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「日韓併合」を今問い直す 

2022-12-11 11:22:27 | 日記

「韓国併合」を今問い直す意味とは何か?

書店には韓国情報の本があふれている。嫌韓本もあるが、多くは世界最先端とされる映画、音楽、アイドルなど。人気のグルメや伝統料理を紹介した本も多い。  しかし本書『韓国併合』(森万佑子、中公新書)は「まえがき」で、「なぜ日本の植民地になったか」という日韓の根本問題について書かれた一般向けの本はほとんどない、と記す。歴史学者による韓国併合についての日本の本は、1995年以降刊行されていない。  「その後併合以前の新しい史料が出てきたので、それが執筆の動機ですか?」

「それもありますけど、私の専門が地域研究としての朝鮮半島なので、朝鮮側の動向を彼らを主体に描いてみたかったんですね。これまでの本は皆、日本が主体でしたから」  朝鮮半島は1910年8月から45年8月まで35年間、日本の植民地だった。  その前は、朝鮮王朝が500年以上続き、1897年10月に最後の国王・高宗が皇帝に即位して、国号を大韓帝国と改めた。

13年間続いた大韓帝国

従って、1910年の韓国併合まで大韓帝国は約13年間継続したことになり、本書は主にその時代に焦点を当てている。  「日本の近代化は明治維新で一挙に欧米列強型の『条約体制』へ移行しますが、朝鮮の場合は長い間『条約体制』を拒絶しますね?」  朝鮮は中国を中心とする中華秩序の中にあり、長期間「朝貢体制」に馴染んできた。  中国皇帝に貢ぎ物を捧げることにより国王として冊封(任命)される、という儒教的上下関係である。宗主国に朝貢すれば「属国」だが、内政・外交は自主的に行うことができた。

そのため1876年に日本と日朝修好条規を締結した後も、「属国自主」を掲げた。  「朝鮮には、自分たちこそ明朝中華を継承しているという自負があったんです。小中華思想といいますか、女真族出身の清ではなく、朝鮮こそが正統な儒教を受け継ぐ国だ、と」  日清戦争で日本が勝ったことにより、下関条約(1895年4月)で「朝貢体制」がなくなり、朝鮮は「条約体制」だけに属することとなる。  だが、高宗や政府は議会開設を望まず、高宗は中国に倣って皇帝に即位した。  「わからないのは、日清戦争後に独立協会による朝鮮国内の大きな近代化運動があって、森さんの表現では、『大韓帝国が近代的立憲君主制になる道が開かれていた』のに、高宗や政府に弾圧、解散させられたことです」

近代化の中心となった独立協会は1896年7月に結成。(漢文ではなく)初めてハングルによる新聞を発行し、独立門や独立館、独立公園を制定して民衆の「国民」意識を啓蒙し、さまざまな内政改革を提案。組織を全国に展開して議会開設を要求した。  だが、独立協会が「帝国」と「皇帝」を認めたにもかかわらず、高宗や守旧派大臣らは急速に態度を硬化させ、対立、弾圧に至った。  「独立協会など近代化勢力は、都市の富裕層や知識人主体で、民衆とは隔たりがありました。それに、近代化のモデルが日本だったため、反発も強かったんです。そして何より、高宗自身の皇帝専制への意志ですね」中略

日本と韓国の歴史学の違い

日露戦争(1904年~5年)前後から日本は本格的に韓国保護国化を企て、第2次日韓協約(05年11月)によって外交権を掌握、英・米に韓国の保護国化を承認させた。  「このすぐ後、日本は韓国統監府を設置して内政も支配し伊藤博文が初代統監になるわけですが、韓国が主権国家でなくなった第2次協定にも伊藤が登場しますね。特派大使として高宗や大臣らに会い、その際に脅迫や迫害があった。だから協約や保護国化は不法、というのが現在の韓国側の主張ですね?」  「そうです。不法であり無効だ、と」  「だから〝極悪人〟伊藤は韓国で憎まれ、1909年10月に伊藤がハルビンで暗殺されると犯人の安重根が〝英雄〟になる。でも伊藤は本当に韓国併合を望んでいたんでしょうか?」

近年、伊藤に関する新しい史料も現れた。  「伊藤は自由主義的な政治志向だったと思います。完全に併合して植民地化すると、日本に膨大な財政負担がかかってしまう。それは避けたい。保護国として、韓国人自身が進んで近代化に協力してくれるのがいい、そう考えていたのでは。近年、進展している伊藤博文に関する日本史研究を見ると、『併合のブレーキ役』としての伊藤の像が浮かび上がってきます」

ところが伊藤の辞任後、抗日の義兵運動の盛り上がりや統監政治の行き詰まりにより、日本は一挙に韓国併合へと動く。韓国併合条約締結は1910年8月だった。  終章では、韓国併合に至るまで日本と韓国の間で結んだ5つの条約・取り決めについての、日韓双方の最新の見解が並べてある。  「これを読むと、両国の歴史認識の違いがいかに大きいかわかりますね?」

「日本の歴史は史料に基づいた史料第一の実証史学ですが、韓国は違います。民族史学が優勢です。今の韓国にメリット、だからこう考える。歴史教育は、そんなナショナリズム涵養の領域なんです」  史料の相互検証ができないことも問題だという。日本には膨大な公文書や日記があるが、韓国側にはほとんどない。国王が「上疏」(下からの助言)を受け、何度も断わった末に決断する、という旧来の政策決定方法なのだ。  「歴史論議はどこまでも平行線?」  「平行線というより対話自体が困難です。けれど少なくとも本書のような経過があったことは、日本の人たちに知っておいてほしいです」  現在、森さんの下には韓国での翻訳・出版の話が来ているとのこと。順調にいけば来年(2023年)になる予定だ。  「嬉しいですが、ちょっと恐い(笑)」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8bd575b9f3c23401e5288f8e446405d6f24b402

https://news.yahoo.co.jp/articles/b8bd575b9f3c23401e5288f8e446405d6f24b402?page=2

漫画家の黒鉄ヒロシ氏は伊藤博文暗殺犯の安重根ら数人に伊藤の取り巻きを含め数十発の銃弾を受け死亡したが安重根の銃は簡単に手に入るような銃ではなかったらしい。そして伊藤がハルピンにいると言う情報を安は知ったかなど最も不思議なのが安の銃弾には弾頭に十字の切込みがあったが伊藤の体にはそのような弾丸はなかった・・。要するに韓国が英雄と祭り上げる安重根は本当に伊藤を殺害した犯人ではないのでは・・と黒鉄氏は執筆している。

韓国の歴史は1945年から始まったと私は思っている。李氏朝鮮以前の朝鮮王朝から李氏朝鮮までは朝鮮人の殆どが人間として見られていなかった。清の属国として朝貢を続け清の皇帝の使者がくれば九叩三拝(頭を地にこすりつけて、土下座して謝罪)をして迎えなければならなかった。そのような属国だった朝鮮が大韓帝国として存在するには日本にすり寄るしかなかった。日本としてもロシアの南進で目と鼻の先にロシアがくれば脅威その者であったに違いない。ならば朝鮮王の話に乗ったのが国民の一部は清に逃れ朝鮮政府をつくり日本に併合されたことに反対していた。まあ伊藤が殺害される前には朝鮮併合は閣議決定していたと言うからどっちにしても併合は未来の日本国民には迷惑だったことになる。原人そのままの暮らしをさせておけば慰安婦や徴用工に植民地などと言う戯言はなかった。ただロシアが・・・ どっちも嫌やな~。

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