人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

穏やかな日々

2019年03月07日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

ようこそ

久しぶりに更新します。

手術の後遺症は残ったものの、最初のガン告知の大病から早4年が経過した。今では当時の闘病生活を忘れるくらいに日々元気に穏やかな生活を送っている。

日々の生活で特に不便を感じる事も少なく、健常者と変わりなく仕事もこなしているが、最近は年のせいか後遺症なのか分からなくなってきましたので、もう少し薬を減らしてみようかとも考えています。

私の同居している義母も86歳だが、軽い脳梗塞が見つかり一時は歩くことも出来ずの状態が、半月ほど続き心配したが、今はすっかり元気になり自分の事は自分で出来るほどに回復した。難聴の障害を持っているが、読み書きが好きで新聞は全部読み、テレビも好きでイヤホンを耳に当て、ボリュームいっぱいで楽しんでいる。いつも口癖で「人に迷惑を掛けずに楽に死ねたら」と言うが、まだまだ元気だ。

多くの人が「健康寿命」を気にするようになった。今日はネットで、透析を中止し亡くなった女性の記事を見つけた。主治医との相談の結果らしいが、亡くなる前日には治療を継続したいとの意思表示をして、治療方法の選択が正しかったのか問われている。本人は亡くなっているので遺族である夫の意志によって、報道されたようだが、本当に辛い時には私も死にたいと思った事が何度かあったが、私の場合は余命を宣告された訳では無く、ただ苦しさや辛さから逃げ出したかっただけであるが、初めて死ぬより辛い事苦しい事がある事を知った。

彼女や主治医の治療の選択方法が正しいのかどうかは、私には分からないが、安楽死を肯定している人でも時として、現実の瞬間は悔やまれるものである。特にこの度の彼女は40代と言う若さで有るが故にも悔やまれて、看病する夫自身も自責の念に駆られたのではないだろうか。

私も60そこそこの母親を半年間、病室に寝泊まりして看病した経験があるが、余命の宣告通りに半年後に亡くしている。壮絶なガンとの闘病生活を共にして、夫である父親の延命治療の中止に素直にうなずいた。結果的には、家族の十分な看病を始め大勢の方のお見舞いに感謝し、早く楽にしてやりたいと思い、何の悔やみも無かった事を思い出す。

残された遺族の思いも、またそれぞれである。遺族とはそう言うものである。この思いは、あくまで私の体験した母親への思いである。24時間約170日間の個室病棟での付きっ切りの看病の体験からである。

文面を不快に思われた方が居れば、お詫びしますが、私の個人的な思いですので、ご容赦ください。

では又ね

↓ランキング

カニ料理 兵庫城崎温泉おすすめの/Kinosaki Spa&Garden 湯楽