人生晴れたり曇ったり

「辛酸を嘗めた私の闘病日記」2年半の闘病生活の峠を越え、その後の元気な日常を画像を加えながら不定期ですが書いています。

辛酸をなめた私の闘病日記全20章(第5~7章)

2017年06月01日 | 冊子(人生晴れたり曇ったり)

第5章

一回目の手術の開始

手術の前日22日に手術の準備を進め、電子メスによる摘出手術で、手術時間は約2時間と聞かされていたが、夜はぐっすりと寝付きも良く熟睡し、初めての手術にしては、比較的穏やかな朝を迎える事が出来た。

当日の朝は、家内と兄に見守られる中で、8時45分に手術室へ向かった。

手術室はテレビドラマで見るような異様な光景で、スタッフは主治医を含め4名で「いよいよか」と腹を括り手術を待った。

下半身麻酔と言う事も有り、意識もほぼ有ったように記憶しているが、当然の事ながら手術に伴う痛みは皆無で、約3時間の手術を無事に終え、待ち受けてくれていた家内と兄に再会した時は、緊張感もほぐれ「やっと終わった」と言う安堵した爽やかな気持ちになった事を覚えている。

栄養剤の点滴など2本の管に繋がれ、いかにも入院患者らしい趣になった。その後、主治医の先生より手術の経過説明を3人で聞き、順調に手術が終わった事の報告を受けた。

報告では、「膀胱内の悪性腫瘍と疑わしい個所は最大限に深く削り取ったので、これ以上に腫瘍が深く浸潤していなければ、これで手術は終わりですが、前立腺に少し赤みを帯びた斑点が見つかったので、それも検査の為に切除しました。

結果は、4月1日の外来時に報告します」との事であった。

手術の3日後の26日に退院許可も出て、帰宅する事になったが、この期間中も「ほーゆー本店」の責任者である田中店長より、メールで会社の営業状況についての報告は受けていたので、仕事の事を気にする事も無く、治療に専念する事が出来て感謝している。

帰宅後は、全く痛みも無く排尿も以前に戻り「あぁ・・・これで終わった」と安堵し、少しずつ会社にも出勤しながら、今回の大事に終止符が打たれた喜びに浸り、これから先に知らされる事になる検査結果の更なる悪夢の事など疑う余地も無く、何事も無かったかの如く、以前の様な穏やかな日々を送っていた。

 

第6章

一難去って、また一難

それから数日後の指定された4月1日。何の不安も無く、それこそ笑顔でスキップしながら家内と豊岡病院へ行き、前回の検査結果を待つ事2時間。

まさかこの様な最悪の検査結果の報告を受け様とは思いも寄らず「一難去って、また一難」である。

結果の報告は、「膀胱ガンの浸潤が深く、削り取る手術の限度を超えている事。

疑いの有った前立腺にも転移が激しく尿道と精嚢も含めて、これらを全摘出する手術が早急に必要です。

連休を控えていますが、その前の4月14日に入院し17日に手術を実行します」との事で鳥肌が立つ中、早速に手術用の採血400ccを保存。

残りの400ccは後日4月8日の採血と決まり、合わせて800ccの輸血用の血液を保存する事になり、「奈落の底」に突き落とされた心境であった。

予期せぬ病状に大きく動揺したが、既に「まな板の鯉」である。直ぐに気持ちを取り戻し、冷静に現状を受け入れる覚悟を決め、「断腸の思い」で再手術に備える準備をした。

比較的小さい手術とは言え、数日前にも経験した事もあり覚悟を決めるのに、それほど多くの時間は要しなかったが、痛くもかゆくも無く、何不自由なく過ごしていたので、手術当日が「早く来てほしいような、来てほしく無いような」複雑な心境で、当日の4月17日を待った。

 

第7章

二回目の全摘出手術

いよいよ再入院の4月14日、前回と異なり4階の2人部屋に入室したが、今回も窓際の見晴らしの良い環境の病床となった。2人部屋と言う事で理由は分からないが、前回より少し事の大きさを感じたが、深い意味は無かったかも知れない。

今回は、4月17日の手術前日の昼食より食事制限も掛かり、下剤や2リットルの胃袋洗浄剤を飲み、飲料制限が掛かるなど、前回とは比較にならない位の大げさな手術前の準備となったが、それでも前回の経験からか、夜は8時間ほど熟睡し、手術に備える事が出来たのは、不幸中の幸いであった。

事前の主治医の説明では、膀胱、前立腺、精嚢、尿道を全摘出し、腸を約20センチ切り取り、これに2か所の穴を開けて、尿路変更を行い、膀胱の代役となる人工膀胱を取り付け、人工膀胱の腸の片方は、お腹に穴を開け外に出し、ストーマ(袋)に受けて尿を排出する大手術で、約10時間の手術と聞かされた。

この手術の代償として、男性機能や膀胱機能(尿を貯める、尿意を感じる、尿を排出する)は、失われるとの身体的な後遺障害も聞かされたが受け入れた。

他の手術方法の説明も受けたが、術後の生活の排尿が複雑で、今後の自分の人生で痴呆や認知症の発病の事を考えると、不都合は有るが、一番シンプルで安心な今回の手術方法を選択した。この時点では、先の余命の事は何も考えず、生き延びるものだと信じていた。

そして向かえた手術の当日、前回同様に家内と兄に朝8時45分に見送られ、手術室へと入室したが、今回は数日前の手術の経験からか、見慣れた光景に大きな動揺も無く、全身麻酔による効果で瞬時に意識が無くなって、術後の目が覚めた時には辺りは暗く、時間の経過をそれとなく感じていた。

個室の病室に搬送されていた様だが、今現在を以って終わった時間や、待っていてくれていただろう家内や兄を思い出す事が出来ない放心状況で、後日に家内から兄の手配でユラクの社長(甥)や女将(義理姉)、子供達や「ほーゆー」の田中店長など大勢が駆けつけてくれたと聞かされた。

特に兄には深夜まで自分の事のように心配し、苦悩の顔を見せていたと聞き涙がこぼれた。

結果的には、約10時間を超える「生身を削る」大手術で、主治医や担当医師、麻酔科の先生、看護師さんら10名体制の泌尿器科としては、最大級の手術で有ったと聞かされ、ようやく事の大きさに気付いた。

術後の経過説明では、家内と兄が立ち会ってくれ、摘出した臓器の現物や経過、手術結果などを詳しく聞いてくれたらしいが、手術痕はへその上方から肛門までの30センチにも達していた。

比較的安易に考えていた私にとって、ここから先に最大級の恐怖と孤独、激痛と嘔吐、幻覚症状と喉の渇き等が、待ち受けている事を予期する事は出来なかった。

モルヒネ剤や栄養剤など5本ほどの管に繋がれ身動き出来ない状況で、ここから先が本格的な恐怖と苦痛の闘病生活が始まる事になる。

ご覧いただきありがとうございました。

次号第8章もご覧ください。

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