ようこそ
ブログを初めて一年が経過した。改めて「人生晴れたり曇ったり」の冊子を読み返した。辛かった事。悲しかった事。怖かった事。嬉しかった事。などが走馬灯のように甦る。
初めてガンの告知を受けた事。初めての入院を体験した事。初めて手術室に入った事。初めて手術を受けた事。ICUと言う集中治療室、HIUと言う機能回復室に入院した事。治療に関する多くの自己決定を迫られた事。死の恐怖を体験した事。など数えれば切がないくらいの「初めて」を体験した。
こんな初めて尽くしの体験から、もしも今後に同じ事が起こっても、おそらく恐怖心は半分になるだろう。良くも悪くも大変な体験をしたものだ。
中でも一番辛かったのは、やはり二回目の手術の時だ。あの時の辛さは、この度の4度の手術の中でも最高に辛く苦しかった。「本当に回復するのだろうか」とさえ思える辛さだった。
こんな状態が続くのなら、「いっそ死んだ方がましだ」とさえ思えた。
本当に術後一週間の恐怖の体験だった。
どの手術も辛さの無い手術や恐怖心の無い手術はあり得ないが、特には2度目の手術は本当に辛かった。今振り返ると、わずか一週間の事なのだが、当時はこの状態が、ずっと続く様な思いであった。
簡単に「ガン」と言うが、再発や転移の事を思うと、やはり恐ろしい病である事に違いは無い。仕事柄、葬儀社にも出入りする機会は多いが、喪主様の挨拶では、故人のガンの闘病生活を語られる人が増えた。一昔なら「老衰」と言う診断であったものが、医療技術の進歩によって、病名を確定させる事が増えたと考えられる。統計や今後の医療に生かされる為でもあるのかも知れない。90歳を超えた故人様でも病名がつく。
しかし、この闘病体験によって、懐かしい大学時代の友人にも数多くお見舞いに来ていただき、再会するする機会を得た。こんな事がなければ、皆さん私の地元に居る訳では無いので、おそらく今後会う事は無かったであろう。これも「不幸中の幸い」だ遠くは、沖縄にほど近い沖永良部島から駆けつけてくれた友人もいた。
何ともありがたい事である。
母親の実家である大阪からも二組の叔父さん叔母さん夫婦も高齢をおして駆けつけてくれた。
兵庫医科大に入院中は、京阪神の友人が沢山お見舞いに来てくれた。こんな事がなければ、今後も再会する事は無かったであろう。
来月の7月には、私も63歳を迎える。63年間の内の僅か2年間の出来事であるが、とてつもなく大きな出来事であった。生涯忘れる事はないだろう。
では又ね
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