ようこそ
今日も決まった様に給食弁当の配達を12時に終えて、昼食の休憩に入った。昼食は、社員全員が、当日の自社製造の給食弁当を食べる事に決めてある。それは、味付けや材料ばかりでは無く、メニューの変化にも気を配る為だ。自分が食べたくない食事は、お客様も食べたくないからに他ならない。それと食中毒の試食としての目的もある。
さて、ある人が6年間の闘病生活の末に肝臓がんで亡くなった。吐血をされて緊急入院されたようだが、既に余命わずかな状況であったと聞く。手術や先進医療の治療の結果、ガンが消え見事に復帰され、奇跡とまでの噂が広がった。しかし、その後も入退院を繰り返されて、今年の初めには大量の吐血を2回されたと聞く。
私も4回の手術を経験して、一番辛かったのは、2回目の膀胱、前立腺、精嚢、尿道の全摘出手術に加え、尿路変更の為に腸を30センチほど切り取り、膀胱の代わりとする大手術の時だった。これは今から4年半前の出来事である。死ぬかもしれないと言うより、死にたいと思えるほどの辛さであった。
「この辛さは何時まで続くのだろうか?」と孤独感にも苛まれ、深夜に5程入っていた点滴を抜こうと思った時に巡回の看護師さんに見つかり、一命を取り止めたが、もしあの時抜いていたら今が無かったかもしれないが、それくらいに辛かった。
そして、4回目の手術である。病名は「悪性胸膜中皮腫」と言う極めて悪性度の高い難病のガンである。この時は、術後の辛さより、病名の怖さだ。主治医の先生の説明でも極めて悪性度が高い。
身体的な辛さでは無く、今回は「死の恐怖」で精神的な辛さだ。手術前には抗がん剤治療も3クルー受けたが、とうとう軽い「うつ病」を患い、精神科を受診する羽目になった。
人は、生きている事を願い、生きている事こそ幸せであるかのように考える節があるが、体験者の私には、必ずそうとも限らないと思えてならない。勿論、「死」を肯定するつもりは、さらさらないが、本当の辛さは「本人しか分からない」と思うからである。
先の亡くなった彼も、この闘病生活の6年間は本当に幸せだったのだろうか医者は、本能として延命の為の治療を優先すると聞いたが、状況にもよるが2回目の手術の辛さが、もし続く様であれば私は終わりにしてほしいと考えている。
健常者は、健康で楽しみや夢がもてるから、長生きしたいと思うだろうが、その可能性が無くなった時にでも、同じように思えるだろうか寝たきりで、酸素吸入しながら胃瘻で食事を取り、身動きもままならず、見える風景は天井ばかり。昼なのか夜なのかも分からい。私は、そんな長生きは遠慮させていただきたい。
今は、私も普段の生活で困る事もほとんどないくらいに回復しているが、いつ何時にも再発や転移が襲ってくるかもしれない恐怖心は常に持ちながらの日々である。
今日も多くのガン患者さんが苦しんでいる事と思いますが、皆さんはいかがお考えでしょう。
好き勝手を書きましたが、私の個人的な体験者としての思いです。気に障る方がいらっしゃれば、お詫び申し上げます。ご冥福をお祈りします。
では又ね
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