫌われるには嫌われる、十分な理由がある。
悔しさを知っている私にとっては、
息子の相撲内容の素晴らしさととも
にとてもうれしかった。
強い力士のいる部屋は当然ながら強
くなる力士が増えてくる。
これは古今東西の理。
高砂部屋に強い力士が育たなかった
のは、親方を考えれば当たり前とい
えるのかも。
曙、武蔵丸という、白鳳よりまして
や琴欧州、暇富士、バルトなどより
も強い力士が居ました。
琴ケ嶽部屋の力士たちなんか若貴兄
弟には眼の色を変えて勝負していま
した。二人に勝った次の日の取り組
みはコロンと無様に負けていたのが
とても愉快でした。
貴乃花がまだ膝の回復が十分でない
ときに、対戦して負けたあさしょー
りゅーが「痛めている脚を蹴って勝
てばよかった」と言った言葉がすべ
てでしょう。
本人の実力は全盛時に若貴、曙武蔵丸の全盛時と比較して、関脇程度と
推察します。
大きな害人力士を空中に浮かして投
げ飛ばしたなどとマスコミは書き囃
しますが、腰の高い足腰の弱い外人
力士なんか自分の重さで宙に浮くの
は当たり前のことです。
周りの力士が弱すぎるだけです。
なんせ、魁皇がまだ現役だものねぇ。
と、貴乃花に相撲取りの姿を見る私には、
反対側と言える朝青竜側のお話を聞くのは
とても楽しいことです。
近々、以前のブログを読ませて頂いてから
書かせてくださいませ。
私が思うのは、相撲の本質的な部分は伝統芸能であるということです。その本質を覆い隠して、スポーツであるような振りをしていただけのこと。それが朝青龍という「スポーツ力士」の登場で繕いきれなくなったということでしょう。
伝統芸能の基本は「様式美」です。横綱に求められるという「品格」も、「様式美」なのだと考えれば理解しやすい。しかもそれは、スポーツとしての要素である「力量」よりも位が上。例えば歌舞伎において、いくら表現力が豊かな役者でも、歌舞伎の「様式」を外せばそれは歌舞伎役者と見なされないように、相撲においても、力士の「力量」はあくまで相撲という「様式」の一要素でしかない。それがつまり「国技」ということなのでしょう。
相撲協会の問題は、相撲の本質が伝統芸能だということを知ってか知らずか隠蔽していたところにあるのでしょう。もっとも、その隠蔽は相撲が大衆化されていくためにはやむを得ない道ではありましたが。
相手の弱点を攻めるのが勝負の世界。
相手に合わせて得意技を出させる様に協力するのはスポーツとは言い難い見世物としてのプロレスなどです。
それでは相撲とプロレスが限りなく近くなる。
勝負の世界、余程の実力差があり絶対に勝てる相手なら相手のやりたいようにやらせるが、普通は相手の良さをいかに殺すかに全力を出す。
だから自分が勝てるのです。
ところが貴乃花はみんなが遠慮していた。
勝負に拘る朝青龍も遠慮して力を抜くから貴乃花が勝つのです。
『ひざを云々』は如何にも朝青龍らしい話だと思いますよ。(朝青龍でも出来なかったのです)
おいちゃんさんの話が正しいなら、貴乃花が強かったから勝っていたのではなく、みんなして『勝たしていた』のです。
昔まわしを取れば横綱大関といえども吊り出しで勝てる明武谷という長身力士がいたのですが、対戦相手はよく知っているので突っ張りが得意でない力士までが明武谷相手の時は突っ張って離れて相撲を取る。
両まわしを明武谷にがっちり取られて勝てる力士はそれほどいなかったのです。
だから対戦力士は必ず突っ張ったし横綱や大関でもやっぱりつっぱていたのです。
相撲が面白かった時代の力士たちは勝負に今の朝青龍のように拘っていたのですよ。
だから相撲はスポーツであったのです。
相手のひざが悪いからと弱点を攻めず対戦相手が庇う様ではスポーツではない。
網膜剥離でスポーツ生命に危険があるのでライセンスを取り消されていた元チャンピオン辰吉丈一郎の顔面を狙って殴るのが本当の勝負師といえるでしょう。
貴乃花のように相手に庇って貰わなくては試合が出来ない、まともに試合が出来ない怪我の身で出て来るべきではないのです。其れは最早スポーツではなくなっています。
>『もともと伝統芸能なのでは・・・・』<
多分正しいと思いますが、其れを言ってしまっては・・・・話が、お仕舞いなのですよ。
スポーツだと思うからスポーツ紙に色々書かれているし世間も色々発言しているが、本来はお茶やお花と同じ家元制度の伝統芸能だったとしたら一般スポーツ社会の価値観と一致する事は何ら必要ではなく伝統の墨守こそが最大の価値観になる。
それなら家元の息子が横綱になるのは自然なことで『八百長臭い』と叫ぶ私の方が筋違いになる。
『世間的にはスポーツであるかの様に装っているが実態は家元制度の伝統芸能だった。』
しかしこれは国技としての大相撲にとっては(外国には知られたくない)国家機密ですよ。
そういえば、全てのスポーツに共通する筋肉トレーニングマシンを導入せず未だにテッポウ柱としことまた割りだけなのは相撲界だけ。
親方連中は口を開けば稽古稽古というが、『稽古』の意味は、「稽」は「考える」という意味で、漢語「稽古」の原義は「古(いにしえ)を考える」「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」こと。
正しい事は既に『伝統としてある』のです。
なるほど、相撲の稽古とスポーツのトレーニングとは全く違うものの様です。
このブログは「皆んなで楽しもう,陰謀論」(だったかな?) で楽しむ場所だと認識してますけど,最近は逃げの文句に「陰謀論」どころか「詐欺論」と相手を決め付けて逃げる卑怯な奴がいるようです(爆)
| 08年に何ともインチキ臭いドーピング検査を初めて行っているがこの時はロシア人力士の大麻騒動に話を摩り替えて誤魔化したが、何時まで隠し続ける心算でしょうか。?
私も「スモウ・レスリングには興味がない」とブログで書いた手前,ドーピング疑惑にまでは掘り下げて書きませんでしたけど,もし書いたらもっとアクセス数を稼げたかも知れません.その代わり,(-_-メ) 関係と思われる,恫喝にも似たメールを寄越してくる奴が二桁に達しますから,きっとその筋が絡んでいるんでしょうね.
| 神事だとかのへ理屈や権威と伝統だけでは逃げ切れまい。
私のブログでも書いた通り,民俗学的な意味での「村祭りの田舎相撲」ならいいんですよ.神主がレフェリーに入ったからと言って,誰も文句は言いません.まさに神事ですから.
だけど,財団法人としての日本相撲協会って,宮内庁の外郭団体ですか,それとも宗教法人でしょうか,創価学会のようなヤクザカルトですか(笑) 屁理屈もいい加減にしてくれって言いたいです.
黒船来訪時には米国レスラーと異種格闘技戦を行ったというエピソードも残っていますし、一時期は「世界最強」というふれこみまで付いてたくらいです。(最近は曙のおかげで誰もそんなことを言わなくなりましたが)
それに、「様式美」を言うのなら、千代の富士以外はほとんど誰も美しいシコを踏めないので失格です。
しかも、最近はすっかり大型化してしまいケガを怖れて決まり手も押し出し寄り切りばかりで単調になってます。
そんな中にあって、朝青龍はよく相撲の様式美を表現できていた力士の代表格なのですよ。
高校時代から留学していたので日本語もペラペラですし。
かつて、「白人にチョンマゲは似合わない」とか言った横審がいましたが、同一人種であるモンゴル人力士にはそんな指摘も通用しません。
朝青龍はもっぱら土俵の外の事であれこれケチを付けられているのですよ。
そして、ブログ主さんも指摘されている通り、外国人力士の問題行動とされている行為は、どれも日本人力士もやっていることなのですよ。
むしろ、「郷に入らば郷に従え」を実践した結果ともいえるくらいなのです。
『何か』で誰かが大騒ぎしている時にですね。
本当に其の大騒ぎしている『何か』が大問題である事もあるが、
実は本当の大問題を隠す為に別の『何か』を問題として大騒ぎする(隠蔽する)ことが良くあるのです。
そして、大騒ぎが真実であるなら物事が理路整然としていて辻褄が合っているが、『何か』の隠蔽の騒動であるなら物事の整合性に問題が生まれるので違和感があるものです。
今回の朝青龍問題ですが何とも違和感があるのですよ。
日本人横綱なら有り得ない展開なので初めは『外国人横綱だから』かとも思っていたのですが、それにしても酷すぎる。悪質で執拗なのです。
日本の伝統を重視しようとしない朝青龍に対する、単なる外人嫌いだけでは説明できない。
相撲協会や相撲関係者の動きが不思議すぎる。押尾学事件の時と同じように辻褄が合わないのです。
押尾事件でも何かを隠そうとしていて普通なら直ぐに明らかにされる死亡女性の素性が明らかに
何ヶ月も経ってからでしかも死亡原因は未特定。
今回の騒動では知人男性となっているが、何の関係者なのかの被害者の人物背景(バック)が完璧に隠蔽されている。
スモウレスラーの体は凶器と同じで一般人への暴行は一大事だと報道されているが知人男性が元関取であるとしたら完全な身内の話ですよ。
あるいはヤクザ関係とか警察関係なら別の問題が生まれる。しかしこの人物の経歴が全く伏せられている。何とも押尾学事件の被害者とおんなじ名無しなのです。だから何とも話がしっくりとしない。
押尾事件と同じで、何か隠したい不都合な真実があるのではないでしょうか。?
もっと大きな問題を相撲協会は隠そうとしているのではないでしょうか。?
08年の大麻騒動ですが、大麻は所持は無免許の時には確かに処罰されるが免許があれば処罰されないし吸引では罰則は無いのです。
法律的には彼等は無罪なのです。
ところが罰則が無いにもかかわらず相撲協会は解雇処分の厳罰ですよ。
ところが以前は拳銃の不法所持(10年以下の懲役刑)でも注意程度で無罪放免、何事にも温情処分が相撲協会の伝統であったのです。
これは相撲協会ぐるみの、力士全員が関係している薬物汚染(ドーピング疑惑)隠し以外にはないでしょう。
横綱の「品格」とやらに大きな疑問を持っています.ガッツポーズの場面とともに,もう勝負がついているのにダメ押しのように突き落とす場面を見せて,「品格に欠ける」とNHKが説明していました.
ダメ押しは,北の湖がよくやっていましたネ.北の湖も評判が悪かったけれど,私は好きでした.相撲の勝敗は最後まで分らないものです.勝負に徹するからこそのダメ押しでしょう.
何しろ、そうしないと今度の不思議な日本相撲協会の態度が説明つかないのですよ。
日本の大男の力比べの大相撲に遠くの外国(モンゴル)から来て、スポーツとしての相撲の本来の醍醐味である技とスピードの大切さを知らせた朝青龍は、
アメリカの大味なホームラン記録ばかりの大リーグに行ったイチローが技とスピードの大切さを知らせて本来のベースボールの面白さを再確認させた功績に匹敵するか、それ以上の役割があった。
何しろ朝青龍は最高峰の横綱ですから。
普通は恩人中の恩人に対しては、厚遇で当たり前でイチローは年間何十億の年収ですが角界最高峰の朝青流は年間1億5千万程度で他のスポーツに比べれば格段に低い。
朝青龍とはアメリカのメジャーリーグのイチローと同じかそれ以上で、今回の事件をイチローに例えるなら試合開始時の星条旗によそ見して敬意を払わなかったから即解雇みたいな何とも不思議な話です。
過ってベトナム戦争に反対したムハメド・アリのチャンピオンベルトを剥奪したアメリカではあるが、流石にこれはいくら何でも有り得ない。
今回の事件は、いくらなんでもスポーツの世界では有り得ないのです。
それなら消去法で愚樵さんの伝統芸能説が残ります。
何しろおよそスポーツなら禁止する筈の筋肉増強剤を浴びるほど飲んでいるのにドーピング検査どころか調査を口にするさえタブーで関係者みんなが知らない風を装う。
いったい何時までこの恐るべき真実を隠蔽する心算だろうか。?
自分たちは21世紀の現実世界から完全に関係ないとでも言う心算なのだろうか。
何しろ2世紀前に一般人には禁止された丁髷を結って行うのですからね。
スポーツだとしたら不思議すぎるが大相撲は、お茶やお花、小笠原流の行儀作法などの家元制度の伝統芸能でもあるし、酒税法違反の神事である飛騨のどぶろく祭りみたいな奇祭なのでしょう。
土俵から落ちた負け力士に対して手を差し出す行為は『負けた力士に対する侮辱である』として北の湖は絶対にしなかった。
無様にひっくり返っている負け力士をなるべく見ない様に顔を背けていた様に思いますが、理由は『自分が負けた時に対戦相手に手を差し伸べて欲しくない』『負け姿を見て欲しくない』だったのです。
北の湖は勝負に『負ける悔しさ』を知っていたのですよ。
彼はスポーツマン(勝負師)だったのでしょう。
ところが不思議な事に、そんなところが相撲ファンには嫌われていた。
腹立たしいが、スポーツ(競技)の『何たるか』を知っている相撲ファンが少ない証拠ですね。
貴乃花新理事が相撲の『力』と『品格』は同じであると主張しているそうな。
これでは相撲はスポーツでないと主張しているのと同じです。
勝敗を争うスポーツでは如何に規則違反で失格にならない程度の悪事を働くことが出来るかで一流と二流が決まるのです。
対戦相手に下剤入りオレンジを贈るなどは判らなければ大成功。体格のない松野明美がマラソンに転向したかった理由は体格の良い外国人選手の走行妨害の嫌っての事で、わざと体をぶつけるなどはトラックレースではある意味当たり前の常識ごと。
スキーのノルデック競技で一位になるような選手はわざとストックで他の選手を妨害したりスキー板を踏む反則になる一歩手前の汚い事が出来る選手だけが一流といわれている。意識的に汚い事を出来ない選手は二流。
将棋の世界で数々の記録を打ち立てた大山康晴はもちろん実力でも他の追従を許さない抜きん出た超実力者だったが、対戦相手が煙草嫌いならわざと煙を顔に吹きかけたり寒がっていたら立ち上がって窓を開けるなど勝つためには小さな汚い事も怠らなかったが、まさに勝負師の鏡ですね。
スポーツ(競技)では負けたものには意味が無く勝つことだけに意味があり勝つものが正義なのです。
この話は、相撲を取らせてもらえなかった、
相撲にならなかった、
それほどの実力差があり、それを悔し紛れに吐いた言葉なのです。
膝が悪いからそれを責めなかったのではなく、膝を責めるどころではなく負けたのです。
それと、千代の富士のしこの踏み方よりも貴乃花の方が数段美しいことをご存じだと思いますが、貴乃花は手を添えずに両足を持ち上げる凄さがありました。
これは何方に聞かれてもご存じのはずですし。
そういえば駐車とドーピングでも千代の富士関はとても噂になっていましたね。娘さんが亡くなったのもその影響では、といわれていました。
ところで、早速今日の新聞等であさしょーりゅーの今後のスポンサーが石川県の遊戯会社社長と書かれていましたね。なんでも、元総理とも関係が深い方とか。
貴乃花に拘っておられるのは私ではなくおいちゃんさんですよ。
おいちゃんさん、熱烈な貴乃花ファンである事は良く判りましたが、貴乃花は7年も前に引退しており、しかもそれ以前の2年間も休場続きで大相撲の歴史上7場所連続休場という誰にも敗れない不思議な記録まであるが、10年ほど前に最盛期は過ぎていた。
22回も優勝したのですからそれなりに実力はあったのでしょうが、誰にでも当てはまる事ですが良いところもあれば悪いところもあったのです。
矢張り事実は事実として認めないと・・・・今回も、何回言ったとしても仕方がないことを仰られています。
朝青龍戦はビデオに残っており御覧にになれば判る様にまだ駆け出しの頃は仰られるように手も足も出なかった。
怪我をした後の相撲ではがっぷり四つの互角の勝負だったが最後の土俵際の投げの打ち合いで体重に勝る貴乃花が勝っています。
しこの美しさで相撲を主張されても・・・・何度も指摘していますが、おいちゃんさんの言葉がすべて正しいなら相撲はスポーツでないことになりますよ。
>・・駐車とドーピングでも千代の富士関はとても噂になっていましたね<
31回優勝は一代年寄りの資格十分。名誉であるばかりで無く年寄株は売り買いや貸し借りが出来るので協会からの1億~数千万円程度の報奨金の性格があるのに千代の富士は断った。
断った理由は『一代年寄りでは死ねば無くなる』との不思議な理由ですが、何とも解釈に苦しむ不可思議。
唯で1億~数千万円の栄誉を称えてもらえる金を断ったには、断った誰もが納得する理由が存在するはずです。
貰うにもらえない誰にも言いたくない不名誉な理由(八百長試合とか筋肉増強剤)があると考えた方が納得がいくでしょう。
千代の富士以前にはあれ程までに筋肉が発達した力士は唯の一人も居なかった。
脱臼癖を稽古を励んで筋肉をつけて克服したとされているが、それなら昔の力士は稽古をしていなかった事になります。
ところが古い親方ほど昔の猛稽古を指摘して今の真面目に稽古しない弟子の力士を嘆いている。
ところが今の力士たちは一昔前の千代の富士ばりの凄い筋肉塊で肩の筋肉が盛り上げりすぎて首がある幕内力士などは一人も居ない。
今の薬物(筋肉増強剤)浸けの第一号は千代の富士だったのでしょう。
だから彼は責任を感じて一代年寄りの権利を自ら放棄したのです。
当時は、「自然な感情表現は八百長でないことの証明」と評価する声もあった。
それが批判されるようになったのは、やはり、小錦の頃からです。
今のおかしな批判風潮はほとんど小錦の頃から始まっており、今回の朝青龍でとうとう一線を越えてしまったのです。
>ブログ主さん
>何しろ、そうしないと今度の不思議な日本相撲協会の態度が説明つかないのですよ。
説明はこうでしょう。「今後とも外国人力士にのみ品格を求めるダブルスタンダードで行こう。それで国民をだませるに違いない」と思っているということでしょう。
そして、これはおそらく相撲協会の主体的な判断というよりはNHKなどの指導に追従してのことでしょう。協会はNHKには逆らえない。
実際、小錦バッシングをやり出したのは協会よりもNHKです。
外国人排斥の主体が相撲協会にあるのなら、そもそも各部屋とも外国人を入れなければよい。
高見山の頃にはなかった風潮がNHKによって作られた。
小錦の相撲に「わあ、すごーい」と感嘆したアナウンサーがとたんに実況から外されるという不思議なこともありました。
そして、この風潮に最初は批判的だった民放もいつの間にか同調していった。
かつて、自分で企画した紅白歌合戦を「ブルーコメッツ以外のグループサウンズは長髪なので出さない」と自分でつぶしたNHKが、大相撲にも似た論理を持ち込んでワヤにしたということです。
NHKには実力主義という概念がないのです。
土俵がサークルで
横綱はグランドチャンピオン(w
神事としての相撲を残すなら
日本人だけでやらなければ無理なんじゃないかな
十数億円親から貰っていたのに相続税を払っていなかった鳩山首相とか政党を潰しては政党助成金を何億円もネコババしていた小沢一郎とか発言妨害にしかならない罵声を間断なく行う自民党議員とか、今の日本国の偉い人に品格が無いのに、外国から出稼ぎに来ている20代の若者に品格を求める相撲ファンとは開いた口がふさがらない。
小錦北尾戦の一件は相撲協会のダブルスタンダード(外人イジメ)だと思いますが、今回の朝青龍バッシングは執拗で陰湿で限度を超えている。
相撲協会は悪質すぎる。
2年前のサッカーの仮病騒動ですが、無傷の五体満足な上位力士が殆どいない現実を知っているはずの相撲協会がマスコミ報道に便乗して処分している。
あれでは朝青龍が『仮病だった』と相撲協会が断定したことになる。
処分基準が可笑しいのですよ。
何か大事な事(知られては不味いこと)を相撲協会は必死に隠しているのでしょう。
日本相撲協会は、日本の多くのスポーツ競技の団体が加盟している日本アンチ・ドーピング機構(JADA)に加盟していません。
他には加盟していない団体はプロ野球ぐらい。
ちなみに日本プロ野球組織(NPB)はアンチ・ドーピング特別委員会なる自前のアンチ・ドーピング機関あって検査を実施してるらしいが、多少は(みんなには知られたくない)やましい事が存在しているのでしょう。
ドーピング検査は「日本アンチドーピング機構」(JADA)に加盟が条件のため未加盟の相撲協会が独自に行った08年の大麻の陽性反応のドーピング検査なるものが実に不思議なのです。
大麻の所持は犯罪になるが、陽性は何の刑罰もないのですよ。
そしてドーピングとは本来筋肉増強剤の有無を調べるものですが、これが発表されていない。
相撲協会の行ったドーピングを調べないドーピング検査とは、たこ抜きのたこ焼きか、餡のはいっていないどら焼きのような何とも不思議な代物なのです。
今回押尾学の時と同じで怪我をした知人男性が全く報道されないが、ひょっとしたら筋肉増強剤関係の知人なのかも知れないがこれでは絶対に発表できない。
小さな画面にはNHKの相撲中継がピッタリだったのです。
これは何やら、41年前の小型テレビなら何とか放映出来たアポロ11号の月着陸『最初の第一歩』が今では画像が酷すぎて放送出来ないのに似ている。
14インチ程度の小画面だと素晴らしいとなるが、今の大型画面では昔の小画面では判らない色々な事が見えてくるし、録画機の発達で今では誰でもが何度も同じ画面を見る事が出来る。
これも昔はテレビ局など一部の人だけだったのです。
無気力相撲(八百長相撲)なんかも何度も繰り返し画面を見比べればある程度は判りますし、ドーピング疑惑も矢張り昔の映像と比べれば判ります。大鵬人気でNHKの受信契約を伸ばしていたし大相撲は入場者を増やして双方が売り上げを伸ばしていた。テレビ(NHK)と大相撲は持ちつ持たれつ切っても切れない密接な関係が昔からあった。
プロレス界ではお笑いに特化した大阪プロレスの恵比寿っさんマスクなんかも有るらしい。
これからは大相撲も『伝統芸能』に特化した二代目大鵬や柏戸、双葉山の襲名や4代目若乃花襲名披露興行など世襲の元祖『相撲界』と、世界から有望選手をスカウトしている大リーグ形式の『本家』スポーツ相撲の二つに分化するべきでしょう。