逝きし世の面影

政治、経済、社会、宗教などを脈絡無く語る

「安倍首相研究」消された長兄と次男なのに晋三の不思議

2015年06月13日 | 政治
『意外に多いクリスチャンの日本国首相』不思議の国ニホン

米国では、先祖がアイルランド移民出身のジョン・F・ケネディが歴代アメリカ大統領として多数派のプロテスタントではなくて、アメリカの歴史上初めてでかつ唯一の少数派カトリック教徒だったことはアメリカ人にとっては大問題であり、この事実は無関係な日本人でも全員が知っている。
ところが対照的に我が日本国では最高責任者の首相が何教を信じているか、誰も興味が無い。アメリカとは大違いで日本国の国民は一切無関心なのです。
実は日本の首相は意外にもクリスチャンが多く判明しているだけでも信教の自由が侵害されていた敗戦前でも原敬首相がキリスト教徒。(敗戦以前の日本の首相は30人)
信教の自由が日本国憲法に明記された敗戦後の首相32人中で、吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫と、キリスト教徒の首相が7人もいるので、ほぼ4人に1人が西欧系キリスト教信者だった。(宗派は不明)
この事実をもっと欧米やアジア・アフリカ・中南米などキリスト教国に宣伝したら、日本を見る目が変わってくると思うが、外務省などまったく無関心である。(価値観の違いで東方正教のロシアを追放したG7ですが、日本を除けば全員がカトリックかプロテスタントの西欧系のキリスト教諸国)
この理由は簡単でニホン国の場合、キリスト教信者の首相とは言え、厳格な意味では欧米世界の『一神教』では無い。
何しろキリスト教信者の筈の麻生太郎首相が靖国神社に参拝して、中国韓国と大騒動を起こしている。
大平正芳も熱心なキリスト教徒だった。ところが嫌々靖国参拝を行うのですから、日本の場合には江戸時代だけでは無くて明治維新後にも隠れキリシタンの『踏み絵』の伝統が続いている。(我が日本国の『踏み絵』ですが『ガリバーの日本旅行記』に描かれるくらい有名)
基本的に本物ではなくて何かの擬装行為。現首相の安倍晋三ですが祖父の岸信介も実父の安倍晋太郎も韓国のキリスト教系の破壊的カルト宗教の統一協会(勝共連合)と深い関係にあったし本人自身も統一協会に祝電を送っていた。ところが九州の仏教系のカルト組織とも関係しているらしいから融通無碍で複雑怪奇。

『光市母子殺人事件の元少年と、安倍晋三との不思議な共通点』

18歳1ヶ月元少年の『ドラえもん』や『生まれ変わり』は差し戻し審で初めて弁護側から出てくる。(タレントの橋下徹が弁護士の懲戒請求を呼びかけマスコミの寵児に)同時期『国民的人気の』の枕詞で安倍晋三が政界のトップに躍り出る。
この二人ですが本物の知恵遅れ。ドラえもんは弁護士の創作では無くその程度の知能だった。
母子殺害事件のような未成年の場合、先ず優先されるのが更正の可能性で成長度合いが慎重に審議されるが、少年の生い立ちを一切報道しない。
死刑が確定して初めて少年の境遇がマスコミ語られた。不登校の理由は『僕が側にいないとお母さんが死んでしまう』だった。
少年と母親は父親からの凄まじい暴力に晒され耐えかねた母親が自殺。少年は父親から暴力と母親から近親相姦と両方からの虐待を受けていた、極限状態で自らの精神の成長を止めることで辛うじて生き延びていたらしい。
少年の経歴を読み上げたベテランアナウンサーは感情が高ぶりカメラの前で迂闊にも涙を流したが到底正視できるような成育環境ではない。

『マスコミが挙国一致で煽りに煽った死刑論議(意識的な誤報)』

光市母子殺害事件の元少年死刑は護憲左派政治ブログが取上げるが、マスコミの意識的な誤報(大本営発表)に影響されて、致命的な勘違いを全員で犯している。
『日本には終身刑が無い』『無期懲役なら半分ほどの刑期で出られる』と思い込み。
事実は検察の○特制度で仮釈放がほぼ無くなる。
現在は凶悪犯罪の場合刑期満了まで出てこれない弊害で超高齢者の囚人が刑務所に溢れ、監獄なのか介護施設なのかが判らない有様。
もう一つは永山判例に対する無知蒙昧。
未成年の死刑は違法行為であり、どれ程野蛮未開でも一人前でない子供の死刑は無い。
権利と責任は一体で、一人前の権利が無い子供は責任も無い。
以前は4件の別々の事件で4人を殺した19歳の永山則夫が1審で死刑だったが二審では無期に、最高裁ではもう一度逆転して死刑が確定。
未成年に死刑を宣告する基準(永山基準)がある限り、18歳と1ヶ月の少年で、しかも1回の殺人事件の光市母子殺害事件は逆立ちしても死刑にはならない。
マスコミとしては永山基準打破の突破口として扇情的に取上げられて大々的な死刑キャンペーンが行われた。
この時のマスコミの大嘘は目に余る。
我が日本国ですが敗戦の後一貫して少年犯罪も凶悪犯罪も激減しているが逆に増大しているとの大嘘で厳罰化を叫ぶプロパガンダがマスコミ総がかりで行われる。
マスコミの挙国一致のキャンペーは大成功し今では日本は100人以上の死刑囚で溢れている。

『事実を逆に描くマスコミの悪辣さ』

日本は戦後一貫して凶悪犯罪が減り近年は益々加速して去年には殺人が1000人の大台を割る。特に青少年の犯罪が激減している。
何と、マスコミでは正反対に元少年の殺人事件を延々と報道して、『日本では凶悪犯罪が増えている。少年犯罪は凶暴化していると』の、真っ赤な嘘の一大キャンペーンを全員で繰り返した。
マスコミ全員が寸分違わない誤報を繰り返した原因は政府の厳罰化プロパガンダであろう。
厳罰化は犯罪抑止の効力無く、社会が劣化し日本が右傾化しただけ。
マスコミの大宣伝した凶悪犯罪や少年犯罪の増加が真っ赤な嘘である程度は報道人なら誰でもが知っている。
ところが何故かマスコミは全員で事実とは逆の、真っ赤な嘘の大宣伝を行う。
『正しい』なら、全員『同じ』でも不思議ではない。
しかし逆の全員が同じ間違いを犯すなど、普通では有り得ない。
政府権力からの指図だったから同じ間違いになったが、これほど成功した低級でアホ臭い嘘八百のプロパガンダも無い。

『自民党政府とマスコミの二人三脚』

安倍晋三政権や産経読売など右翼マスコミが『朝日新聞の誤報』で『売国』だとか『非国民』だとかの大々的なキャンペーンを展開するが、当たり前ですが自分たちも今まで大量の誤報を行っている。
朝日バッシングの結果、購読数が劇的に減っているが、朝日を叩いた読売の購読数が朝日以上に減っている。
安倍晋三や右翼マスコミの朝日誤報キャンペーンですが、朝日の信用が落ちた以上に、マスコミ全体の信用度が劇的に低下してしまう。
我がニホン国ですが、世界的に見てマスコミの信用度は断トツであり純真な日本人は『マスコミ全員が同じ』だから『真実だ』と思っていた。
摩訶不思議な元少年に対する、殺せ殺せのマスコミの一大キャンペーンですが、マスコミの大宣伝と『現実』は180度正反対だった。
マスコミのデマ宣伝に便乗した厳罰化の結果、18歳1ヶ月の少年のたった1回の殺人でも死刑にする判例が確定。
永山判例が反古にされ死刑のハードルが劇的に極限まで下げられ、その結果死刑と無期のボダーラインの犯罪者が全員死刑になっている。
少し前なら年間1~3人程度だった死刑判決が今は数倍になり二桁の大台を超えている。
日本は凶悪犯罪自体は減っているのに死刑は逆に増え続けている。

『マスコミの扇動で不安を煽られ 国全体がヒステリー状態に』

本当は殺人事件では殺意の有無は一番大事だが、長崎県佐世保市の『人を殺して解剖したかった』との成績優秀な女子高生が学友を殺し日付は何と誕生日だったので刑事罰が課されることは無い。
刑事訴訟法で18歳を1ヶ月超過していたので死刑になった知恵遅れの元少年と、明確な殺意がある16歳に1日足らない少女と、今後どちらがより社会にとって危険であるか。論議するまでも無い。
社会にとって危険極まりないこの少女も神戸の連続猟奇殺人事件の犯人の元男子中学生も、名前も顔も報道されないし、二十歳を過ぎたころには普通の社会に復帰している。ところが、隣りに座っていても、誰にもわからない。
対して、光市母子殺害の知恵遅れの18歳元少年とか安倍晋三の場合にはマスコミの宣伝力によって出来上がった『怪物』であり、基本的にメディアのでっち上げた虚像(バケモノ)である。

『マスコミが主導した日本の病的な右傾化』

民主主義とは決して堅牢なシステムでは無くて、マスコミの扇動で簡単にファシズムに変化する脆弱性をもっている。
今の日本人の多くはマスコミの悪意ある不思議なプロパガンダ(嘘八百)を信じて死刑死刑の大合唱を行ったが、これ以上に亡国的な行為は無い。
今の極度に右傾化した日本の責任ですが、阿呆の安倍晋三の責任よりも、光市事件を利用して集団ヒステリーを誘発したマスコミの責任の方が大きいでしょう。
安倍はその『結果』であり、決して『原因』ではない。
安倍晋三ですが、中学生になってからも寝小便が治らないので夜中に母親代わりの乳母が起こして便所につれていっていたが、そのまま未婚の若い乳母の布団で寝ていたと言うが、これでは丸っきり光市事件の元少年と同じ生育状態である。
高校生になった晋三少年を父親の安倍晋太郎は『東大にいけ』と分厚い漢和辞典で何回も殴っていたと言うが、これも光市事件の元少年と同じ虐待である。

『マスコミの過剰宣伝というより、より正確にはテレビと言う映像メディアの虚偽報道』

光市事件では一二審は永山判例により、ほぼ自働的に無期懲役の判決を出していた、最高裁での審理の真最中に映像メディアのテレビが大々的な死刑の大合唱を行った。活字メッデの新聞は一切この騒動には加わらなかった。
テレビと言う、世論形成に一番大きな影響力がある媒体が挙国一致で大本営発表を行った意味は大きい。
光市事件では、現実とは正反対の真っ赤な嘘をテレビが垂れ流していたので低脳のネットウョの子供達が全員影響されただけでは無く、普通の市民までが真実だと信じ込んだ。
テレビの死刑キャンペーンにしても、その少し前に起きて、現在も進行中の北朝鮮バッシングも、映像メディアがニュース枠を使って決定的日本を悪くした。
今の病的な右傾化の原因ですが、間違いなくこの挙国一致のテレビのニュース枠のプロパガンダが影響した。
光市事件の元少年にしても北朝鮮にしても、母子二人の殺人とか日本人十数人の拉致は事実であるが(事件の当人にとっては大問題でも)1億2千万人を超える今の日本人全体から見れば小さい問題である。
ところがテレビが、正反対に一番大事な問題として延々と取上げて、世論を間違った方向に誘導する。
今の病的な右傾化ですが、これは当然の結果であり何の不思議も無い。




『Wikipediaの「安倍晋三」の不思議な記述』

電子辞書Wikipediaの編集が不思議すぎる。
安倍 晋三(あべ しんぞう、1954年〈昭和29年〉9月21日 - )・・
・・内閣総理大臣を辞職して期間を置いて再登板した事例は、1948年(昭和23年)の吉田茂以来64年ぶりとあるが、日本の主権は日本人(国会)では無くてマッカーサー元帥のGHQが握っていた全面占領下の話である。
首相を辞任してから再度首相に返り咲いた例は、唯一安倍晋三一人だけである。
しかも自分から下痢で政権を放り出したのですから、現在の安倍晋三の『首相返り咲き』は前代未聞の椿事中の椿事である。
Wikipediaの『安倍晋三』の書き込みですが、何故か読者を『明らかな間違い』に誘導するように、意識的に書き込まれている。
安倍晋三の父親の安倍晋太郎は、跡取り息子の長男に対して安倍寛信と命名するが、これは大政治家だった父方の安倍寛と母方の岸信介の二人の祖父から、それぞれ『寛』と『晋』の一字ずつ貰ったものだと考えられる。
晋三も父親から『晋』の一字を貰っている。ところが3人兄弟の次男として生まれているのに、何故か扱いが『三男』の晋三であった。(通常の例なら『晋三』では無くて晋冶か晋次、晋二郎である)
晋太郎の次男を『晋三』と命名された不思議ですが、子供の名付け方が何とも安直すぎるし明らかな手抜きである。
晋太郎の本物の3男(晋三の弟)が生まれて直ぐに子供が出来ない岸家に養子に出されて岸信夫となったことと関連があるのかも知れない。
しかし、このWikipediaの『安倍晋三』の一番の不思議は長男の『寛晋』(晋三の兄)の存在が完全に消されて居ることだろう。
親族の欄には 佐藤信彦(高祖父)安倍寛(祖父)岸信介(祖父)佐藤榮作(大叔父)安倍晋太郎(父)とあり、
兄弟の欄には岸信夫(弟)の名前しか書いていない。
以前のWikipediaには辛うじて幼い長兄の写真があった。ただし何の説明文も無く唐突に掲載されていたので裏事情を知らないと意味が分からない。
ところが、今は完璧に安倍晋三の兄の安部寛信の存在が消されていて、影も形も無くなっている。
今の安倍晋三首相にとって、余程長兄の『安倍寛信』の存在が都合が悪いのだろう。
安倍晋三の長兄が消されている原因ですが、別に安倍寛信が幼少期に死んだわけでは無い。
東大を卒業後に日本を代表する兵器メーカーの三菱に就職し執行役員や関連会社の社長を歴任して、現在も健在である。(三菱は日本最大の兵器メーカーであると同時に、東芝やフランスのアレバと並ぶ原子炉プラントの世界三大メーカーの一つでもある)




『安倍晋三と同郷の芥川賞作家田中慎弥の“宰相A”のグロテスクさ』(資料)

『安倍首相のモデル小説を出版! あの芥川賞作家が本人に会った時に感じた弱さと危うさ』LITERA

「(賞を)もらっといてやる」──『共喰い』(集英社)で第146回芥川賞を受賞した際にこんな発言をして注目された作家の田中慎弥。そんな田中の新作が、いま、話題を呼んでいる。

 というのも、話題の小説の題名は『宰相A』(新潮社)。タイトルから想像がつくかと思うが、このなかで描かれる“宰相A”のモデルが安倍首相ではないか、と見られているからだ。

『宰相A』は、ジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義国家を描いた、いわゆるディストピア小説。物語は、小説が書けないでいる主人公の作家が電車に乗り、母の墓参りに向かうところから始まるのだが、作家が辿り着いたのはアングロサクソン系の人間たちが「日本人」だと主張する世界。──第二次世界大戦後、敗戦国となった日本をアメリカが占領・統治を行い、アメリカ人たちが入植し、日本人は「旧日本人」と呼ばれ、監視された居住区で押さえ込まれるように生活をしている……そんなパラレルワールドのような“もうひとつの”日本を描いている。

 その世界で、旧日本人の反発を封じるために選ばれた首相こそが、旧日本人の「A」である。

〈緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象がある〉

 顔立ちといい、態度といい、どう考えても安倍首相を描写したとしか思えないAという人物。しかし、げに恐ろしいのは、Aが口にする演説内容だ。

「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。」
「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。(中略)平和を掻き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」

 現実の安倍首相は、ことあるごとに「積極的平和主義」という言葉を持ち出しては日本を交戦国にしようと働きかけるが、宰相Aはその未来の姿にも見えてくる。本来、平和学では、戦争がなく、差別や貧困による暴力のない状態を指し示す「積極的平和主義」という言葉を、いま、安倍首相はアメリカと協調し、軍事的に他国に介入する意味として使用している。現実の安倍首相が言う「積極的平和主義」とは、小説内のAが口にする「戦争主義的世界的平和主義」そのものではないか。

 このように、決して笑えない世界の姿を叩きつける『宰相A』。作品は文芸評論家からも高い評価を受けているが、一方で読者からは「話題づくりで安倍首相をモデルにしたのでは」という声も上がっている。

 だが、田中が安倍首相を小説のモデルにした理由は、話題づくりではないはずだ。それは、田中は以前より安倍首相に対して関心を寄せ、その強気の姿勢に危惧を表明しているからだ。

 田中が「週刊新潮」(13年1月17日号/新潮社)に寄稿した、『再起した同郷の宰相へ 弱き者 汝の名は「安倍晋三」』という原稿がある。題名にある通り、田中は安倍首相の選挙区である山口県下関市に生まれ育ち、現在も在住している。この寄稿文によれば、田中は地元のイベントで、一度、安倍と顔を合わせたことがあるらしく、そのとき安倍は田中に向かって本の感想を述べたのだという。

〈(安倍は)田中さんの本は読んだんですが、難しくてよく分かりませんでした、と言う。私は思わず、読みづらい本ですので、とかなんとか適当に返したように記憶している。(中略)面と向かって、よく分かりませんでした、と言うとは、ずいぶん正直な人だなと思った。怒ったのではない。(中略)作家としてはむしろありがたいくらいだった〉

 だが、田中が気になったのは、安倍の〈うつろ〉さだった。

〈私が顔を見ても安倍氏の方は視線を落として、目を合わせようとしなかった〉〈政治家っぽくない人、向いてない仕事を背負わされている人という印象だった〉

 このときの印象が『宰相A』での描写に通じていることを思わせるが、田中はさらにテレビ越しに見えてくる安倍の性質について洞察。〈いいですか、いま私が喋ってるんですから、などとどうしようもなく子どもっぽい反応を示す〉ことや、〈自分と意見が違うその人物をせせら笑うという不用意な顔〉を見せてしまうことを挙げて、〈これは、ルーツである山口県の政治風土の表れではないかと私は思う〉と述べている。

 しかし、こうした県民性以上に田中が強く指摘するのは、安倍の〈弱さ〉である。

〈相手をせせら笑う不遜と、私と会って目も合わせなかったうつろでオーラのない表情の落差。つまり安倍氏は明らかに、政治家としての自分を強く見せようとしている。強くあろうとしている。なぜか。安倍氏は弱い人間だからだ。強くあろうとするのは弱い証拠だ。だったら、あるがまま生きればいい。弱いことは、人間として決して悪いことではない。だがここで、血筋の問題が出てくる。(中略)祖父と大叔父と実父が偉大な政治家であり、自分自身も同じ道に入った以上、自分は弱い人間なので先祖ほどの大きいことは出来ません、とは口が裂けても言えない。誰に対して言えないのか。先祖に対してか。国民に対して、あるいは中国や韓国に対してか。違う。自分自身に対してだ〉

「戦後レジームからの脱却」と称し、安倍首相が憲法改正や自衛隊の国防軍への移行を主張するのは、自民党の意志でもある。だが、ここまで強気に進める理由を田中は〈そういう党の中にいる安倍氏が、偉大で強い家系に生まれた弱い人間だからだ〉と見る。そして、タカ派に分類される安倍を〈弱いのに強くなる必要に迫られているタカ、ひなどりの姿のまま大きくなったタカ〉と表現するのだ。

〈安倍氏が舵取りの果てに姿を現すだろうタカが、私は怖い〉──ここまで田中が憂虞するのは、政治的・軍事的な理由からではない。幼くして父を亡くしたことのせいか、田中は〈男性的でマッチョなものが、根本的に怖い〉のだという。男であることが不潔に感じ、〈何度も死のうとした〉ことさえある。そのときのことを〈死んでみせることで、周囲に強い人間だったと思わせることが出来るのだと、勘違いしたからだろう〉と田中は振り返るが、だからこそ、弱い自分でいることを許されない安倍は危険な状態なのではないか、と田中は案じるのである。

 この田中による指摘は極めて重要だ。安倍首相の強硬姿勢が彼の政治的信条に基づいた行動なのであれば、まだ議論の余地もある。だがそうではなく、安倍自身の血筋というプレッシャーや、本来のパーソナリティである弱さを隠すために過剰に強くあろうとして偉大な祖父が成し得なかった偉業に挑んでいるのであれば、それは暴走だ。しかも、こうした暴走への危惧は、きっと安倍首相には通じないだろう。なぜならそれを受け止めることは、自分の弱さを認めることになるからだ。

 自分の弱さを否定するために、戦争への道をひた走る首相。──『宰相A』で描かれた恐怖は、いま、まさに日本で進行している現実である。
(水井多賀子)2015/3/22 - リテラ

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2 コメント

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涙なしには語れない安倍晋三の悲劇 (宗純)
2015-06-14 16:56:01
十澄さん、コメント有難うございます。

安倍晋三研究なるものが週刊ポストで連載されているのですが、到底涙なしには語れない安倍晋三の悲劇が描かれている。これ、あの光市母子殺害事件の18歳1ヶ月の元少年とそっくり同じ種類の話なのです。
まあ、本当の悲劇は、漫画のドラえもんと現実の区別が付かない元少年と同じレベルの首相を持った日本人なのですが、それはひとまず置いておいて、
豚もおだてりゃ木に登るかもしれないが、幾らおだてても叩いても空は飛べない。
晋太郎ですが、ブタより悪い晋三を叩いて東大に行けると思っていたとした、修行して空を飛べると信じていたらしいサリン事件のオウム信者よりも酷い。
これ以上の児童虐待も無いが、晋三の不幸は子供を庇うべき母親の不在なのです。その代わりが教育係りの乳母なのですが、近親相姦だった光市母子殺害犯の少年と同じであったらしいのですから恐ろしい。
昔の10人もの子沢山のビンボウ所帯では、親のほうも名前を一々つけるのが邪魔臭いので、一郎だの二郎だとの、末男だと安直に、手抜きで付けた例は有るにはあるが、大金持ちで由緒有る名家の晋太郎が自分の次男にたいして、手間暇を惜しんで、晋三と命名したような例は無い。一つ上の跡取り息子の長兄とは差別しているにしても酷すぎるのです。
生まれた時点で差を付けたが、その原因が一切不明。何かが隠されているらしいのです。
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少年期は大事だ! (十澄)
2015-06-14 09:52:22
>高校生になった晋三少年を父親の安倍晋太郎は『東大にいけ』と分厚い漢和辞典で何回も殴っていたと言うが

こえぇー、まさに暴力親父!
祖父のことは言うのに、同じく大物政治家だった父に本人もマスコミも一言も触れないのはこれが原因か。
だってこんな親父は嫌悪の対象でしかないだろうし、そこに触れて機嫌を悪くされちゃたまらんだろう。
晋三を溺愛していると言われる母親は止めなかったのだろうか?
お勉強のできる兄貴らは白眼視はしなかったか?
いくら殴ったって罵倒したって、できないものは、できないのに!

特に男の子にとって少年期てのは大事だと思いました。
大人になってからいくら栄耀栄華を極めようと、少年期の欠落感や屈辱感てのは埋め合わせが利かないですからね…。

そういえばほかの奴にはのらりくらりの安倍晋三が、共産志位と対した時には少々ビビッていたような。
あの人もとがデカいし空手修めて体格もいいから、男くさい圧力を感じたのかも。
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