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『山本議員 弾丸入りの封筒受け取る』
『東京の郵便局員は弾丸と脅迫文の入った封筒を発見した。これは山本太郎参議院議員宛だった。共同通信が警察情報筋として伝えた。脅迫文では、「近いうちに」殺害する、と書かれていた。
先週、山本議員は同じような内容でナイフの入った封筒を受け取っていた。警察は関連を調べている。
これは11月初旬、山本議員が天皇陛下に福島第一原発に関する手紙を差し上げていたことが背景にある。』
とロシアの声(The Voice of Russia)が11月22日に報じている。
我が日本国ですが、誰も気が付かないうちに、何時の間にか日本国内のニュースが外国経由でないと駄目な国になって仕舞っています。
たぶん。特定秘密保護法が成立前ですが、実質的に『自主規制』と言う別の名前の『特定機密保護法案』が日本には、すでに存在していているのです。
『アントニオ猪木議員 1ヶ月の登院停止処分』
『議会の承認なく北朝鮮を訪問した』として、アントニオ猪木参議院議員を一ヶ月(30日)の登院停止処分とすることを参議院本会議は全会一致で決定した。
猪木議員はこれより先、所属する『日本維新の会』からは50日間の党員資格停止を言い渡されていた。
登院停止処分は最大限で30日と決められており、訪朝した猪木議員に対しては除名処分に次ぐ重い処罰が科されたことになる。
アントニオ猪木議員が日本と外交関係にない北朝鮮を今月初めに訪問し、61年ぶりの懲罰動議が共産党までが共同提案して本会議で可決される騒ぎになる。
ところが、アントニオ猪木が無断で北朝鮮を訪問したのではなくて、話は逆で、参議院の側が今までの慣例を無視して、北朝鮮への渡航を禁止した。
表面的には国会開催中の無断訪問であり、アントニオ猪木議員のほうに非があるように見えるが、議会側の方がより責任は大きい。
今国会は特別秘密保護法など重要法案が目白押しなのですが、一参議院議員どころか肝心の安倍晋三首相が何回も外国への友好訪問を繰り返して日本を留守にしていたが、議会側からは『一言』も何も言わない体たらく。
議会主義以前の、民主主義が崩壊の瀬戸際なのです。
アントニオ猪木は日本維新の会の副幹事長だったことは、本人が党員資格停止になるまで、知らなかったらしいが、維新の会も終りです。まあ『最初から終わっていた』との説もあります。
『ケネディ暗殺は50年前の1963年11月23日』
真珠湾奇襲攻撃は1941年12月8日だが、アメリカと日本は時差があり日米開戦記念日は1日前の12月7日の日付なのです。
新聞などは22日(金)がケネディ暗殺の日だとして50周年の記念記事を書いているが日本国時間では翌日の勤労感謝の日の11月23日(土)である。
当たり前ですが暗殺された50年前でも祝祭日で学校や職場が休み。しかも初めての衛星放送による世界同時中継のニュースがケネディ大統領暗殺の驚愕映像だったので、当時の日本人の大部分が目撃した大事件だったのである。
『暗殺で、伝説となったケネディ大統領の実像』
大統領就任3年目の暗殺事件と言う悲劇で、今ではケネディの名前は神格化されてアメリカ人の理想の大統領との神話は不動のものであるが、歴史的事実(真実)とは微妙に違う。
『汚い大統領選挙』
当時、現職の副大統領リチャード・ニクソンと、無名の新人ジョン・F・ケネディの対決。
今でこそニクソンは、嘘つきだの、策士だのと言われているが、当時はまったく違っていた。
当時の大統領はドワイト・D・アイゼンハワー。
第二次世界大戦の英雄で元帥。ヨーロッパ連合軍最高司令官。
辞任演説でさえもが歴史に残る、有名な『軍産複合体』批判演説である。
当時、世界の金の8割を所有して、アメリカが一番輝いていた時代の大統領、アイゼンハワー。その副大統領に39歳の若さで就任し、当時2期目の共和党のニクソンは飛ぶ鳥も落とす勢い。
討論会でもニクソンはその豊富な知識と経験で、経験不足のケネディを圧倒する。ラジオで二人の討論を聞いた有権者は、勿論ニクソンを選んだ。
ところが、なんと、テレビの視聴者はケネディを選ぶ。
何しろニクソンは貧乏人の生まれで悪人顔。対するケネディは金持ちの生まれで、いかにも品の良い坊っちゃん顔。見た目が勝敗を分けた。『人は見ためが9割』とのメラビアンの法則が働いたのである。
実力は無くてもケネディは、マフィアまで使った悪質な選挙違反の汚い選挙で何とか僅差で1961年1月20日に第35代大統領に宣誓就任した。
『1961年のピッグス湾事件』
しかし就任の直前1月3日に前大統領がキューバ経済制裁と対キューバ国交断絶というトンデモナイ置き土産を次期政権に残す。
大統領就任三ヶ月目の4月15日に偽装したアメリカ軍がキューバ軍基地を空襲、続いて17日にキューバのコチーノス湾(アメリカ側呼称はピッグズ湾)にCIAに雇われた旧政府軍人1500人が反攻上陸するが2日で壊滅する。
幾等CIAが後ろに控えて金をかけてもキューバ国民に完全に見放されたバティスタ独裁政権の軍隊が『勝てる』と考えるなど最初から可笑しい。
二年前に完全敗北して逃亡した旧政府軍が絶対に勝てないことぐらいは、世界一の情報機関であるCIAが気が付かない筈が無いのである。
当時、腐敗したキューバの旧政府関係者や麻薬業者、マフィア、がマイアミやニューォリンズに大量に流入して、現地の治安が極度に悪化していた。
ピッグス湾事件は、カストロ打倒は失敗したがアメリカは危険な武装集団を大量廃棄処分出来たので、結果的には、CIAの大成功と考える事も出来る摩訶不思議な事件であった。(亡命キューバ人のガス抜き?)
『1962年のキューバ危機』
キューバに建設していた核ミサイルサイロを理由に10月22日米国はキューバを封鎖。
ソ連との全面核戦争も辞さない『人類滅亡』をかけた、世に言う『キューバ危機』、狂気のチキンレースをケネディは始めてしまう。
チキンレースに勝つためには、正気は邪魔で、常識とか良識が少しでも有った方が負けると言う法則がある。
ソ連のフルシチョフに少しだけ良識が有ったと見えてアメリカにソ連が屈服して人類滅亡だけは寸前で食い止められた。
今のアメリカの歴史教科書では、ケネディの毅然とした態度が勝利を呼び、正義がかなえられたと教えているが、『作る会』のアホ教科書の方が、よっぽどマトモである。
今でも北朝鮮は毅然としているが、イラクのフセインも旧ユーゴのミロセビッチも毅然としていた。日本の東条首相も毅然としていたが、日本中を焼け野原にした挙句に大日本帝国を崩壊させている。
肝心な時に毅然としていなかったソ連のフルシチョフのお陰で、我々人類は今でも文明生活を送っていられるのである。
優柔不断で根性無しだったが、正気が少しはあった今は亡きフルシチョフに感謝。
『1963年、運命の11月22日(日本時間23日)』
ケネディはキューバ亡命組織の多いニューォリンズに近い危険が予測されたテキサス州ダラス市内をオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺される。
初の日本とアメリカ間のテレビ中継実験(衛星通信)を通じ、日本にも暗殺場面が同時中継放送され大騒ぎとなる。
ここでもキューバとケネディの不思議な因縁が暗殺事件に色を添える。
現行犯でもないのに即座に、ケネディ暗殺2時間半後には地元ダラス市警が映画を観劇中のオズワルドを容疑者として逮捕する。
二日後には、その警察署の中で組織犯罪準構成員ジャック・ルビー(本名:ジャック・ルーベンシュタイン)に射殺される。
当時のマスコミ発表によると、オズワルドは、
1)元海兵隊員で、射撃の名手。
2)ソ連に亡命して、ロシア人と結婚。
3)ニューォリンズでカストロ支持のビラを撒き、亡命キューバ人といざこざを起こして新聞種になる。
4)暗殺直前にメキシコのキューバ大使館で旅券(亡命?)申請をしていた。
5)暗殺で使用されたカルカノライフルを通信販売で購入。
6)カルカノ銃と左翼雑誌を両手に持って記念撮影していた狂信的左翼過激派。
7)ケネディ暗殺直後にパトロール警官を射殺して映画館に無賃入場。
当時の平均的アメリカ人たちとっては、これ以上無いほどの『理想的犯人像』であるオズワルド。
犯行を疑うものは、唯の一人もいなかった。
『76年間封印されたケネディ暗殺の真実』
新興財閥の御曹司のケネディはアメリカの歴史上初めての、そして唯一の非プロテスタント系の大統領となる。
最も若い(43歳)選挙で選ばれた大統領であり、アメリカの歴史上一番最後に暗殺された大統領でもあった。
因みに最初に暗殺された大統領はリンカーンである。
ケネディ暗殺の証拠は、暗殺時に副大統領であったジョンソン大統領によって事件から76年後の2039年まで封印されてしまい、暗殺の全ての真実はアメリカ自身によって闇のなかに隠される。
今から26年後に果して全証拠が開示されてケネディ暗殺の真実は明らかになるのであろうか。
それともアポロ11号のビデオのように絶対に無くならない筈の人類の遺産が、いとも簡単に紛失したように『存在しては不都合なもの』は何時の間にか存在しなくなる運命なのだろうか。
『去る者は日々に疎し』
完全に謎が解明されないで多くの研究者によって色々な仮説が論議されているものにケネディ暗殺がある。
ケネディ事件では、通説(ウォーレン委員会公式報告書)と陰謀論(多くの研究者の論文)の立場が完全に逆転している。
ウォーレン報告を、肝心のアメリカ人が全く信じていない。アメリカ下院議会さえも信じていない。
今や、通説(ウォーレン報告書)を支持しているのは、アメリカの政府とマスコミだけの極少数派集団と言う情けなさ。
ケネディ暗殺事件では、アメリカのウォーレン委員会が、組織的な背景の無いオズワルドの単独犯行であると断定し、ジョンソン大統領の命令で2039年まで、すべての証拠の公開を禁止される。
事件当時に二十四歳の青年でも100歳になっている。
大事な外交機密文書でも原則、30年で公開してしまうアメリカ。
アメリカ政府によって事件が、2039年まで封印された事実が、如実に、ウォーレン報告書『組織的背景の無いオズワルドの単独犯行説』を、アメリカ政府自らが完全否定している結果になっている。
単独犯による単純な刑事事件なら76年間の封印は無い。
必死になって隠すが、隠せは隠すほど、ケネディ暗殺は、オズワルドの単独犯行のような単純な刑事事件ではなく、巨大組織の背景(政府の影)が嫌でも見えてきてしまう。
アメリカ市民のほとんどが政府報告者をまったく信じていない。しかし同じ市民が2039年の証拠の全面公開を望んでいない。政府が大統領の暗殺に関係していた事実(不都合な真実)を知りたくないのである。
ケネディ暗殺を通信衛星の生中継でリアルタイムで見ることが出来た。
アポロ11号月面着陸のお馬鹿映像も生で見たし9・11事件の摩訶不思議な映像も見た。
ハードルは高いが『誰が犯人か』『自分の予想どうりか』、最後の結末も何とか見たいものである。
当ブログではタイトルや名前の無いか、あっても通りすがりとか日本人の一人のような個人を特定していないHNでのコメントは不掲載とするローカルルールを設けています。
残念ですがタイトルや名前が無いままでは掲載出来ません。
政治ブログとして、今まで『逝きし世の面影』は数々の擬装や悪事を暴いた関係で、多くの熱心な読者も獲得することが出来たのですが、ところが逆に恨みに思って仕返しの機会を狙っている悪党連中も大勢いる。
仕方が無い話なのですが、今まで隠されていた大事な事柄を書くと、沢山の敵も生まれてしまったのです。
摩訶不思議な科学教の教祖の阪大の菊池誠の狂信者とか、集団ストーカー紛いの悪事を働いたkojitakenなどは、今でも何とかして足を引っ張ろうと必死なのですよ。
『逝きし世の面影』は、毒にも薬にもならない無害な実名ブログとは大違いで、『今までが間違っていた』(お前達は間違っている)とのオルタナティブな立場のブログなので、ローカルルールの遵守は致し方ない処置であるのです。
次回のコメント投稿時には是非ともご協力を御願いいたします。
大手メディアでは朝日よりも毎日新聞が面白い記事が見られます。記事自体は同じだが毎日が外部の識者の意見を載せるからですね。これらの全国紙よりも地方紙の方が縛りが緩くて良心的な記事が見られるが、孫崎 享 が指摘しているようにプレイボーイとか日刊ゲンダイのようなエロ系の方が規制が緩くて、その分、良い内容が読めます。大手ほど自主規制が凄まじいので真実が書きたくても書けないのです。
その日の夕方16時頃、東北新幹線仙台駅のホームはものものしい警備がされていたそうです。
偶然乗っていた佐藤宗幸ではなく、キャロライン大使が新幹線に乗っていたからです。(以上は乗り合わせた同僚の話。決して警備課に勤めている人からの話ではありませんヨ)
前乗り、というものですね。
本日11月25日月曜日、キャロライン大使は松下政経塾出身元防衛大自衛隊の村井知事と会談し、被災地訪問をしたみたいです。
そうしたら、夕方のニュースで小泉進次郎が南三陸の防災庁舎(津波被害のシンボリックな震災の建物)へ来ました、と。
タイミングは偶然ですかね?
従米の親の遺伝子が騒いだんでしょうかね。
追いかけるように、この日は福島で特定秘密保護法案の公聴会が開かれ、明日は東京で特定秘密保護法案が衆議院を通過しようとしています。
キャロライン大使、明日は岩手へ訪れるそうですが。
大使着任後初めての、一番最初の地方視察が東北だった事実はじつに象徴的な出来事で、大事なのですが、
キャロライン・ケネディ新駐日米大使は11月21日、
着任後初めて在日米軍横田基地(東京都福生市)を訪問した事実はもっと象徴的です。
この、米軍の横田基地内には、日本の空自の総隊司令部が昨年3月に同基地内に移転しているのですが、ケネディ大使は此処も訪問している。
評判の悪いオスプレイですが、オバマ(アメリカ)は去年に反対を押し切って日本に配備しています。
3・11での米軍のトモダチ作戦に参加した空母は100キロも離れていたが、それでも乗員から放射能汚染で訴えられているのですよ。
オスプレイなら輸送ヘリの倍の安全な距離からの救出が可能なのですね。
アメリカに限らず大使の一番大事な仕事とは、平和憲法のある日本人では全員が忘れているが『自国民の保護』ですよ。
米国人の日本脱出では、日本人を安心させる(パニックを起こさない)目的では駐日大使はケネディ元大統領の娘のキャロラインが一番だとオバマ大統領が思った可能性が高いのです。
ダイアナと同じで、アメリカの持っている最強の『切り札』がお子様言葉のキャロライン・ケネディなのです。